伊勢神宮には、式年遷宮という、20年ごとにお社(やしろ)を建て替える儀式があります。そして、2013年がその式年遷宮の年です。この第62回の遷宮には、造営の木材が約1万本、萱は2万3000束、ヒノキは大きなもので長さ10メートルを超えるものが必要です。約550億円もの金額になりますが、国の補助はないということです。遷宮ではお社を新しくするのみならず、2000種類近くのご装束や、500点に及ぶ御神宝や神具も古式そのままに、すべて新たに造り替えられ、その精神を、「常若(とこわか)」というのです。伊勢神宮では、1300年にわたって20年ごとに神宮で使う全ての祭具や装束や建物を、全て新しく作り、その技術まで伝承してきているのです。
時代や精神を継続するには、この「常に新たに、日々に新たに」という気持ちも重要なことだったのではないでしょうか。それが現代まで続いている慣わし、新年を迎える気持ちです。
一つの例を挙げると、海の正倉院といわれる九州の沖ノ島にある宗像大社は神の島として長い間、一般の立ち入りが禁止されていた場所があり、1954年に初めて祭祀遺跡の学術調査が行われましたが、その時に出土したのが、約12万点以上の祭祀遺品については、その使い方や名前がわからないでいました。そこで、伊勢神宮に問い合わせたところ、なんと、ほとんどの祭祀遺品の使用と名前が判明したのでした。1200年前の出土品では、まさか取り扱い説明書などが一緒に埋まっているはずがないのですから、使い方や名前が分かる所があるわけないのです。問い合わせて判明できる伊勢神宮のようなところは、世界中どこを探してもありえないことでしょう。つまり、1200年前の、沖の島の出土品がそっくりそのまま伊勢神宮では、今も使われているということだったので判明したのです。
技術の伝承は、20年が限度といわれる現在、新旧交代が益々激化しています。それでも、若い人が20歳だとして、その上の親方が40歳、その上の棟梁が60歳という年齢構成だと技術は廃れずに継承できるのです。一見無駄のように思える20年ごとのご遷宮が日本人の叡智と技術の伝承を守り続けてきた。日本のルーツでありDNAである伊勢神宮を守っていくことは、歴史や伝統という日本そのものを守ること示しているのでしょう。
そこで、江戸時代には、おかげ参りといって一生のうち一度はお伊勢さまにと、人口の6分の1の5500万人が参詣したといわれます。江戸からだと一日40キロを歩いて約2週間かかる場所です。現代人が歩いたなら恐らくその倍はかかる場所でしょう。つまり、当時の人でも一日に10時間歩かないと達成できない距離でしたが、そこまでしても昔の人はお参りに行ったのです。それほどに古くから、大切にされた伊勢神宮。
何ごとの
おわしますかは
知らねども
かたじけなさに
涙こぼるる (西行)
2000年続く伊勢神宮には、今も人々のお参りが絶えることがありません。常に新しく生まれ変わる、常若(とこわか)の神宮には、何か目には見えない、おごそかで、涙が流れるような深い感動があるのだということです。日本の心のふるさとを見直して大事にしたい、新年を迎えられることに感謝です。
今年は、国際的な見地から日本についての研究を進め、ふるさと我孫子の振興を図っていきたいと思います。
2013年01月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック