ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘、母親がインド大使に着任時に、アウンサンスーチーはデリーで学ぶ。1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリス(1946-1999)と結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務めるなどして、その後1985-86年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究を進めたことがあった。1988年、母親の看病で帰国した際には学生運動が激化しており、その際に全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁された。国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否、軟禁生活が続いていた。1999年3月、夫が癌で死亡するまでにも夫のビルマ入国を再三の要請したが軍政は拒否した。再入国拒否の可能性があるアウンサンスーチーは出国できず、夫妻いちども会うことができなかった。髪に差している鮮やかな花の髪飾りは、再会することなく死別した英国人の夫とかつて誕生日に贈りあったバラ花の品種だった。彼女にとってこれをつけることが無言の抵抗の証となった。

ミャンマーに住むビルマ民族は性別に関係なく姓を持たない。アウンサンスーチーの「アウンサン」も姓や父姓ではなく、個人名の一部分に過ぎない。彼女の名前は「アウンサンスーチー」で、原語では分割することはない。したがって、彼女のことを「スー・チー」「スーチー」などと呼ぶのは誤りとなる。ただし日本の新聞や報道などでは便宜上短い表記を使うことがほとんどとなっている。日本の大手メディアでは毎日新聞が1996年から、朝日新聞が2012年から「アウンサンスーチー」と表記しているがそれ以外は「アウン・サン・スー・チー」と表記している。日本留学の時に、日本映画「ビルマの竪琴」を鑑賞していた。
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