一年たった今、瓦礫が7%程度しか片付いておらず、このまま全国の自治体が引き受けないと復興が進まないだろうとの雰囲気が漂っているが、よく聞けば瓦礫の量は阪神淡路大震災と較べて極端に量が多いのではないという。阪神淡路大震災が約2000万dとすると東日本大震災が2300万d、ほぼ生活圏内の目につく瓦礫は一か所に纏められている。阪神の時と比較すると、むしろ面積当たりの瓦礫の量はより少ない。おおかたは域内で処理し、全体の2割程度の400万d分を域外へ持ち出して引き受けるという目途がついている。
新潟知事も、中越地震があったときに広域に瓦礫の申し入れがあったが、輸送コストまで考えると域内で処理する方がコストも、効率もいいと分かったという。当時は、復興基金として国が全面的に保障してくれたので動きやすかったという。今回、復興対応が遅れ、それすらも手当がされず小さな市町村では復興コストを手当する目途が出来ない。女川町などは瓦礫処理より「雇用の場が必要」との意見が一番多い。復興に使われる税金が被災地に落ちないという。ガレキ処理の作業員やゼネコン関係者、自治体関係者らは、女川町内に宿泊しない。町の中心部にあった旅館などの宿泊施設が、ほとんど津波で流されてしまったため同町の復興支援に当たる作業員らは、隣接する石巻市や、東松島市、仙台市内から「通勤」している。仙台市は、神戸市職員の助言などをもとに沿岸部の被災エリアに廃棄物搬入場所を設け、そこに仮設焼却施設を建設。最初に建設した焼却施設の工期はわずか3か月。仙台市は、昨年12月までに3基の仮設焼却炉をしている。被災地で同レベルの仮設焼却施設を3つ造れば解決してしまうのに、今回の法の改正によって瓦礫処理は大手のゼネコンが入ってやるようになってしまうが、遠方輸送などでなく、むしろ地元の事業として雇用を創出できるほうが被災地に仕事がないままより余程いいのだがと泉田知事が指摘する。
100年前の関東大震災ですら、帝都復興院が1カ月も待たないうちに設置された。阪神淡路大震災では、村山首相がすぐに地震対策担当大臣を任命したが、菅首相の時は担当者を決めないまま、首相の辞任要請が巻き起こった。9月野田内閣が成立、翌年2月10日に復興庁が設置。震災から1年近くかかった相当な出遅れであった。復興庁が東京にあるというのは、地元には手間暇がかかる対応だ。一方で、4月1日を目途に復興庁に企業連携推進室を設置した。経済団体から派遣した民間人材とともに企業連携に関し、地方公共団体及び民間企業からの相談や企業連携に係るプロジェクトを推進するのは迅速だった。
民主党には、うちに鳩山元首相という伏兵がいた。イラン外交から9日戻ったが、IAEA批判をした吹聴され外交問題を厄介にしてきただけだった。IAEAは核物質の一極集中管理、100ベクレルを基準にしてきたが、日本政府はそれを8000ベクレルまでは一般廃棄物扱いするという緩和策(改悪)にした。これまでは、5ミリシーベルトで放射線管理区域とされたのも20ミリシーベルトと緩和した。柏などの焼却灰は剪定枝などが焼却されて、放射能物質が残った灰の中に凝固されて数値が高くなり、大問題になっている。福島から宮城に流れる阿武隈川からは500臆ベクレルの放射能が検出、川に垂れ流されている。環境への影響はチェルノブイリ以上に拡散している。国民の健康や子供たちの未来を守るより、利権対応が早いのではツケが大きくなるのではないだろうか。
出典:
週刊文春 4月5日号
http://www.nippon-dream.com/wp-content/uploads/img-329210208.pdf
日刊SPA
http://nikkan-spa.jp/184105
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