2011年11月02日

これまでの政治のツケを返すのは新市民社会

平和関連のMLに参加しているが、ある日のやりとに 「議員さんって、意外と普通ですね。
もしかしたら距離を置いているのはわたしたちの方、なのかもしれないですね。
市民と行政と議員さんと、どんな風な協力ができそうか。・・・・・」などと投稿がありました。

私も市民でもあり議員だった頃(4月県議選立候補のため市議辞職前)、選挙に行かない人は政治家を信用できない人たちなんだろうか、署名も、チラシも見たくない、選挙は自分で選びますなどと言われる。一方で、どうせ選挙で選んだって変わらないと、食ってかかられることもある・・・

選挙カーも、うるさいと言われ、費用の点からしてもバカバカしいけれど、じゃあ集会したら話を聞きに来てくれるのかというとこれもとんでもない、行くと言っていたひとも日程を忘れてしまうし・・・

じゃあ、街頭で演説すると立ち止まって聞いてくれるのかと言うとそんな事は余り期待出来ない、みんな忙しいのだから・・・

ネットで呼び掛ける努力が下手なのかもしれないと思ったが、アクセス解析をしてみたら、投票結果が分かった頃に急激にアクセスがある。これって、こちらの主張をネットで知るよりは、当落が気になるだけ ・・・・

市議を二期やってみて市民(国民)が、政治に関わるきっかけがない、関わるように教育をされていない、関わらないように教育(無関心こそ都合が良かった)されてきた、つまりは政治への関心が呼び起こされないように躾られたからだと思いました。自民党ばかりが悪いのじゃないけど、右肩上がり、単純な時代だったから、目くじら立てなくても雇用もされたし、政治が府がいなくても会社が機能して終身雇用で年金も保険も、住宅補助も厚生施設も用意してくれていた。レールに乗ってしまい際すれば、男も女も文句言わずに来た列車のドアが開いているうちにとび乗れば、終点へ無事についておつりも来るのだった。大きいものがいい、寄らば大樹の陰、出る釘は打たれる、政治と宗教はダメとか。奥さん連中は、投票の際は旦那にどこに投票したらいいか聞いたり、それで良かった。

女性の人口は男性よりも多いのに、政治に関わりたくない人が多いし、意見を言うのは出過ぎのように思われたり。
外国では、そんなのをシオラシイことだとは思わない、意見のない人と無視されてしまうから。日本の女性の賢さが政治に反映されれば潜在能力は凄く大きいと思うのだけれど、若者を含めて、女性は特に政治に関わって頂きたいと思います。何なら、我孫子市議会の議会をインターネットで見て下さい。遂に委員会までが見られるようになりました。 市議会には国旗を掲げない稀少な議会です。この四年間には従軍慰安婦問題にも国会意見書を提出なども可決されています。(そして賛成した議員には、そうした組織から一センチの厚さになるほどファックスが送られたり、自宅に街宣を受けたり、YOUTUBEに批判ビデオを出されたり)議員の質が変われば、町としての質が変わっていくのです。生活がめくるめく良くなるなどという時代実感はないが、自治体の対応が時間的に量的に限界が見えてそれを実感する時代になると思う。

それでも日本は頑張り抜くのだと、信じて 皆で助け合うそういう政治に
するチャンス、日本人の真骨頂を発揮する時だと思います。
 
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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