2014年01月18日

小野ヨーコとレディーガガ 平和への想い

 
 レディー・ガガ ( Lady Gaga)の本名はStefani Joanne Angelina Germanotta(1986年3月28日生れ米国のアーティスト)。ガガの名前は、千葉大学大学院工学研究科の斎藤恭一教授と環境浄化研究所が開発した、放射性セシウムを吸着するナイロン繊維を「ガガ」と名付けられたことでも記憶される。レディー・ガガの髪型と商品の見た目が似ていることからだと言われる。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災に対し、ガガは即座に「WE PRAY FOR JAPAN 日本の為に祈りを」とデザインしたブレスレットを作成し販売。「収益はすべて日本に寄付する。」と自身のツイッターでコメントした。その後ブレスレットは2週間で1億2000万円以上売り上げ、全額寄付された。さらにチャリティー以外で個人的にも1億2000万円寄付したことを明かした。また、ガガなど38組のトップアーティストの楽曲が収録されたチャリティーアルバム『SONGS FOR JAPAN』が世界18ヵ国のiTunesチャートで1位を獲得した。その年の3月26日にガガは「アイシテイマス」と日本にビデオメッセージを送り、日本記者のインタヴューでも「日本のファンとは強い絆を感じる。だからニュースを観るのが辛かった。何かを口にするより、まず行動すべきだと思った」とコメントし、再び日本で歌うことを約束した。 そして2011年6月21日、多くの海外スターが来日をキャンセルする中、ガガは4回目の来日を果たした。放射能は怖くないのかという質問に「平気よ。世界のみんなに日本という美しい国を見てほしいわ」と語った。ガガは10日間の滞在で多くのメディアに出演し、記者会見では自身の手書きで「日本の為に祈りを」と書かれたティーカップに口紅の跡を付け、オークションに出品した。売り上げは全額震災の寄付に充てられる。このカップは宮城県の歯科医師が落札し、3年2月に宮城県に寄贈された(寄贈の翌日に死去)。同年5月1日から6月30日までの予定で同県博物館で展示され、今後は保存処理を行い、他施設への貸出も行う予定である。また、ジョン・V・ルース駐日米大使から「よく来てくれた」と感謝され、日本政府からは震災支援に対して観光庁長官から感謝状と福島の玩具「起き上がり小法師」がプレゼントされた。ガガは涙を流し小法師にキスすると「本当はこんなもの(感謝状)、いらないの。だって私の日本への愛は無償のものだから。でもこの感謝状は一生大切にするわ」と語った。

 復興支援イベントの「MTV VIDEO MUSIC AID JAPAN」では、日本が苦境から脱出することをイメージした蜘蛛の巣パフォーマンスを行った。ガガは次の訪問地へ出発の際、当時の総理からガガをイメージした緑色のバラをプレゼントされ「この名誉をありがとう。日本への支援は継続的に行っていきます」とコメントした。その後2011年12月21日にガガは5度目の来日をした。

 ガガは6つのタトゥーをいれていることが確認されている。手首にあるピースシンボルのタトゥーはイギリスのミュージシャン、ジョン・レノンに影響を受けたもので、ガガは『ガーディアン』において彼を「英雄」だと語っている。ガガは「このタトゥーを入れた理由は2つあるの。ひとつはもちろん反戦の意思表示として。そしてもうひとつは……ジョンとヨーコが“Give peace a chance(平和にチャンスを与えて)”と宣言した時、それが具体的に何を意味するのか2人は詳しく説明しようとしなかった。“それだけのシンプルなこと”としか言わなかったわ。つまり、このタトゥーはシンプリシティのパワーを私に思い出させてくれるの。シンプルであれば魔法の薬がなくても誰にでも理解できて、チャンスを与えてあげさえすればいいんだってことを」と語っている。また、オノ・ヨーコとは個人的に親交あり、飼っている柴犬にも「ヨーコ」と名付けて可愛がっている。



 他に詩人のライナー・マリア・リルケの詩が引用されている。ガガはリルケを「一番好きな哲学者」と評しており、毎日その詩のタトゥーを見ることによって、「書き手(ソング・ライター)」としての励みにしているという。2009年の訪日時に競演した写真家の荒木経惟に感銘を受けて「TOKYO LOVE」というタトゥーを左肩に入れた。なお、父親の頼みにより、タトゥーは体の左側だけに入れるようにしている野だと言う。

 
 
  
 生い立ちは、イタリア系米国人の家系で、父親はインターネット企業の実業家で、ニューヨーク州に生誕。裕福な家庭で育つ。4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになった。多くの有名アーティストを手掛けた先生からレッスンを受けるようになり、13歳になるころには初のピアノ曲を自分自身で作曲。11歳当時には音楽の名門ジュリアードの音楽部門に合格するも、当時は音楽にさほど興味が無く入学を辞退し、マンハッタンのカトリック系私立学校、パリス・ヒルトンなどが超お嬢様学校で知られる聖心女子学院(Convent of the Sacred Heart)へ進学。

14歳からニューヨークのクラブでパフォーマンスを開始し、17歳で、それまで世界で20人しか早期入学が許されていなかったニューヨークのティッシュ・スクール・オブ・アート(ニューヨーク大学の芸術学部)に入学。そこで音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善した。この頃から地味だったクラブのパフォーマンスも個性を追求するたびに派手になってゆき、大学でも奇抜なスタイルにより周囲から煙たがられる存在となっていた。19歳、ニューヨーク市の近郊のクラブでダンサーをしながら生計を立てた。ソングライターとして契約をし、複数のミュージシャンに楽曲提供を行っていた。その後に歌手としての才能を認められ、レコード契約し、歌手としてのキャリアをスタートさせた。2010年5月、アメリカの雑誌『Time』の世界で最も影響力のある有名人を選出する「タイム100」のアーティスト部門の1位に選ばれたほか、ツイッターのフォロワー数が2010年8月に約568万人に達しは世界1位となった、2012年には3000万人を超えた。

 ガガは彼女の経歴を通して、いくつかの慈善団体に関与した。2011年、若者たちのボランティア活動を支援する非営利団DoSomething.org」が「Top 20 Celebs Gone Good for 2011」と題した慈善活動に貢献したセレブリティのランキングを発表、ガガは2年連続の一位にランクされた


http://www.cinematoday.jp/page/N0047683

posted by Nina at 01:59| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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