2001年「9・11事件」、ニューヨークのマンハッタン島で、世界貿易センターの2棟の高層ビルがテロリストの攻撃を受け、多くの人命が奪われました。事件が起きてから1ヶ月後、日本全国から11人の消防官が集まって、まだ混乱の残る被害現場で消防・救助活動を手伝うために海を渡りました。この11人の消防官たちは、日本政府や消防庁が派遣したのではありません。自らの意思で、休暇をとっての「ボランティア」でした。
この年の6月に『世界警察・消防競技大会』がアメリカで開催されましたが、そこに、日本の代表として選ばれて出場した、世界レベルのトップ技術を持った消防官たちです。大会で知り合ったニューヨークの消防官から、「仲間が行方不明になっている。助けて欲しい」というSOSのメールが入ったのです。
横浜市の消防局に勤務する志澤公一さんは、それを読むと、一緒に競技大会に出場したメンバーに声をかけました。そして、11人の消防官が集まったのです。
現場に急いだのですが、アメリカ政府は「消防」の目的とはいえ、事件が起きた中心部への外国人の立ち入りは、厳しく制限していました。規制線の張られた外側で、もどかしい思いで情報の収集を行なっていると、一人の高齢の牧師さんと出会いました。
その牧師さんは、志澤さんたちが日本から駆けつけた消防官だと知ると、こんな話を始めました。
「私が第二次世界大戦に参加した兵士だったとき、沖縄に上陸して日本人に銃口を向けたことがあります。
それなのに、その日本から我々を助けにきてくれている。心から感謝します。
ぜひ、あなたたちに手伝っていただきたい」
その牧師さん、実は、ニューヨークの消防官のOBでもあったのです。
そして、すぐに異例ともいえる特別な許可が出て、牧師さんが案内するままに、立ち入りのきびしく制限された現場の中心部にまで入ることができたのです。
その日の作業が終わって、11人の消防官たちはホテルへと引き上げることになりました。
そして道を歩いていると、驚くようなことが起きたのです。
道ですれ違うアメリカ人たちが、志澤さんたちの姿を認めると、駆け寄ってきて、口ぐちに「サンキュー・ベリーマッチ」と声をかけ、時には「アリガトウ」と日本語で話しかけて、さらに握手を求める輪ができたのです。実は11人の活動を、地元のテレビ局が報道していたのです。
しかし、さらに驚くようなことが起きます。
夜、地元ニューヨークの消防官が、今回の活動をねぎらうため、簡単な夕食会をしてくれたときのことでした。大きなレストランの片隅の席につき、注文を決めていると、突然、店にいた男性が立ち上がり、店内に向かって大きな声で叫んだのです。
「みんな聞いてくれ!
日本から私たちを助けにきた消防官のボランティアが、ここに座ってるんだ!」
それまでにぎやかだった店内が一瞬、静まりかえると、次にはすべてのお客さんが、ナイフやフォークを置いて立ち上がり、拍手をしたのです。最大の賛辞を贈るという意味が込められた「スタンディングオーベーション」です。
そして、数分間も続いた「拍手」も鳴りやみ、ではあらためてとメニューを開いていると、注文をしていない、食べきれないほどの料理が次から次へとテーブル上に並んだのです。
ニッポン放送“上柳昌彦のお早うGood Day!”で放送
* * *
スタンディングオーベーションは、満場総立ちで感動や賛辞を拍手とともに贈ることです。「ありがとう」の感謝の言葉は、疲れも吹き飛ばしてしまう力もある。
アメリカでは、アフガンやイラクなどの戦地から帰還した兵士たちが、空港に現れると、通りがかりの見知らぬ人たちが、口々に「サンキュー」と言い、拍手もおこるという。
日本においても、東北大震災で活躍し、引き上げる自衛隊員に、「ご苦労さまです」と頭を下げたり、横断幕で「ありがとう」と書き、拍手で送るというシーンがたくさんの場所で見られました。しかし、もっとも線量の高い現場で必死で働く福島原発の作業員は、人の気配もない廃墟のなかで、何の言葉かけもカメラで働きぶりを映し出されることもないので、拍手が起きようはずもないのです。恐ろしいことに、夏の作業に疲労がつづき、被ばく量がまともに測られていなかったり、明らかな健康被害に見舞われるだろう恐怖の作業だという事です。8月22日、作業員が体調の急変を訴え心肺停止で亡くなって、震災後、福島原発の作業員がなくなったのは5人目だということです。この男性の累積の被ばく線量は約25ミリシーベルトだったため、直接、被曝線量とは関係がみられないというが、今のところ原因不明という。
参考:MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120822/dst12082220030008-n1.htm
2012年08月23日
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