世界の芸術家にも大きな影響を与えたといわれる葛飾北斎は、75歳のときに「富嶽百景」を完成させた。
そのあとがきには、「70歳までに描いたものは、取るに足らないものだった。73歳にしてようやく鳥や獣、虫や魚、草木の本当の姿を描くことができた。きっと90歳になったらその奥儀を究め、100歳になれば人智を超えた域に達することができるかもしれない」、とあり、実際は90歳まで生きたとされる。
晩年は家財道具も一切ないほどの赤貧を極めたが、北斎のその輝かしい作品群は残った。
禅では、泥縄式の人物を鈍器として尊ぶ。時間という尺度で物事をとらえ、効率を考えたり、損得、優劣で判断する小ざかしさをきらうのです。
時間のスケールの中で考えましたら、間に合う、間に合わぬ、役に立つ、立たぬなどの価値判断が出て来てしまいますが、とにかく、今、必要になったのだからやりましょう、効果の有無ではない。一切は神にお任せしておいて、私は今、ここで必要になった、この一事をやるだけだ。
これを禅的〈泥縄式生活法〉といいます。元祖は達磨大師だそうです。
インド屈指の高僧であったダルマさんとして日本でも知られる人物、達磨氏は、多くの弟子、信者に囲まれて暮らしていました。そんなダルマさんに、ある日、天命が下ったのです。
『インドでは、もう仏教は亡びてしまう。ここから西方に中国という国があって、次に仏教はそこで花咲き、実を結ぶことになる。汝は中国に行って禅仏法を伝えなさい』その時、ダルマさんの年齢は何と83歳でした。その当時の旅行ですから、中国にたどり着くのに3年もかかったそうです。
中国に到着して、方々の国を巡ったのですが、受け入れられず、インドからやってきた放浪僧ということにされてしまいました。部屋も与えられず、廊下のすみっこで、赤い毛布にくるまって座禅をしておられたそうで、そのダルマさんの姿を写したのが、いわゆる“ダルマさん人形”です。ダルマさんは、こんな風に、誰に知られることもなく9年間も壁に向って座っておられらのです。これを〈九年面壁(めんぺき)〉といいます。9年目にしてようやく神光という弟子がたった一人できました。
その次、その次と、細々と法が伝わってきて、6代目の慧能という方の代になって、ようやく中国大陸全体に、大きく禅仏法の花が咲き、実がなったのです。ダルマさんの念願が実現するまで、実に百年以上の歳月がかかったということですが、志は実現されたと言えます。
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