朝日新聞の社長が、福島で起きた震災とその後の津波で、原発の対処にそれこそ命がけになっていた現場において、吉田所長を始め所員の行動はどう報道されたのか、誤報があってはならないが、このような重大な事態においても大新聞の調査、報道ですら誤るということを、国民の目の前で展開されたのを改めて知った。人間は誤りを犯すし、歴史上にはこうした判断のミスで悲劇が繰り返されたこともあったのだとおもう。
朝日新聞はもう一つ、謝罪した。8月5日と6日の朝刊で、特集記事「慰安婦問題を考える」をそれぞれ2ページにわたり、朝日新聞紙上に掲載した慰安婦の報道だが、これに対しては誤報を認めたものの、それだけでは到底済まない、国家と国民への影響について反省が十分に述べられていないと言う点も識者などによって問題性を指摘されたのだった。
そこで、5日の朝刊で過去の自社の慰安婦報道を点検し、一部に事実関係の誤りがあったことを明らかにした。1面では「慰安婦問題の本質 直視を」との見出しの論文で、杉浦信之・編集担当が「裏付け取材が不十分だった点は反省します」と釈明した。
5日の特集記事の焦点の一つが、日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したとする「元山口県労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏(故人)の証言に関する報道。取材班が済州島を再取材するなどした結果、吉田氏が慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽と判断したとし、吉田氏を取り上げた記事16本を取り消した。
吉田清治氏の証言をめぐっては、現代史家の調査などで1992年に疑問が投げかけられていたことなどから、「訂正に至るまで20年以上も時間がかかった理由がわからない」「記事を取り消しながら謝罪の言葉がない」などの批判の声が相次いで寄せられた。
また、90年代初めの朝日新聞の記事に、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」とまったく別である慰安婦の混同が見られたことから、特集記事で当時の報道で誤用があったことを明示し、訂正した。93年以降は両者を混同しないよう努めてきたと説明したが、「混同に気づいた時点でなぜ訂正を出さなかったのかが明らかでない」などと特集の不十分さを指摘する声が出ており、韓国では特にこの点を重大にとらえて軍による強制が常套的にあった、挺身隊を強制的に慰安婦にするとような誤解がされた点は否めないる。
また、朝日新聞が吉田氏の証言を報じた記事を取り消したことを受け、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した河野洋平官房長官談話(河野談話)の根拠が揺らぐかのような指摘も出た。このため、同28日の朝刊で改めてポイントを整理し、「慰安婦問題、核心は変わらず河野談話、吉田証言に依拠せず」との見出しの記事で、河野談話への影響はないと結論づけた。
朝日新聞は歴史ある報道機関として、今も社に属する記者は相当なプライドを持って仕事をしてきたのだと、私も曲り習いに記者たちに接して感じてきた。記者内部からの落胆、批判を受けて、社上層部が重い腰(口)を上げさせた。遅きに失しているが謝る決断をしたこと、そしてこのような長い年月を経て、多大な影響ももたらしてしまったからこそ大事であり、それを認めさせたということは、実は橋下市長が主張した維新の公約の遂行であり、その結果がこのようになって、朝日に謝罪をさせるまでになったのだと考える。
市民(つまり国民)も、歴史の誤認などがあるだろう事もしっかり学び、これからの時代の歴史認識について、見据えていかなくてはならないだろう。
2014年09月13日
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