私も、3月県議選となるまで市議として政治に関わったが、「運動」には慎重なほうです。平和、男女平等、環境問題等など、もちろん正しいと思って、皆さんが住民運動を進めるわけで、十分調査、理解したうえでご協力してきました。多くの方が、社会問題を認識し、学び合い、考える機会を持ったほうがいい、その上でなら行動もすべきと思います。やみくもに断れないから署名したとか、よくわからないが会社の関係だとか、政党の知り合いに頼まれたからというのは、私としては考えものだと思うところです。
市民社会が、自ら議員を動かそうという機運になってくると「1人1票の現実」についてはゆゆしき事態です。民主主義の基本が選挙なのですから、1票を投じたと思っていても、それが重要な国会での意志決定に繋がらのであれば、1票と数えられる人と、1人で2票と数えられる人がでてきて格差が生じる、つまり、少ない得票数で国会議員になれる選挙区がある一方で、沢山票をあつめたのに、国会議員になれない選挙区もあるということが起きてしまっている。最初、最高裁の多数意見は、衆議院で2倍と考えていたようでした。2倍というのは、1票ある人に対して、0.5票の人まではいい、ということです。1人0.4票まではダメだけど、1人0.5票ではいい、ということになるわけです。総選挙の結果、今や一票の不平等についての違憲だとの見解が出されるようになっています。
今まで、なぜ国民運動にならなかったのかというのは、要するに誰も気がつかなかった。どうやれば直せるのか、裁判で勝つしかないのか、というような方法論が見えなかったのです。しかし、世論でも騒がれるようになり。政権交代で転換がいよいよ示される、見られるようになって来るようです。みんなの為の政治を党派を超えて、速やかに実現してほしいものです。
そして、今、市議会選、市民の生活に最も近い選挙です。一時、我孫子では女性が4割を占めて当選した時期があり、女性議員が多い街でした。多様な世代の候補者が時代のニーズを反映するように、もっと女性の数が増えるべきですが、今回の選挙は現職女性市議がほとんど立候補せず、立候補する女性が数が激減です。女性が出馬するのに経済的、家庭生活の両面での障壁が男性以上に大きいのを物語っているように思います。地方選挙の場合は特に、市民生活により近づくよう、選挙を通して地域の政治が実感できるところもあるので、多くの候補者がでることが望ましいと私は思います。我孫子の市民力は高いのですから、これからの地域政策を問う市民が多く出て当選するほうがいい、つまり多くの市民参加で議会が運営される方が、市民に顔の見える地域政治にする意味が大きいはずと感じます。税金の無駄遣いは、議員の数を減らすほうへ持っていくのではなくて、議員報酬を減額して議会費全体のコストを抑え、市民生活に密着する議会にしていけると考えますが、皆様はどう考えられるでしょうか。なにしろ、議会は年に4回しかないのに、議会で必ず発言するのは女性議員たち、そして決まって発言しない議員は男性に多いかったのです。これはどこの議会でも見られる事であり、もっと、真摯に生活を声にする働く女性が議会に必要でしょう! 医者と政治家は男のほうがと思われていた時代とは変化してきている!!
2011年11月12日
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