さて、若いながら彼女の日本語力は相当なもので、用意されてきた日本語の質問に、答えるうちにこれまでの二年超の出来事が脳裏に蘇ってきて、お母さんの中には涙ぐむ方もおられた。なんと対応してくださった方の中には、いよいよ転居することにしたとの話も出て、いまだに日々の生活にストレスを与えていることを実感した。
研究者は26歳で、ちょうどチェルノブイリ原発の事故が起きて直後に生まれたことになる。当時、まだソビエト時代でカザフスタンには冷戦時代に頻繁に核実験が行われた地域があったが、そういうこともあって放射能汚染への関心を持ち続けてきたらしい。我孫子の調査を通して、両国の未来への対処に何か、多少とも解決につながるならと協力することになった。
別れ際に、「また来ます、我孫子は素敵な所ですね」と言われたのは、最高に嬉しかった。ちょっとでも、役に立つよう協力したいと思わせた。
【関連する記事】