自然人類学によると、いまから200万年前の人類は猿人から分化し、15万年前に現世人類が誕生したとされています。ミトコンドリア・イブの解析では、15万年前の人類の始祖はアフリカ中央部にいたそうです。その人類が、いまから5万年前に世界に散らばったとされていますが、日本では12万年前の石器が出土しているのだそうです。
縄文時代といえば、いまから約1万7千年前頃から3千年前頃までの時代です。
この縄文時代の遺跡は、全国で数千ヶ所も発見されています。
数千といえば、すごい数です。
また、長い間、漆は中国からの渡来品だと言われてきました。 中国の浙江省の遺跡では、いまから約7千年前の漆椀が発見されたと、中国の考古学会は発表しています。日本では、北海道函館市の垣ノ島B遺跡で、いまから9千年前の漆塗りの副葬品が発見されています。今の時点では、漆の技術は日本で生まれ、中国に伝播した可能性が高いと考られそうです。漆を英語でいうとjapanというのもうなづけます。
これ程古い時代の遺物が出土する日本列島で、しかし、世界中でどこの古代遺跡からも必ず出土しているのに、日本の縄文時代の遺跡からはまったく出土していないものが・・・・「対人用の武器」だということです。
人が人を殺すための「武器」が、日本の縄文時代の遺跡からは、まったく出土していません。
もちろん、矢尻(やじり)や石斧(いしおの)、石包丁のようなものは数多く発見されています。
日本で発掘される矢尻はとても小さく、ウサギやタヌキを狩るための道具としては使えても、とても対人間用に使えるようなものではないのです。 石斧も同じです。 柄が細く長くて、斧の先端の石が小さい。
こんなもので人をひっぱたいたら柄のほうが折れれてしまって、戦闘ではまったく役に立ちません。
漆の木片が出土した鳥浜貝塚からは、布製の衣類も出土しています。
なんと、その装飾(模様)や仕立ては、当時の着物をきて原宿の街を歩いても、なんら違和感のないほど、精巧で、美しく仕上げられているのです。
誤った教科書の表記で、縄文時代の人々は鹿の毛皮をまとった半裸の姿で、石斧を持って狩猟ばかりやっていたかのように印象づけられていますが、比較的温暖な自然の木の実を採集することの方が頻繁に行われて、人々は知恵を出し合って、自然と調和しながら争わず暮らしていくことで命を大切にした、と言う説です。
文明の発祥の地は、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の世界四大文明であると、依然に教科書で習ったまま、今だに信じている人は多いが、調査が進み、世界最古の土器は青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前のもので、メソポタミア最古の土器は紀元前5000年頃と言われるのだそうです。つまり、1万年も日本のが古いのです。考古学によって認識される事柄は、変化するということであり、益々日本の歴史、人々のものの考え方は注目されるわけです。
トークプラスというCNBCの番組で観光推進の特集をしていたが、観光とは国の光を観るという易経の言葉から来るように、その土地がいかに人々の暮らし向きがよろしいのか見てみること、そして見せて光るようにすることだというのですから、富国強兵の20世紀を脱却し、貿易立国としてモノを売り込んだ日本は、いよいよの東京オリンピックにむけて観光立国に変身することが大事ということです。
2013年11月15日
光る国であること
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