現代の中国人は、ブログも盛んに書いていて、日本語のわかる中国人留学生たちもそれに加わっていたりする、ある種の中国人社会に第三者的な視点をもつようになった人たちもいる。最近、起こった問題について考えを述べているものもあって興味深かったので紹介したい。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0316&f=national_0316_044.shtml
「東方田」さんはブログにこうつづっている。
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アシアナ機の事故で、中国には裕福な家庭が非常に多いということが分かる。事故機にはこの夏、韓国経由で米国に短期留学する子どもたちがたくさん乗っていたのだ。韓国経由にするのは、旅費を節約するため。しかしそもそも、15日間の短期留学に3万元(約50万円)の大金をかけることには、意味があるのか?
経験値を上げるという意味では有効だ。しかしたった半月、米国にいたからといって英語が急激にうまくなるなんてことはない。子どもは長い間、英語環境の中で生活するのでなければ、半月で得たものなど、すぐに忘れてしまうのだ。
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今回、事故に遭った子どもたちは外国語教育に力を入れる進学校の子どもたちだった。小さい頃から英語環境に親しむのは当然のことなのだろう。
しかし子どもに対しても、「外国」に対しても、親の過度な期待は禁物だ。中国の富裕層の子女が海外に留学するケースが増えているが、行った先で成績が悪く、暮らしになじめないことも多いのだとか。今年5月には英国の大学に留学した富裕家庭出身の中国人学生が、卒業のため教授に賄賂を渡そうとしたという事件が報じられた。中国の未来を背負う子どもたちが「井の中の蛙」になってはならないが、「金さえあればなんとでもなる」という考え方を助長させるような留学であっては意味がない。(編集担当:古川弥生)
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先日、中国青年報に「日本が存在しなければ、中国の改革開放は現在と異なる結果となっただろう」という趣旨の論表が掲載されるなど、中国では親日的な報道が目立つようになっている。このブログは一連の親日的報道によって、日本が中国にとって最大の援助国であった事実をはじめて知ったというユーザーが自分の考えを綴ったものである。以下はその話題のブログより。
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数日前、中国青年報に王錦思氏による「日本が存在しなければ、中国の改革開放は現在と異なる結果となっただろう」という趣旨の論表が掲載され、私の興味を引いた。さらに、日本メディアによる「中国で親日的報道が増えている」との報道も中国ではすでに報じられている。
王錦思氏による論表の主要な点は、「中国の改革開放30年は日本と密接な関わりがあり、トウ小平が1978年に訪日した際に日本をモデルに経済を発展させることを決定した」というものである。論表の中に私が最も興味を持ったデータがあったので、それを紹介する。
30年前、中国の一人当たりGDPはわずか300ドル、外貨準備高は1.67億ドルにすぎず、日本政府より500億円(2.2億ドル)にのぼる借り入れを行った。中国が受け入れた諸外国からの援助額のうち66.9%は日本からのものであり、中国にとって日本は最大の援助国である。また、日本からの援助は鉄道や道路、港湾や空港などのインフラ整備のほか、農村開発や環境保護、医療、教育など多岐にわたって使用されたという。
もしもこれらの数字が事実であるならば、中国改革開放に対しての日本の功は今後とも消える去ることはないだろう。日本による中国侵略戦争や靖国神社問題、尖閣諸島問題など、私は日本人は野蛮で非を認めることのない覇権主義の民族だと思っていた。これは大多数の中国人にとって同様の感覚であろう。
しかし、「日本が中国にとって最大の援助国」との事実を発見し、しばし呆然とする思いであった。これまでにも日本が中国に対して、肺結核の治療を無償で行っている等といった話は聞いたことがあったが、あくまでも聞いただけであり、正確な話ではなかった。ここで疑問なのは、改革開放から30年という時間が経過し、その間も日本は対中援助を行い続けてきたはずであるが、日本が最大の援助国であるという事実は、なぜ今になって公になったのであろうか?
また、つい先日、日本国民の対中感情がかつてないほどに悪化しているとの報道も目にした。以前であれば、日本と中国の間には積年の恨みがあるのだから、日本が中国に好感を持っていなくても何の不思議もないと、特に気にかけることもなかったであろう。しかし、日本が中国にとって最大の援助国であったという事実を知った今となっては複雑な思いがしてならない。--------------------------------------------------------------
(出典:慧心无憂的BLOG意訳編集)
1978年に訪日したトウ小平氏は改革開放および中国の経済発展は日本をモデルにすることを決めたという。(編集担当:畠山栄)
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2008年は日中青少年友好交流年にあたり、政府間だけでなく民間レベルでも様々な日中間の交流が行なわれ、企業間でも多くのビジネス交流が行なわれている。このブログは中国のビジネスマンが日本企業で行なわれた研修に参加するために訪日し、日本で感じたことを書き綴ったものである。
以下はそのブログより。
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私の人生の中で初めて訪れた外国が日本だった。見るもの全てが珍しく、目新しかった。飛行機を降りた時点では、すでに中国ではないことを実感できなかったものの、ここでは自分は外国人なのだと感じていた。成田空港は上海の浦東国際空港とは比べ物にならないほど小さかったが、とてもきれいで清潔、設備も整っていた。特にターミナル間をつなぐ無人電車は日本の先端技術のすごさを感じさせるものであった。
日本を訪れた理由は茨城県大甕で行なわれる職業研修に参加するためであった。研修初日、日本企業がタクシーで迎えに来てくれ、研修先に着いてからメーターを見たら1100円(約77元)であった。このとき、日本では何があってもタクシーには乗ることはできないと思ったのだった。
研修先では最初に関係者の紹介が行なわれたのだが、彼らと挨拶を交わして感じたのは、多くの中国人たちに言われたような傲慢さは無く、人柄もよく礼儀正しかった。しかし、腰を折って頭を下げる「お辞儀」は私達にとってはどうにも慣れないものであった。
大甕は非常にきれいな街で、道にはゴミなど落ちていなかった。空気も海も非常にきれいだった。日本がなぜ長寿の国なのか、心身ともに心地よい、このような環境で生活することが出来れば長寿でないほうがおかしいというものだ。
また、大甕では、見たところどの家庭でも自家用車を持っているようで、人に比べて車のほうが多かった。車に関して、私が最も慣れることができなかったことがある。それは道を渡ろうとしているとき、車があらかじめ停車し、人を先に渡らせようとすることである。私は日本に三週間滞在したのだが、それでもわずか三回しか車のクラクションを耳にしなかったし、人を渡らせようとしない車を見たことも無かった。
日本全体としての感想としては、緑が多いなど環境が素晴らしく、きれいで清潔で、道路は狭くて車も多いが、中国のようにひどく混雑していなかった。また、日本人は礼儀正しく、人的素質も高いと感じた。日本人男性は皆スーツを着用、女性はスカートをはいている人が多かった。さらに、研修先の日本人たちは皆真面目で、研修の効率もとても高かったのだった。
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(出典:精忠報国的BLOG意訳編集担当:畠山栄)
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中国大手検索サイト百度の掲示板に「領土問題における法的根拠の面で、わが国は不利だ」というスレッドが立てられた。スレ主が抱いた不安に対して、中国人ネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
日本が実効支配している尖閣諸島(中国名:釣魚島)周辺では1960年代後半に、石油など大量の地下資源があるとの見方がでた。中国政府は1971年から、領有権を主張し始めた。
尖閣諸島は沖縄県に属すが、スレ主は「中国建国初期に毛沢東が沖縄は日本領であることを認めてしまったことは極めて不利だ」と主張。もし中国が沖縄県の領有権を主張すれば、日本が中国東北地方(旧満州)の領有権を主張してくる可能性があり、チベットについても同様の問題が生じると懸念を示した。
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中国のネットユーザーからは、法律など考慮する必要はないという強硬な意見が多く寄せられた。
・「スレ主は考えすぎだ。国際法とは実に簡単。つまりは弱肉強食なだけ」
・「真理とは砲弾の射程内にあるものだ」
・「法律なんて世間話に使う物。決定的なポイントは軍事力だ」
また、「法的観点で言うならば米国はインディアンの領土だ」という主張や、「そもそも領土問題が法律で解決できたことなんてあるのか?」という意見も寄せられた。
さらに、沖縄が日本領であることを認める一方で、尖閣諸島が台湾に属すとの主張も見られた。中国側の主張としては、「台湾は中国の一部であるため、台湾に属す尖閣諸島は自動的に中国領」という論法だ。
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日本政府は基本見解は、「尖閣諸島は一貫して日本の南西諸島の一部である」だ。
日本が領有する正当な根拠と経緯としては「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であることを確認したのみならず、さらに、清国(当時)の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認」、「1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式に日本領土に編入した」と主張している。
中国が「古来から中国の領土」と主張しているのに対し、日本は「仮に中国が尖閣諸島の存在を知っていたとしても、支配はしておらず、自国領とも認識していなかった」、「したがって日本領に編入したのは国際法と国際的慣習からして、まったく問題ない。したがって領土問題は存在しない」との立場だ。(編集担当:畠山栄)
中国人留学生の下記レポート、日本人が手帳を持っていて時間の調整をしあうことに驚愕(中国では、手帳など売っていないらしい。その為、せいぜい2週間先位までしか約束事、時間調整をしようとは考えないそう)しているのも、カルチャーギャップとして興味深い。
http://japanese.beijingreview.com.cn/yzds/txt/2012-02/08/content_424425.htm
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