一昨日7時からのLiveで、首相の会見を視た。政権の信を得るために、民意を問う総選挙だと首相の面持ちは真剣に見えた。この道しかないという、消費税増税の期日を29年4月へ延期したいとの見解が示された。その際の記者会見で、個別事項も含めてかとの質問には明快な答えはなかったように思えた。中でも、原発再稼働、高濃度放射能廃棄物の処理問題もどうなるのか、政権に一任するということにもなりかねない、というかそういうことになる。靖国参拝については、中国などの近隣諸国からの反発や米国からの牽制があって、急展開はなさそうだが・・・。
たまたま、調べてみたところ、各国にも英霊の慰霊施設は当然ながらある。戦争の戦火が、世界大戦を背景に各国に及んだ歴史としてわかる。具体的な例として名前を挙げれば米国のアーリントン墓地、英領のウェストミンスター寺院、フランスの凱旋門等だ。この分野の専門である、小堀桂一郎教授と長谷川三千子教授との対談では、次の事のような慰霊参拝がされてきたことが明らかになっていた。
昭和60年レーガン大統領がドイツを訪問した時、コール首相がビットブルグの墓地に大統領を案内し、ユダヤ人団体から大変な反発があった。第2次大戦終結40周年という節目における「ドイツとの和解」といった意味があったが、ナチ親衛隊(SS)も埋葬されていることから、それを敢行したことによって、欧米で批判が起き、問題視されていた。献花式の後、レーガンは和解とホロコーストの忘却につながるものではないことを強調するの演説を行った。
ドイツでは11月の第3日曜日(暦により第2日曜日の場合も)を国民哀悼の日として慰霊行事が行われる。旧西ドイツ時代はボンにある北墓地追悼所で行われていた。ちなみに第2次大戦の終戦記念日は「解放記念日」として4月末になる。ドイツ・ベルリンのウンター・デン・リンデンにある追悼所。建造物自体はプロイセン時代の1818年に衛兵所として建てられたものだが、東西ドイツ統一後の1993年に閣議決定によって国立中央戦没者追悼所となった。ナチス時代は戦没兵士追悼所として、また戦後東ドイツ施政下ではファシズムと軍国主義の犠牲者の碑とされていた。要人はこの日に追悼所で行われる式典に参加し悼辞を述べる。
第8代サルディーニャ国王にして初代イタリア国王、ビットリオ・エマヌエレ2世。彼を記念して建造されたローマのビットリオ・エマヌエレ2世記念堂に「祖国の祭壇」と呼ばれるものがある。第1次世界大戦の戦没者を悼むために祭壇が造られ、無名戦士の棺が祭壇部分に埋葬された。現在は国防省の管理下となっている。
日独伊の対応も様々、周辺の事情がさまざまに違うことが分かるが、日本のような毎回の論争にはなっていないようだ。
2014年11月20日
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