2011年09月10日

「牧場の朝」はフクシマだった

 ♪ ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海…と歌われる「牧場の朝」 (←クリックするとNHK番組に作詞・楚人冠とあり、歌が聞けます♪)。
その牧場とは、福島県岩瀬郡鏡石町の岩瀬牧場だったとわかってきた。我孫子との関係性がないようだた、実は、その原詩は杉村楚人冠であったとなれば少し気になる。

この有名な小学校唱歌、作曲者は1947(昭和22)年発行の教科書から船橋栄吉と明らかになっていたのとは対照的に、作詞者と歌の舞台がどこかが長年不明のまま探し続けらていた。その後、1973
楚人冠が書いた紀行文「牧場の暁」(『中学国文教科書 第二』(光風館書店、1918年)に所収)が発見され、それを契機に楚人冠が作詞者ではとの説が浮上、若干の曲折を経て現在ではこれが定説とされている。

杉村楚人冠は海外の外遊見聞で一世を風靡する随筆を書いて著名な人物であったので、あちこちに引っ張りだこでもあった。1910年(明治43年)に、楚人冠が朝日新聞連載ルポ「牧場の一夜」の取材のために、明治初期に開拓された宮内省の元御料牧場・福島県鏡石町の岩瀬牧場に画家河合英忠と共に数日訪れ、この日本初の御料牧場を見て回り、それをもとに書かれたのだと状況証拠が揃ってきた。ご子息にも問い合わせて、そういえば愛唱していたとの話も具体的になり楚人冠・作詞説が特定されたのだとういう。なんとも浪漫をもたらす楚人冠らしい秘話ではないか。東北大地震の影響は風評被害で酪農家が大被害を被るが、そんな時に下記の記事(神戸新聞2003年)を見つけたので紹介したいと思った。

http://www.kobe-np.co.jp/rensai/funahasi/12.html


※にちなみ、杉村廣太郎(実名)が「楚人冠」を名乗るのは、『史記』の「項羽本紀」の逸話が元になっていて、
嘲って、「人言、『楚人沐猴而冠耳』。果然」と語ったという。


   「人の言はく、『楚人は沐猴(もっこう)にして冠するのみ』と。果たして然り」

   「『項羽は冠をかぶった猿に過ぎない』と言う者がいるが、その通りだな」。つまり、威陽に入城した項羽がの王宮を焼き尽くしたことをあ  
   る者が“項羽は英雄の器ではない、楚の人(項羽を指す)のことを衣冠を身に着けた猿、みっともないなと)

明治32年~36年(1899~1903)米国公使館の通訳となっていた頃から楚人冠と号するようになったと言われている。当時の公使館の職員はシルクハットを常用していたが、白人とは別の帽子掛けを使用させられるという差別的待遇を受けた。シルクハットを入れた箱をよく間違えるので、目印を“楚人冠”として「自分のような野人がシルクハットをかぶっているのは滑稽だ」という皮肉とユーモアをこめで、史記の故事にならって名乗るようになったのだという。縦横の他20程の筆名を号していた。随筆家、俳人としても著名


posted by Nina at 19:51| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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