猪瀬都知事の失言が、オリンピック招致で問題になったが、イスタンブールと接戦かなどと争う前に、国際的視野にたって、これまでのトルコー日本の関係で、忘れてはいけない歴史認識があるのではと娘が聞いてきた話しを教えてくれました。探してみると、Youtube動画にもなっていたのでご紹介します
★串本町(和歌山県)―トルコのエルトゥールル号の遭難事故で多くのトルコ人を助けた
95年後、トルコ航空機による日本人を優先救出にいたる歴史実話★
概要:日本とトルコの友情の返礼
串本での遭難事件から95年の月日が流れた1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領は、3月20日午後2時(日本時間)以降、イラン上空を飛ぶ航空機をすべて撃墜する旨の声明を発した。各国は軍用機や民間機のチャーター便を派遣して自国民の保護に努めたが、日本は自衛隊を海外派遣できないうえに、政府が日本航空に救援機の派遣を求めるも、同社の組合が安全性などを理由に反対したことで、日本人の保護ができない事態に至った。
当時、イランに駐在する野村豊大使が困り、在イラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏に相談したところ、なんとトルコが救援機を派遣して日本人を救出することになったのである。このとき、トルコ大使は「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号遭難事件の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」と語ったという。そして、ほんとうにトルコ航空の飛行機2機がテヘランに派遣され、215人の日本人は全員救出、トルコ経由で日本に帰国できた。日本人を乗せた救援機がイラン領空を抜け出したのは、期限の1時間15分前。少し遅れたら、撃墜される可能性もある危険な飛行だった。救援機の派遣を決めたトルコのトルグト・オザル首相(当時)は、他国民を助けるために、自国民を危険にさらす決断をして、日本人を優先的い救出してくれたのだった。
2013年05月04日
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