2012年11月13日

幸福を目指して、哲学をもつ

ダライラマ法王と利根川進博士との対談をメインにした講演会にいったきた。人々を幸せにするために仏教と言う哲学をどう使えるかだという法王、脳科学の研究によって人がどのような能の部分が働いていくのかは研究の途上で科学では分かっていないことのほうが多いと言われた。

アメリカ心理学会会長、マーティン・セリグマン氏は、ミルウォーキーにある、ノートルダム教育修道女会の修練院180人のシスターの、幸福と長寿との関連を調査した結果がある。

修道女たちは、世間から隔離され、毎日決まりきった生活を送っている。彼女たちは毎日、ほとんど変わらない質素な食事をし、酒も飲まずタバコも吸わない。経済上も社会上も同じ階級に属し、同じ医療機関を利用する。このように生活環境はほぼ等しいが、修道女の寿命や健康状態には大きな違いがみられた。

180人の修道女全員が見習い時代に書いたものを注意深く読んでいくと、そこには注目に値する相違点があった。ある修道女は、「とても幸せ」や「心からうれしい」というポジティブな感情をあらわす言葉を使っているが、別の修道女はこうした言葉をまったく使っていない。

また、修道女たちのポジティブな感情量を調査したところ、最も快活なグループではその90%が85歳になっても生存していたのに対し、最も快活でないグループでは34%しか生存していなかった。この調査では、不幸の表現度、将来への期待度、信心深さ、略歴内容の知的レベルや複雑さといった要因が検証されたが、いずれも寿命との関連性は見られなかった。

「寿命の違い」をもたらしたものは、それぞれが記した略歴にあらわされているポジティブな感情量の違いだけだった。すなわち、「幸福だと感じた修道女」=「長生き」だったということになる。一回でうまくいかなかったことも、長生きしていると次には上手くいくこと、成功に近づくラッキーにも遭遇できる。

セリグマン氏は、「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!」と言う。
物事を、楽観的に考えるのか、悲観的に考えるのかで、生き方は180度違ってくる。

例えば、「道で転んでケガをした。今日はツイてない」とボヤく人もいれば、反対に「この程度で済んでよかった」と感謝する人もいる。事実は一つだが、物事の見方には常に両面がある。


『世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ』(シェークスピア)

楽観的であるか、悲観的であるかは、考え方のクセのようなものかもしれない。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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