2014年10月04日

過疎から観光の町に変身、富浦町(千葉)

千葉県富浦町は人口5,700人、面積25.69kuの小さな過疎の町、特産品といえば、皇室に献上される房州枇杷や花卉など温暖な気候を活かした農産物です。大きな観光施設はないが風光明媚で、東京湾に面した砂浜はかつては海水浴客で賑わい、また避寒の観光地としても知られていた。

しかし、農産物の輸入自由化、さらにバブル経済の破綻で、基幹産業である観光や農業、漁業の衰退に拍車がかかり、少子高齢化の進展による過疎化はさらに深刻化し、持続的な雇用と経済効果をもたらす活性化事業の展開が叫ばれたが、町には大規模な観光施設を整備していく体力はなかった。なんだか、我孫子市の事情を先読みしているような・・・・

それでも、地域振興策の模索は続いていた。1980年代前半(昭和50年代後半)、東京湾アクアラインや東関東自動車道館山線の整備計画が発表されたこともあり、町長の「座して衰退を待つのではなく、一気果敢に打って出る」との決断により、 1990年(平成2年)、富浦町に「産業振興プロジェクトチーム」が設立された。

後に観光カリスマとして知られるようになる役場職員の加藤文雄氏はその指揮をとり、商工会や農業団体、観光団体との協議を重ねた。1991年(平成3年)、地域の資源を活用し広域的な産業と文化、情報化の振興拠点となりうる施設整備の事業化が決定となり、1993年(平成5年)11月、千葉県で初の「道の駅とみうら・枇杷倶楽部」がオープンし、運営母体として町が全額出資した「(株)とみうら」も発足した。同氏は初代所長となり、混沌とした時期に、あえて、町が取り組んだことのない事業の現場責任者となった。

☆「エコ・ミュージアムの手法による地域活性化
つまり、中小規模の財政力が弱く体力のない町では、集客力の強い大規模施設の建設はできず、運営法人の赤字を補填する力もない。「第3セクターの赤字は、地域を疲弊させる」ことにもなる。拠点開発ではなく、町全域での事業効果も求められる。こうした厳しい条件の中、施設整備を最小限で、ソフトで地域全域での活性化を図ることを進めていくことにした。

そこで、フランスの自然公園地域での活性化手法である「エコ・ミュージアム」をいち早く研究し、事業地域に点在する集客につながる資源や事業を結びつけ、面として活用して観光客の誘致を進めてゆく町活性化の手法の導入を図った。

エコ・ミュージアムは「生活環境博物館」と訳されているが、資源の「保存・育成・展示・研究」という機能ももっている。地域を支える産業の健全化を図ること(保存)、新しい取り組みを育てていくインキュベーションであること(育成・研究)、また個性的な文化づくりをしていくこと(展示・活用)といった手法である。我孫子にもエコミュージアムがある、湖北の谷津がそれだが、知る人ぞ知る、環境派の関心のある人だけが関わって、自然保護をしている。富浦では観光振興として、また過疎地域の地域振興策に置き換え、さらに「分散配置資源(事業)の統合理論」として取り入れたのである。


☆「活きた捨石」となる振興拠点
一方で産業・文化・情報の振興に真に寄与し、運営体を自活させて雇用を創出し、さらに大きな地域の礎に進化する富浦は、枇杷倶楽部がリーダー役で、地域の誇りである枇杷や花などの資源を活用し広域で連携した集客システムをつくり、都市との交流を進め、観光農業のための品種改良や受け入れシステムの構築、特産の枇杷を活用した商品開発、文化事業による人材育成や情報化による地域振興など、ソフト面での充実を図った。また富浦町をはじめとする周辺地域の創意工夫を促進し、自己完結せずに周辺地域に事業や経済効果が広がる、公正で力強いインキュベーションであることに努めた。

☆観光農業の振興
枇杷倶楽部のオープンとともに、集客装置と試験研究の機能をもった花摘み園、苺園、枇杷園などの整備も進めた。温暖な気候に着目し、冬から早春にかけての花摘みの観光化や富浦町では栽培していなかった苺栽培の導入を図り、それまで夏季型であった観光シーズンから、「冬・春の観光シーズン化」も実現させ周年型へと移行させた。

特に1993年(平成5年)、道の駅と同時にオープンさせた観光花摘み園「花倶楽部」は、後継者不足で悩む地域の耕作放棄地の有効活用と、周辺農家の農産物の直売所として大きな効果をもたらした。また、農場に農業技術者2名を配置し、直売に適した品種の改良や観光農業に対応した作付け体系の試験研究も併せて実施し、成果を地域に提供するシステムも構築した。

また、特産品である枇杷の出荷規格外品を活用して商品開発をする加工事業にも取り組み、観光客への販売や周辺観光施設への卸販売、ネット販売などの展開を図った。加工事業は枇杷の付加価値を高め、40アイテム以上の枇杷倶楽部オリジナルの枇杷関連商品を生み出した。さらには地域の卸業者の商品開発にも影響を与え、枇杷は「南房総みやげ」として定着した。

☆「一括受発注システム」の開発
南房総は、観光バスツアーなど大量の観光客の受け皿が無いことが大きな課題となっていた。そこで、広域的な連携によって資源を束ね、集客を図る必要性を感じ、南房総に点在する小規模な既存の農園や食事会場などの観光資源を束ね、一つの大きな農園、レストランに見立て、メニューや料金、サービスを規格化し、枇杷倶楽部が観光会社に対して企画営業を行い、観光会社からの集客の配分、代金の清算、クレーム処理までを一貫して行う「一括受発注システム」の開発に携わり、南房総のランド・オペレーターとしての役割を道の駅に持たせた。

このシステムの稼働によって、周辺市町村の飲食店や民宿、農園、観光事業者などが連携して強い集客力を持つこととなり、ピーク時では観光バスを年間4千台、12万人のツアー誘致に成功し、これまで閑散期といわれていた南房総の冬に観光バスツアーが定着し、著しい地域波及効果があがった。またこの業務の効率化をさらに図るため、当時の通産省の助成を受け、電算システム化も図り、そのノウハウを全国に積極的に公開した。さらに、この仕組みを応用し、JR東日本と協働して個人ツアーのパック商品の開発やレンタカーの配備、南房総マップの作成などを進め、広域的な資源の結びつきによる、個人やグループ客誘致による地域振興を推進した。

出典:
http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/jinzai/charisma/mr_kato.html
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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