初の英国女性首相となったマーガレット・サッチャーが8日に亡くなった。87歳だった。
内政や外交の場で数多くの名言を残した政治家としても知られています。
教育相だった1973年には、「私が生きている間は、女性の首相が誕生するとは思わない」と述べましたが、その6年後にみずからがイギリスで初めての女性の首相に就任しました。
オーックスフォド大学で化学を専攻、企業に勤めた後、1950年に英国下院議員選挙に出馬落選、1959年初当選しました。
首相に就任した1979年には、「私は意見の一致ではなく、相手を説得する政治家だ」とか、「家庭の問題を理解している女性は、国家の課題も理解できるだろう」などと述べ、それまでの首相との違いを強調しました。また、1982年にイギリスが実効支配している南大西洋のフォークランド諸島を巡って、領有権を主張するアルゼンチンとの間で「フォークランド紛争」が起きると、「私たちは決して後戻りはしない」とか、「領土の奪還の知らせをうれしく思い、わが軍をたたえたい」などと述べ、一歩も引かない強硬な姿勢を貫きました。
さらに、東西冷戦期には当時のアメリカのレーガン大統領と共に、反共産主義の旗手でありながら、1984年にソビエトの書記長に就任する前のゴルバチョフ氏と会談したあと、「彼が気に入った。一緒に仕事をすることができる」と述べ、いち早くゴルバチョフ氏を評価し、冷戦の終結に向けた流れに大きな影響を与えました。
一夜明けたロンドンでは、首相官邸で前日に続いて半旗が掲げられています。
9日付けのイギリスの新聞各紙は、一斉にサッチャー元首相の足跡を振り返る特集記事を組みました。
元首相が進めた大胆な改革は、揺りかごから墓場までと謳われた福祉制度にメスを入れるなど、国民の厳しい批判を受けたものの、国を大きく変革させたと、評価する論評が目立っています。ガーディアンは元首相が進めた国営企業の民営化などの大胆な改革が多くの失業者を生み出し、国民から厳しい批判を受けたとしたうえで、「よきにつけ悪しきにつけ、国を作りかえた人物だった」と伝えています。
また、デーリー・テレグラフは「サッチャー氏が首相になっていなかったら、イギリスはさらに貧しくなっていただろう」と論評するなど、サッチャー元首相は国を大きく変革させた人物だったとする評価が目立っています。ロンドンの市民からは、「サッチャー元首相はすばらしい女性であり、国の誇りだ。国民にとって厳しい政策もあったが、必要だったと思う」という声が聞かれました。
首相官邸は元首相の葬儀がロンドン中心部のセントポール大聖堂で、今月17日に執り行われると発表しました。
2013年04月09日
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