2014年05月01日

『白樺』再考

我孫子に白樺文学館が出来たのは、多分に初代館長を務めた「武田先生」と呼ばれる人物によるところが大きいと思われます。 そして、市井の哲学者と認じられる武田先生が、志賀直哉から『白樺』を振り返って、改めて柳の本を読み直してみて思ったこととして、次のような記録(2000年6月)があります。「 『柳という人間は、民芸の運動家としてしか知られてないけど、すばらしく知的な人ですよ。中国、欧米、日本の思想に精通し、おそろしく平易な文章で現実に根ざした行動を伴う哲学・思想を表現する人なんですね。』 と感嘆の声をあげています。
http://www.shirakaba.gr.jp/tenmatu_ki/home/beginning/shiraka/shira4.htm

2000年7月8日の記録には、武田先生を後方支援したFさんの感想もあり、それまでの多くの声を代表していると思います。
「実のところ、私自身、志賀直哉は好きだったのですが、白樺派に対してはあまり良い印象をもっていなかったのです。 それは白樺派の弱点という物を感じていたせいもありますが、むしろ、既存の白樺派に関する記述の多くが事実をちゃんと読み取っていなかったからではないかと今は思っています。おそらくそのあたりの事実関係と、これまでとはかなり異なる解釈を白樺文学館で知ることができるのではないかと期待しています。」 

確かに、これまで、白樺派というと学習院という特権階級出身者の貴族ヒューマニズムに過ぎないのではないかとか、我孫子市民との交流があったのかと批判が先に立ちました。軍国主義の色合いが濃くなり、戦争一色の時代に彼らは何をしていたのかと、武者小路実篤の代表作 『お目出たき人』(1911年)、『幸福者』(1919年)、『友情』(1920年)のタイトルからも、一般から乖離した理想主義者たちの印象づけたのでしょう。昭和期の文化功労者、文化勲章を輩出しても、それを貫ける優雅なお生まれだったからと大衆から冷ややかな気分で見られ、彼らの真意、ましてはその行動を直視することもなかったのではないかと、多少とも反省の気持ちになるこの頃です。

我孫子に出来た白樺コロニーから100年の節目に当たる年でもあります。GWを利用して、もう一度、地元の史跡を見直して、我孫子市白樺文学館などの周辺を訪ねてみることをお勧めします。




posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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