蒲島氏の両親は、旧満州からの引き揚げ者。敗戦後、何一つ持たずに6人の子供を連れて、家族8人で熊本県の祖母が住む家に戻る。父親は定職がないまま極貧生活で、高校2年の時に亡くなる。勉強をする間がないから成績も最悪で、高校を卒業して農協に勤めていた。米国への研修と留学が転機になる。その頃に三つの夢があり、一つは政治家になることだったという。
可能性は無限大。夢を持つこと、一歩踏み出すことが大事。そして、「above the expectation(期待値を超えて)」と常に思いながら、120%の努力をすることが大事。
国民の幸福度を最大化するのが政治の目標だ。そのために政党がある。政党は手段であって目標ではない。政党人が自分たちが手段であることがわかって、そして日本の国を救うために、「救国大連立」を形成すべきだなと思っていると語る。今が最後のチャンス。できなければ政治不信が一層高まって、政党政治が困難に陥ると考えている。
まず、「合意争点」、つまり国民全員が合意する争点を見つけ出すこと。そして、衆院選まで2年という期間しかないが、大連立を組むべきだと思っていると断言する。国難の時、東日本大震災の復興を日本全体の成長にどう結びつけるかが求められている。