東日本大震災の際には、気仙沼市社会福祉協議会マザーズホーム園長から「火の海 ダメかも がんばる」という携帯電話からのメールを受け取った園長の子息(イギリス在住)が、地上からの接近は難しいと言って空からの救出を求めることを、Twitterにてツイートをした。それが猪瀬宛にも届いていた。当時は東京都副知事だった猪瀬が、救助が必要と判断すると直ちに東京消防庁の防災部長を呼び出し、直接ヘリ出動を命じた。このことによって、気仙沼市中央公民館で孤立した446人が救出された。ヘリコプターが到着して現場を確認するまで、公民館に取り残されたのは十数名と見られていた。地元からの出動要請がない中でのヘリ出動は極めて異例だった。この時の様子のほか、東日本大震災後、副知事としてどのような陣頭指揮を取ったかを、翌2012年3月に刊行した『決断する力』(PHP新書)にまとめられている。
2011年12月、東京電力の西沢俊夫社長が会見して企業向け大口料金の値上げ方針を発表し、翌年1月17日に一律2.6円値上げが明らかにされた。大口需要家であり、中小企業を所管する行政主体であり、筆頭株主である東京都を代表して、猪瀬直樹は1月26日に会見、東電、原子力損害賠償支援機構、経済産業相に対し、「燃料費等負担増、経営合理化の具体的内容について明確な情報開示を求める」と石原慎太郎知事名の緊急アピールを明らかにし「待った」をかけた。アピールのなかで、都内の東電ファミリー企業の本社を整理するだけで1年で100億円を捻出できるとの独自分析を発表。値上げの根拠にしている燃料費増加の内訳を示さなければ値上げに応じられない、と指摘した。このことから、東電は3月に値上げ緩和策を発表し、当時の経済産業大臣・枝野幸男を訪ね、東京電力のさらなる合理化策としてファミリー企業などとの随意契約の割合を3割削減することを提案させるに至った。11月に公表されていた緊急特別事業計画では10年間で2.6兆円とされていたリストラ額をさらに5000億円上乗せできると指摘。経産相はこれを受け入れ、総合特別事業計画に反映させるように原子力損害賠償支援機構と東京電力に指示すると言わしめた。5月に公表された総合特別事業計画では合理化額は3.3兆円に増額されることに繋がった。
2012年4月27日には、東京都として東京電力に対して5つの株主提案を発表。法人株主に呼びかけ文を送付したほか、個人株主にも賛同を呼びかけた。この第一項目として社外取締役に公認会計士樫谷隆夫氏を推薦、東京電力は5月14日に発表した新役員体制のなかで7人の社外取締役のうちの一人として樫谷氏を内定となったなど、東電の姿勢を正した。
2007年より実務派の副知事として活躍し、更に石原都知事の突然の辞任で後継指名を受けたことから、初の選挙に臨み、選挙史上で最多の得票数を得て当選した。次々に迅速な判断、規制事実にメスを入れるなどしてきたが、徳洲会がらみの猪瀬辞任劇をうけての都知事選が23日より告示ときまった。戦後に都知事が民選となってから2011年の前々回選挙までは統一地方選挙のなかで行われ、2012年の前回選挙は衆院選と同日に行われたが、今回は初めて都知事選単独で行われることとなった。2月9日が投票日となる。