2012年06月18日

国際ビジネス、観光につながる麺なる戦い

★経済危機、ギリシャEU離脱なんとか凌ぐ
日本時間、朝5時、ギリシャ再選挙は緊縮派、ユーロ残留派が勝利したことが分かる。やれやれ、世界恐慌も引き起こす懸念材料でもあり、当面の金融市場のさらなる混乱は避けられた。好循環に歯車が動き出すように、スペインの銀行健全化が進むと、ユーロ買い戻しになって安定するし、円安、株高につながって、被災地復興も確実になっていけると思う。米国の追加緩和も大事、そして消費税増税への歩み寄りの今後がどうなるかだ。

持続可能性を加味した発展、我孫子の経済活性は大事。柏の事情とは雲泥なのは誰も認めるところだろう。土曜日も、観光学科の報告会に行ったが、そこで、柏が駅前ダブルデッキを活用するストリートミュージシャンの取り込み、カジュアルファッションの店舗展開の成功事例として取り上げての発表があった。こういうのを聞いていると、我孫子人としては、なんだかいてもたっても居られなくなる。我孫子の良い所を知らせて、来てほしい、持続可能なまちづくりとは何を目指せば、確実な歩みになるのか。

昨日、日曜日は友人の芝居仲間の舞台を柏Studio Wuuで見てきた。こういう場所は我孫子にはない。人が集めることが出来るとそこへ、モノが集まり、金が寄せられ、人とアイデアが湧いてくるのではないか。考えているだけでは始まらない。

★香川県の観光まちづくり
2年程前、我孫子の活性化の為にも、観光計画策定をすべきだと、議会で質疑をしたことがあった。その際に視察から持ち帰った香川県の観光計画を担当課にも手渡した。非常に立派な冊子だったが、考えてみれば、直島を配した瀬戸内国際芸術展の大成功がある香川であるから、観光に取り組む姿勢、マスコミを誘導する術、世界を意識に入れている戦略も考えようとしている。それは、根底に当時の県全体にあった生活苦からの脱却にかける観光への期待があったからのようだ。

そんな、香川県民の生活の中でうどんは特別な位置を占めている。少し、実態を見てみることにした。うどんは観光客向けの名物というよりは、老若男女問わず県民の生活に密着した食物・食習慣となっているのだと知ったからだ。香川県知事選に出馬の女性議員を応援して以来、香川に注目していたが、独特の麺のコシとダシにうま味があった。

2009年の生産量は59,643トン(小麦粉使用量)、全国1位であり、2位の埼玉県の2倍以上となっている。1980年にはわずか5%でしかなかった国内シェアは、以後四半世紀で四半分に迫るほどの伸びを見せたのだという。ある統計では県民一人あたりの年間うどん消費量は230玉、朝に、昼に、晩に、と食べて、週に何杯ものうどんを平らげているのだと真顔で言う。安いうどんのおかげで、県民の貯蓄率が全国一高い、したたかに生活している人々だ。そしてもちろん県外に出て、戻ってくればうどんを食し帰郷を実感する、県民全体が真のうどん愛好家だ。“ぶっかけうどん”、にはびっくりしたが、その後我が家の人気メニューに加わるほどだ。

うどんにまつわる地域行事も存在する。半夏生(7月2日頃)にうどんを食べるという慣わしがあり、この習慣に基づき、さぬきうどん協同組合が毎年7月2日を「さぬきうどんの日」と制定しているほか、大晦日には年越し蕎麦よりうどんを食べるし、2009年からは「年明けうどん」を県をあげてプロデュースするなどしている。

そこで、2008年3月、台湾で「さぬき」「讃岐」「SANUKI」「さぬきうどん」といった14の商標が現地の冷凍食品メーカーによって商標登録され、店名に「さぬき」を使用した現地日本人のうどん店に対し、2007年11月に権利保有企業が名称の使用停止請求を行った。このうどん店経営者は台湾の経済部(経済産業省)知的財産局に商標登録無効を求める審判を申し立て、2010年11月に同局がこれを認め商標登録を無効とした。この決定を不服とした権利保有企業側が取り消しを求めた行政訴訟を起こしたが、知的財産法院(裁判所)は2011年12月8日までに訴えを却下したが、全14件のうち判決が出たのは今回を含め4件だけで残りは継続中である。
上海在住の個人による「讃岐烏冬」名称の商標登録申請が問題化し、2009年8月にこの申請に対して異議申し立てを行ったことで、中国商標局はこれを認めない決定を下したことを、香川県が2011年7月19日に発表した。なんとも国際的なうどん闘争である。

★うどん立県、冷凍麺の革命
こうした、うどん立県のなれ初めは、1960年代半ばから香川県独自のセルフサービス方式のうどん専門店が登場し、1970年前後からはメニュー数種を揃えたうどん専門店も増え始め、現在に至る香川県におけるうどん店の状況が形作られたことからだった。1963年2月に高松駅の構内に立ち食いうどん店が開店した。当時、立ち食い蕎麦は全国の多くの駅にあったがうどんは前例がなかった。まもなく高松駅構内には2号店もオープンし、テレビなどで「食べる民芸品」として県内で味の評価の高い店が紹介された。

1969年には宇高連絡船デッキの立ち食いうどんコーナーが営業を開始した。また、この頃にポリエチレン包装など衛生面の進歩により保存期間が伸び、土産品としての販売も上昇してきた。1974年に加ト吉(現・テーブルマーク)が「冷凍讃岐うどん」で冷凍麺市場に参入し、製造・販売を開始。品質面において讃岐うどんの特徴であるコシの強さが出ていないとの理由から、当時の社長は直ちに改良を加え、製法や茹で方を研究し試行錯誤を重ねた末、新技術の開発や新装置を導入して「コシ」問題を解決し、1976年に新製品を発売した。

1980年代末頃より、香川県のタウン情報誌「月刊タウン情報かがわ(TJかがわ)」で連載された個性的なうどん店の紹介企画「ゲリラうどん通ごっこ」が評判となる。県内で「うどん屋探訪」がレジャーとして盛んになり、味に加えて個性的な店自体を楽しむ客が大きく増えた。

1988年には瀬戸大橋の開通が好影響を及ぼし、加ト吉「冷凍讃岐うどん」の売上が急増した。これ以降、主にTJかがわ編集部とその周辺のコミュニティによって、県内のみならず全国に向けたうどんブームの「仕掛け」がなされていった。まず、在京テレビ局のグルメ番組で、1992年頃より武田鉄矢や吉村明宏といったタレントと穴場うどん店を巡る番組が放送されはじめ、それは一過性のものに終わることなく引き続いていく。近隣の地方局でも情報番組などで穴場うどん店紹介を頻繁に取り上げる。やがて90年代後半には料理対決番組でのうどんVSそば、テレビ東京「TVチャンピオン」での「讃岐うどん王選手権」の定期開催など、うどんと穴場うどん店にまつわる露出が加速していった。

また出版物においては1993年に上記連載の単行本「恐るべきさぬきうどん」がホットカプセル(TJかがわ出版元)より県下で発売、後に新潮社より全国発売される。これは何巻にも渡って刊を重ねた。並行して、雑誌「レタスクラブ」「DIME」「Hanako」「AERA」などへの寄稿・アドバイスを精力的に行う。これらの書籍・記事に触発されたうどん遠征記なども書籍化された。公告プランナー佐藤尚之の「うまひゃひゃさぬきうどん」(1998年)もその初期の一つである。

これらの仕掛けは奏功し、1990年代後半からは県外からもうどん屋巡りを目的に香川へ出向くという観光が広がっていった。また同時期を通じて、香川県のうどん生産量は倍増し、田舎の「穴場店」に観光客が行列を作る光景が見られるようになった。ブームの「仕掛け人」とされるTJかがわ編集長・ホットカプセル社長(当時)田尾和俊は一躍文化人の仲間入りを果たし、多数の受賞のほか2003年には四国学院大学の教授職に迎えられた。田尾の成功物語は映画「UDON」として2006年に公開された。

★麺とり物語
香川県農政水産部は、20世紀後半から4度の讃岐うどんブームが起きたとする。田尾は第3次と第4次を連続したブームとしている。ブーム発生の年は以下のとおり。

第1次:1969年 最初の注目。立ち食いうどん、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスなどによる。当時香川県はPRのためキャラバン隊を組織していた。

第2次:1988年 瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、うどん店への客も増加した。一部の店が値段を高騰させるなどの問題も生じた[52]。橋の開通が好影響を及ぼし、冷凍讃岐うどんの売上が急増し、全国的に手軽な讃岐うどんとして普及していった。

第3次:1995年 田尾らの仕掛けによる香川県内のうどん店を巡る客の増加。引き続く全国区への「怪しい店」露出による県外からのうどん店目的の観光客の増加。

第4次:2002年 香川県外でのセルフうどん出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が増えた。

「セルフうどん」(セルフサービスのうどん店)は香川県外ではあまり見られなかったが、2002年にこのセルフ方式のうどん店が首都圏に開店した。丸亀製麺 松戸二十世紀が丘店 を皮切りに、日本各地で同様のセルフうどんが次々とオープンした。背景として「外食デフレ」の時代に合致した低価格路線の商材であったことや、スターバックスやドトールコーヒーショップなどセルフ方式を導入したコーヒーショップの普及で、飲食店におけるセルフ方式の懸念が払拭されたこと、B級グルメブームが挙げられている。この最初の出店ラッシュは2005年頃には一段落したが、その頃には廉価・手軽なファーストフードの一つとしてある程度定着し、ショッピング街やフードコート、主要な街道沿いなどで見かけることが珍しくなくなった。

香川県外で「讃岐うどん」が、既存の外食産業企業グループの多角化の1つとしてのチェーン・フランチャイズ展開が現在牽引しており、零細店舗がしのぎを削る香川県内とは様相を異にしている。そのため県外資本の讃岐うどん店チェーン企業は、本場香川県への逆進出には非常に慎重である。

2000年代後半より、セルフうどんチェーンの一つ丸亀製麺が出店攻勢をかけ、はなまるうどんを抜き店舗数首位に躍り出た。2000年代半ばをピークとして国内全体の麺類生産量が下落傾向である中、セルフうどんはなお右肩上がりで成長している。香川県外資本の讃岐うどん店チェーンは、さぬきうどん振興協議会によると(2012年時点)に上る。讃岐うどん店チェーンは日本国外に展開している。2010年、上海国際博覧会にはなまるうどんが出店(期間出店)。2011年には上海(はなまるうどん)、ハワイ(丸亀製麺)に、それぞれセルフうどんの常設店が開店していったのである。

2010年の香川県観光交流局の調査によれば、観光客は香川県の魅力としてうどんを69.0%でトップに挙げ、2位の豊かな自然や景色(37.1%)を大きく上回っている。旅行先として香川県を選択した理由のトップもうどん(43.2%、2位名所旧跡は23.9%)、観光客飲食状況も66.4%がうどんを食べた、など、名実ともにうどんは観光の目玉となっている。香川県観光振興課では2012年度もうどん県PR予算として7250万円を計上した。

丸亀高等技術学校では2003年より毎年、うどん職人を養成するさぬきうどん科(3か月、職業訓練)を開講し、卒業生の県内外での新規開店や就職に実績を挙げている。かつて存在した瀬戸内短期大学には、さぬきうどんインストラクター養成という教育課程があった。

日経リサーチの隔年調査では地域ブランドの総合力において讃岐うどんは350品目中1位となり(2008年、2010年連続)、観光客は行き先選択の理由、香川の魅力の第一にうどんを挙げ、ついには香川県庁および香川県観光協会はうどんを全面的に推しだした観光キャンペーン「うどん県」をスタートさせたくらい戦略的に取り組んでいる。

ご当地ラーメン、富士見やきそばB級グルメ、その走りが讃岐うどんだったのではないか、恐るべき香川県、何気ない「うどん」なのかもしれない。一人や二人で何が出来るか、という事はあるのですが、「いいものを知ってもらいたい」と本気の人達が増えて、必死で知恵を絞ると良いものが認められていく善き例だろう。

ところで、私がいきつけ(?)の整体院の施術師の一人は香川の出身で、よくうどん談義をしたものだが、ついにお金を貯めて地元にもどり整体院を開業した。あっぱれ!!!
posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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