民主党は、4日の参院選公示直前のせえ主党執行部では、2日夜、東京選挙区(改選数5)に出馬予定の現職、大河原雅子氏の公認取り消しを決定したのだ。この事態に際し、細野豪志幹事長は大河原氏に直接会わず、電話1本で通知した。
大河原氏は、1993年(平成5年)、東京都議会議員選挙に世田谷区選挙区から出馬し、初当選。3期10年都議を務める。1999年(平成11年)9月、東京・生活者ネットワークの代表に就任( - 2006年2月)。2007年(平成19年)7月29日投開票の第21回参議院議員通常選挙に、東京都選挙区から、都議選・市議選などで生活者ネットと協力関係にある民主党の公認を受け出馬。選挙対策本部長には小宮山洋子氏が就任、約108万票の票を獲得、2位の山口那津男氏と約29万2千票の大差で1位初当選を果たし、鈴木氏は3位だ。民主党では菅グループに属し、2010年(平成22年)9月の民主党代表選挙では菅直人の推薦人に名を連ねた。
2013年(平成25年)7月21日投開票の第23回参議院議員通常選挙でも、東京都選挙区から民主党の公認を受け出馬する予定であったが、民主党の支持率が下がる中で同一選挙区への2人擁立は厳しいと予測されたため、7月1日に党本部から鈴木寛参議院議員への一本化のための出馬辞退を打診され、拒否。そこで、海江田代表は2日夜に党本部で細野氏と会談し、独自の情勢調査で優勢だった現職の鈴木寛氏に一本化することを決定した。これまでの調査では鈴木氏が劣勢だったこともあるが、この時の調査では鈴木氏有利だったという。
これ以前に、6月の都議選で民主党は2人擁立した6選挙区のうち5選挙区で共倒れしたが、2人の得票数を足すと当選ラインを越えていたため、今回の参院選公示直前の公認取り消しに走らせたのが事情だという。この決定を受けて、東京・四谷の事務所で緊急の記者会見を開いた大河原氏は執行部の決定に反発。「納得できるものではない。私の存在が党にとって必要ないのかなと、すごく悔しい思いがしている」と述べ、涙を流した。執行部は「武士の情け」とばかりに、大河原氏に推薦を打診したが、“切られた”本人にしてみれば屈辱以外のなにものでもない。大河原氏が無所属での出馬に踏み切るのは、執行部への意趣返しといえる。
大河原陣営関係者は3日朝、夕刊フジの大河原氏公認取り消しの取材に応じると、大河原氏は無所属での強行出馬を表明。陣営では支持者への説明や選挙戦術の見直し、「用意したポスターもビラも『民主党』と書いてあるものは使えない」と悔しがる。
菅直人元首相は3日、自身のブログで、民主党が現職2人を公認し擁立していた参院選東京選挙区で、公認候補を鈴木寛氏に一本化したことについて「民主党の公認がなくても大河原(雅子)候補を全力で応援する」と表明した。大河原氏は公認を取り消された後、党推薦を拒否しており、菅氏は党執行部の「苦渋の選択」(海江田万里代表)に公然と反旗を翻したことになった。菅氏はブログで「民主党は『2030年代原発ゼロ』の公約は掲げたが、それを前面に掲げて戦う候補は限られている」と指摘。その上で「私は民主党の原発ゼロに本気で取り組んでいる候補だけを応援する」と強調していた。
今回の“女性候補いじめ”によって鈴木寛氏から離れた票も多かったことから、「両候補共倒れ」という結果となって、結党以来の東京選挙区で民主の議席を失った。こうしたことから菅氏の除籍問題にも発展してきたが、菅氏だけを責めるわけに行かないのではないだろうか。
2013年07月25日
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