2014年06月17日

集団的自衛権、ドイツの例

 集団的自衛権をめぐる海外の事例のうち、ドイツの経緯を追った記事が報告されていた。武力行使を限定することで公明党の理解を求め、安倍閣議は決定する構えで攻勢をかけている。1990年代に専守防衛の方針を変更し、安倍首相がやろうとしている解釈改憲の手法であるが、果たして「限定」するという手法で実際に歯止めが利くのかどうか。ドイツの例を検証した。

 北大西洋条約機構(NATO)の域外派兵に乗り出したドイツは、昨年10月に撤退したアフガニスタンに絡んで計55人の犠牲者を出した。アフガンでは後方支援に限定した派兵だったが、戦闘に巻き込まれた死亡例が6割あった。

 「後方での治安維持や復興支援のはずが、毎日のように戦闘に巻き込まれた。当初の想定と実態が次第にかけ離れていった」。アフガンに駐留した独軍幹部はこう振り返る。

 第2次世界大戦で敗戦したドイツは戦後制定した基本法(憲法)で侵略戦争を禁じ、長らく専守防衛に徹してきた。だが、91年の湾岸戦争で米国から「カネを出しただけ!」などと批判を浴び、当時のコール政権は基本法の解釈を変更してNATO域外にも独軍を派遣する方針に転換。連邦憲法裁判所は94年、原則として議会の事前承認がある場合に限り、独軍のNATO域外活動を合憲と認めた。
 
 2001年の米同時多発テロで、NATOは集団的自衛権を初めて発動し、米国主導のアフガン戦争の支援を決定。ただ、独国内では戦闘行為への参加に世論の反発が強く、当時のシュレーダー政権は米軍などの後方支援のほか、治安維持と復興支援を目的とする国際治安支援部隊(ISAF)への参加に限定した。

 ただ、現地では戦闘の前線と後方の区別があいまいだった。ISAFに加わった元独軍上級曹長のペーター・ヘメレさん(52)は03年6月、カブール近郊で自爆テロに遭遇。各国隊員を輸送する車列を先導中、後方のバスが爆破されて6人が死亡した。ヘメレさんは「平和貢献のつもりだったが、私が立っていたのは戦場だった」と話す。

 独軍によると、アフガンに派遣された02年から今年6月初旬までに、帰還後の心的外傷後ストレス障害による自殺者などを含めて兵士55人が死亡。このうち35人は自爆テロや銃撃など戦闘による犠牲者だったという。独国際政治安全保障研究所のマルクス・カイム国際安全保障部長は「ドイツ兵の多くは後方支援部隊にいながら死亡した。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考え方は、幻想だ」と指摘している。

出典:朝日新聞デジタル(ベルリン=上原佳久 2014/6/15)
http://digital.asahi.com/articles/ASG6G0Q6BG6FUCVL036.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG6G0Q6BG6FUCVL036
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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