話は変わりますが、ウズベキスタンの水システムの研究をしている方の興味深いお話しを聞きました。
中央アジアにあるアラル海の驚くべき干ばつの問題について研究しようという若手研究者から、かつてはオアシス的存在であったアラル海は、塩度の高い湖だったが、水辺のあることで気温・湿度が一定の過ごしやすい環境に保たれ、動植物が多様に存在していたが、それが激変している事実を聞きました。
ソビエト時代に無謀な灌漑用水路計画を推進の結果、1960年代には年平均 20 cm、1970年代には年平均 60 cm と猛烈なペースで水面が低下し、急激に縮小をはじめ、なんと、一晩で数十 m も湖岸線が遠のいていく。そのため、退避しそこなってその場に打ち捨てられた船の群れが後に「船の墓場」として惨状となってしまった。これからでも、日本の技術力をもってして、多少とも状況を改善できないか、と研究に取り組んでいるというので、手賀沼の治水の歴史と重ね合わせてしまった。
Youtubeには、これまで海外で灌漑に取り組んできた技術者の話が、投稿されてあったので、日本人の取り組みを振り返ってみてはとブログに掲載してみます。
鳥居信平:台湾南部を潤した日本人技師
NHK「JAPANデビュー」では、山梨県出身、80年以上も前に、台湾南部に画期的な地下ダムを建設し、人々に安定した生活をもたら-せた。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=1k4n-TCjZwo&feature=endscreen
八田與一:鳥居信平の大学の後輩で、同様に台湾の農民のためにダムをつくった。