2012年08月10日

「戦場のなでしこ」、青葉慈蔵尊(埼玉)

「日本が再び満州にきたら、
   私たちが道案内をします」

 埼玉県大宮市の「青葉園」、故山下奉文陸軍大将御墓近くに「青葉慈蔵尊」がある。左手に看護婦(現代表記では看護士であるが当時の記述のまま)の制帽をもち、ほほえみをもった地蔵は、ソ連に抗議し、集団自決した22名の看護婦の惨劇を記録に留め、伝えている。満州で敗戦を迎えた日本軍の看護婦たちが、南下してきたソ連軍の慰安婦にされたり、集団自決を決行して純潔を守るという、看護婦置き去りの悲惨な実話は映像化もされたが、現代で知る人は少ない。
 
 昭和20年8月9日、長崎への原爆投下によって混乱する最中、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州から北朝鮮、樺太、千島に進軍してきた。昭和21年春には、ソ連の占領下となった旧満州国・新京の第八病院の看護婦34名が抑留されていた。ソ連軍による看護婦の派遣要請があったため、堀看護婦長は日本帝国軍人であろうが、ソ連軍兵士であろうが、ナイチンゲール精神をもってその派遣に応えることにした。

 その後、派遣要請は3回まで続くが、派遣した9名は消息不明のままだった。4回目、3名の派遣命令がきたその夜、最初に派遣された大島看護婦が命からがら、満身創痍、瀕死の状態で逃げ帰り、それまで派遣された看護婦がソ連軍兵士から、性的な陵辱を受けていることを報告し、そして息絶えた。

 大島看護婦を葬った22名の看護婦たちは、日本女性の誇りと純血を守り抜こうと、6月21日、制服制帽整然として枕を並べ、青酸カリを飲み、抗議の自決をしたというのだ。

そのときの遺書は、以下の通りである。

      遺 書

 二十二名の私たちが 自分の手で命を断ちますこと
 軍医部長はじめ婦長にもさぞかし御迷惑と深くお詫び申し上げます。

 私たちは敗れたりとは云えかつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。

 たとえ命はなくなっても 魂は永久に満州の地に留まり 
 日本が再びこの地に還って来る時、ご案内致します。

  昭和21年6月21日 散華
  旧満州新京(現長春)
  通化路第八紅軍病院

 荒川さつき 大島花枝 川端しづ 相楽みさえ
 澤本かなえ 杉まり子 垂水よし子 林千代
 細川たか子 吉川芳子 池本公代 稲川よしみ
 大塚てる 五戸久 澤口一子 三戸はるみ
 杉永はる 中村三好 林律子 森本千代
 渡部静子 石川貞子 井上つるみ 柿沼昌子
 沢口千恵子 沢田八重 柴田ちよ 田村馨
 服部律子 古内喜美子 山崎とき子


 この話は宇津井建、大空真由美らも主演、「戦場のなでしこ」という映画にもなっている。
 派遣された9名のうち、命からがら逃げ出した大島看護婦は亡くなったが、3名は梅毒をうつされて体を壊しながらも、堀看護婦長らに稼ぎだした費用を手渡すと自決、3名は行方不明、1名はソ連軍将校と結婚した。
 昭和23年、9月のある朝、その日午後七時、南新京駅に集結という、突然の帰国命令が出た。堀看護婦長ら34名のうち、自決した看護婦の二十二柱の遺骨を持ち帰った。艱難辛苦の末に青葉園の理事長吉田亀治氏に話が伝わっり、山下奉文将軍の副官を勤めたことがある元陸軍歩兵大尉であってた氏が、その青葉園の一角に地蔵尊を建立し供養してくれることになったのが青葉慈蔵尊である。

女性たちは日本赤十字より派遣されていた先が「満州赤十字」に所属していたという理由を以て「日本」の従軍看護婦として扱われることもなく、国から何の援助も弔意も受けていないという。

参考資料:http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1186.html
posted by Nina at 07:32| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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