九州電力玄海原子力発電所の立地自治体である佐賀県玄海町の原発に隣接しているにもかかわらず、唐津市はプルサーマルや再稼動について、同意・不同意の権限さえ与えられてこなかった。原発利権に依存する玄海町長と、元九電社員を父に持つ古川康佐賀県知事の九電の身内同然とも言える二人に異論があるはずがないと九電は決めてかかっている。原発から10キロ圏の唐津市内には原発事故時の緊急事態応急対策拠点施設「オフサイトセンター」があるような原発の前線基地だけれど、唐津市民から九電や国にモノを言う権利は許されない。ところが唐津市と原発のある玄海町と合わせた人口では、95%が唐津市に集中している。唐津市が県に提出した意向書は、プルサーマル計画の時と同じように無視された。玄海町と県、九電間の合意だけでいいはずがないのに圧倒的に人口の多い唐津市のことが考慮にされない、民主主義の不在だと住民らは言っている。助けてくださいと言いたくても佐賀の国会議員は原発について何の発言もしてくれないと嘆く。なんと玄海町の岸本英雄町長は原発再稼動に同意したが、地元の玄海町には住んでいないという。
登記簿によれば、平成6年、
佐賀県議会議員だった岸本町長は、平成9年に地場銀行から5,300万円を借入れ、木造2階建て(地下1階)の家を新築していた。ところが7年後の平成16年、この土地と家屋を弟の岸本組に売却。岸本組は源立地交付金による公共事業や九電グループの発注工事を同社が独占的に受注、岸本町長とファミリー企業「岸本組」との関係については、メディアで報道されてきたが、新たに分かった自宅売却は、町長がカネに困るたびに岸本組を利用してきたひとつの証左。癒着構造が底なしの状態であることを改めて見せ付けた形だ。
鹿児島県でも、薩摩川内市に川内原発の建設がされたため原発賛成・反対、それぞれの立場の看板が道を隔てて並ぶ。昭和59年の営業運転開始から30年近く経とうとしている川内原発で、薩摩川内市の2枚の看板は、いまなお反対運動の火が燃えていることを示している。更に3号機の増設計画は、着工へまもなくであったところが福島第一原発の事故が発生した。それまで、商工団体を中心に推進されてきた川内原発は、再稼動をめぐる騒動のなか、九電「やらせメール」が発覚した。玄海町同様で3号機増設の裏に原発交付金や九電の原発マネーに頼っている業者や自治体の癒着体質が長年にわたっている。
九電やらせメールに関して、枝野経産大臣は、九電最終報告書について「佐賀県知事の発言が(やらせに)影響したかどうかが論点ではない。自分たちでは信用されないから第三者に検証してもらったのに、第三者委の意見を自分たちでチェックをしたら間違っていると思いました、では全く意味がない。そこに気付かない、国民の目線に対する感覚が理解不能だ」と述べたが、九電トップの続投に懸念を示したが、結局それも押し切って続投となった。
こんな状態で、福島第一で起きたことが、他の原発で起きないとどうして言いきれるだろうか。
2012年04月21日
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