1989年、6月4日には中国・北京市にある天安門広場に民主化を求め、夜を徹して集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧事件が起きていました。しかし、中国は次第にその進む道を変えました。経済開放を推進する中国市場には一国二制度の経済活動が出現しました。
同年、11月10日、ベルリンの壁崩壊がおきます。ゴルバチョフの推進していたペレストロイカという時代の流れと、社会主義をとっていたハンガリーが西側への国境を解放する動きに乗じて東ドイツ市民が西ドイツヘ流入、ついにはベルリンの壁が民衆によって壊され、世界を変えていきました。ソ連がロシアになり、冷戦が終わりました。
当時のベルリンは周囲を高い壁で囲まれた陸の孤島ともいえるものでした。数百キロをアウトバーンで走ると、やっと自由の西ドイツに入ることができる状態です。東西ベルリン分断の象徴はブランデンブルク門でした。ブランデンブルク門を挟むように壁が築かれていたのを民衆がハンマーで打ち崩す映像は、今でも鮮明に記憶しています。
そのブランデンブルク門はベルリンの壁の時代には通行はできませんでした。この門から先はウンター・デン・リンデンというドイツ帝国の栄華を残す菩提樹の大通りで、進んでいくと森鴎外、鈴木梅太郎、北里柴三郎たちがドイツ医学を習得したベルリン大学(フンボルト大学)があります。その先にはシュタット・オペラ、そして、鴎外の”舞姫”エリスと主人公が出会ったとされるマリエン教会が右にあり、往時のベルリンの中心のアレキサンダー広場も“舞姫”の舞台となった場所です。
そんな時期に創刊した「ちきゅうTALK」も25周年、単なるミニコミ誌つくりを楽しんでいたつもりが、世界中の変化に遭遇しつつ、平和への思いを強くして、国際理解を目指すようになりました。各ページを振り返っても、色々なことがあったのを思い出します。そこで、読者となってくださった皆さまに感謝の意を込めて、今年はいくつかイベントを企画してきました。外国料理クッキング、国際交流セミナー、我孫子学講座、などです。
「ちきゅうTALK」秋号、是非、読んでみたい方はご連絡ください。お手元にもお届けします。
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2014年11月17日
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