今日の午後は、水の館で手賀沼のシンポジウムにてお話しを聞いていた。その水の館の前にあるのが我孫子市鳥の博物館だ。先月20日は「鳥の博物館」に設置のお天気カメラで、空に光る物体を確認されて隕石の光だと話題になった。当時、神奈川県を走っていた車の車載カメラにも、青白い光がキャッチされるなど、同じ時間に多数の隕石落下かとの目撃証言があった。大きな爆発音を聞いたという人も多く、先日来より話題となっていた。そして、昨日のロシアに落ちた隕石はやたらに大きくて建物を破損していたから、地震や津波だけでなく、空から飛来するモノまで、世の中で何が起きるか分からない。
杉浦直治教授(東京大学・惑星科学)は「これは、『火球』と呼ぶんですけど、これが地上まで落ちてくれば、隕石と呼びます。隕石として地上で発見されると、学問的にも、いろいろ面白いことがわかるかもしれない」と話した。北朝鮮が核実験をするとかの不安材料からしたら、隕石は自然界、宇宙の摂理で我慢するが、人間が関与する国際社会は平和構築を目指さなくてはいけない。私たちが生きているということはこうした危険・懸念と常に一体になっているということでもある。
さて、隣国・韓国では新大統領が就任する。しかも、前朴統領の娘であって、真に日本との国交正常化に尽くされた方だった。
故福田赳夫が韓国を訪問した際、酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のある高官が過去の日本統治時代を批判する旨の発言を始めたところ、朴正煕大統領は彼をなだめたうえで次のように語った。
「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。」(「日韓 禁断の歴史」 (p.212 金完燮 2003年発行 小学館 )
また、無名の若者たちが国の近代化を推し進めた明治維新について「明治維新の志士を見習いたい」と称賛していたと言われる。特に、中心人物の一人である西郷隆盛を尊敬し、西郷が語った「子孫のために美田を残さず」という言葉を好んで使っていた。こうしたことから、前述の浦項製鉄所や石油化学工場の建設の推進、さらに維新体制の確立など、経済政策やメンタリティ等あらゆる部分で日本の影響を色濃く受けていた事が伺える。
日本との関係を真剣に考えていたとされ、竹島をめぐる領有権問題について「両国友好のためにあんな島など沈めてしまえ」と発言したとも言われている。
酒を飲んで機嫌が良くなると、よく日本の軍歌を歌っていたと言われている。
前朴大統領は自著『国家・民族・私』で、「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない。わが民族史を考察してみると情けないというほかない。われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
また、自著『韓民族の進むべき道』で、李氏朝鮮について「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である。今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである。今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」
さらに『韓民族の進むべき道』で、韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として、事大主義、怠惰と不労働所得観念、開拓精神の欠如、企業心の不足、悪性利己主義、名誉観念の欠如、健全な批判精神の欠如などを挙げていた。
愛妻家ではあったが、 陸英修夫人(暗殺の凶弾がそれて夫人が亡くなった。韓国では結婚後も旧姓を名乗る。)とは見合いを経て結婚したが、恥ずかしがり屋であったために、見合いの際には酒を飲んでから臨んだとか。陸英修夫人とは終生、ただの妻以上に尊敬し続け、家庭内では夫人が「青瓦台(大統領官邸)の中の野党」の役割を果たし、政治的な助言も惜しまなかった。もし夫人が生きていたら、政権の末期もかなり違っていたかも知れないと言われるほどだった。
朴正煕は自身の政治家としての潔白さを証明するため、親戚のソウルへの立ち入りを禁じていたという。独裁的でありながら彼の私生活はいたって質素潔癖であり、ネポティズム(縁故採用)も嫌っており、韓国大統領の中で極めて清廉潔白な大統領とされ、汚職も見られず、彼の死後には私有財産がほとんどなかった。そのため保守派を中心に彼の治世を懐かしむ声さえ存在し、韓国の発展に最も大きく貢献した韓国歴代大統領ともいわれている。韓国大統領の人気ランキングでは、朴正煕がダントツ1位の75.8%、金大中が2位の12.9%に選ばれている。
過去に政敵であった金大中が、大統領選を控えて保守票を取り込むために朴正煕時代の経済発展を評価するに至って、韓国近代化の礎を築いたという声が高まった。また、終生のライバルであった北朝鮮の金日成に体制競争を挑み決定的な経済格差を付け、経済格差によって南北の力関係が大きく変化したことは東アジア地域の国際関係にも変化をもたらした。経済パフォーマンスを体制の正統性の根拠としてアピールしたのはむしろ朴正煕登場以前の北朝鮮であったが、北朝鮮は経済面のみならず人民に対して支配を正当化するうえでも苦境に陥っている。
前朴政権に於いて実現した「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げ、韓国を中華民国(台湾)・シンガポール・香港と並ぶ「アジア四小龍の一つ」とまで言わしめる事となる足がかりを作った事や、治安の良さを再評価する動きが出て来ていた。支持者からは「独裁政権」ではあるものの、日本から経済援助を引き出し、韓国に秩序と経済発展をもたらしたのも事実であり、また人事面においても釜山市の都市建設で力量を発揮した工兵将校出身の金玄玉をソウル市長に抜擢するなど、格式を無視して有能な人材を要職に登用した。かつて朴正煕批判で職を追われたことがある趙甲濟も、「日本の一流の教育とアメリカの将校教育を受けた、実用的な指導者だった」と、朴暗殺事件の取材を通じて以前の否定的な見解を変えていた。
最近のネットユーザーからは「親日派として罵倒するのは問題がある」、「朴正煕大統領が親日派だったら、日本統治時代に生まれ育ち、日本の教育を受けた人はみんな親日派ということだが、親日派でも国民生活の向上に力を入れたことは評価すべき」、「韓国が発展できる基盤を作ったことは重要」と、功と過を正しく評価すべきとの声も多く上がっている。
参考:Wikipedia
2013年02月16日
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