2014年03月23日
我孫子の観光をどう考えるか
松川浦観光の復興プロジェクトについて、ゼミの後輩の卒業をお祝いする歓送会に集合する各地の研究者が久々にあつまってくるので、プロジェクトの中間報告のための連絡会ももとうという事になった。池袋の校舎の一室を借りられたとかでそこで2時から6時過ぎまで侃々諤々、これで整理がついたのかどうか、益々混迷を極めてくるような色々な意見提案が出て、5月の学会で一部文書提出をすることになっていたので纏める方は大変だと思う。学術研究としてのまとめとは中々ご苦労なことだが、この所の学会市への論文提出の手順の悪さで画期的な大発見の話しが、一転してしまっているのだから、兎に角、踏まなくてはいけない手続きはきちんとこなしていかなくてはならないだろう。
そこで、ところで松川浦の観光とは、何が評価されていてどれだけきていたのか、衰退期になっていたのではなどの指摘もあったけれど、それには答えうる数字もIさんがグラフで分かり易く示されていたので、100万人というのは大した数字だった。福島県内の海水浴のメッカだったというのと、最近はJリーグ関連の施設が全国の青少年によって熟く見つめられていた。100万人は大きな数だったはず。
それに比べて我孫子が多いか少ないかといったら、我孫子に観光に来る人は俄然少ない。最大のイベント手賀沼花火でも25,6万人なのだから、ゼミでも我孫子の観光などと語るには時期尚早だろう、片や、川越の観光は関東圏の優等生で、研究地としても先進市に扱いだから、我孫子を観光をテーマにj語ろうとするとまだまだ肩身が狭い感じだ。しかし、進んでいかなくては何も展望は開けないし、面白くもならない。2020年に向けて「我孫子らしく」街の光を魅せる努力をしていきたいと思う。
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