ひどいイジメだった。胃潰瘍ができた。
毎日毎日、恐怖が続いた。
いまもそのトラウマが残っている。
僕がボクシングを始めた理由。それは、中学のときのイジメだ。
相手に仕返しするためじゃない。自分の身を守るため。
パンチを打つのではなく、相手のパンチをよけるため。
僕は強くなりたいと思った。
僕は北海道の豊浦町で生まれた。
家は貧しかった。サビだらけのトタン板で囲われた木造二階建て。
窓は木枠でできていたけれど、きっちり閉まらない。
毎年、冬の寒さをしのぐため、ビニールを打ち付けて、窓をふさいでいた。
僕には父親の記憶がない。僕が生まれてすぐに離婚したらしい。
母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、朝から晩まで忙しく働いた。
なにも買ってもらえなかった。
中学時代当時の僕は、身長が140センチくらい。相手は170センチ以上あるやつもいて、喧嘩してもかなわないと思った。僕は笑いのものされ、使いっぱしりをさせられ、それでもご機嫌をとり、媚を売りながら生きていた。
母親には隠していたけれど、ある日、お腹が痛くて病院に行くと、胃潰瘍ができていた。
中学三年になって、さらにイジメはエスカレートした。モノを隠され、靴を捨てられ、服を脱がされた。
もう、限界だと思った。
カラスやスズメ、虫でもいい、人間以外のものになりたかった。学校に行きたくなかった。
そのとき、佐々木先生が異変に気づいてくれた。
先生は、小さくて、運動神経がよくて、サッカー部の顧問。歳は25歳くらい。
生徒との距離が近くて、冗談が通じるやわらかい雰囲気を持ったひと。
その佐々木先生がホームルームで、こう切り出した。
「最近、誰かが、誰かをからかっている。特定のひとに、ひどいことをしている。
誰がやっているか、思い当たるひとは手をあげろ!」
誰も答えない。すると先生は、大声であいつの名を呼んだ。
「おまえのことを言ってんだよ!!」
シーンとなった。僕は、ビックリした。
すごいと思った。こんな大人もいるんだと思った。
先生が叫んでから、イジメはおさまった。
僕は、ボクシングを始めた。
不思議なことに、強くなると、やり返そうという気持がなくなった。
「先生のひとことで、救われたんだよ」
フライ級の日本一になって北海道に帰ったとき、先生にそう言った。
先生は、変わらぬ優しい笑顔で、小さくうなずいた。
『心がギュッと強くなる本 大切な人への手紙23通』(プロボクサー内藤大助) PHP研究所
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昨年、滋賀・大津のいじめ事件で中2男子生徒のいじめを苦にして生徒が自殺。亡くなった生徒の親の訴えで、滋賀県警は専従捜査班を立ち上げ、中学校や大津市教委に異例の家宅捜索をして、いじめをしたとみられ当時14歳の同級生2人(いずれも15歳)を暴行、器物損壊、窃盗の疑いで大津地検に書類送検した。刑事罰に問われない当時13歳の同級生(15)も児童相談所に送致した。県警は個別の内容を明らかにしていないが、計13件のいじめ行為を立件した。「自殺の練習をさせられていた」というショッキングな証言も出てきて、いじめと自殺の因果関係については「結論を出していない」としていた。
別に、同校の女性教諭に重傷を負わせたとする傷害の疑いで、同級生3人のうち1人を書類送検した。
2012年12月30日
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