週末(4,5日)で東北道を車をひた走り、宮城へ行った。途中、福島県二本松市付近の1,39μシーベルトの放射線値には、ビックリすると同時に、政府の原発事故対応の甘さを批判する必要を強く感じた。東北道を仙台ベイエリアへ向かっていくと広い道路を挟んで両側に津波被害の跡を見ることとなる。幅広い高速道路を越して人がモノが流れていった自然の猛威を改めて感じ、深い思いとなる。
仙台、塩釜の港の周りに近づけば近づくほど、車(×がついていたりは、死亡)、瓦礫、様々なものが集めて道の端にいくつも小山になっており、これまでの必死の片づけがされた状況が分かる。その近くには大きく歪んだ自動車工場の躯体のみが残されて、その向こうに海の方向に荒れ野が広がり、すべてを押し流して跡形もなくなった光景の中に小学校の表示板が見え、カラスの群れだけがわがもの顔に旋回していた。一方で、屋根にブルーシートを乗せている家のある一隅もあるし、津波で持って行かれて何も残ってない土地にさかさまに転がった車、大きな流木がそのままで置かれており、その数メートル先で無傷に見える家々もある。その爪痕の不条理を見せつける。2か月たった今も胸をふさぐ状況が目の前の現実として広がってある。現場、現地を、実際にて見てみないとわからないことがある、ということを強烈に実感する。
テレビの映像では、“ただの瓦礫の山”だったものが、瓦礫の中に小さな子どもの靴、台所用品、あらゆる営みが無茶苦茶になって積み上げられ、そのむごさとを声なき声で訴えてきます。
宿泊先の岩沼屋旅館の女将さんとは観光研修以来の知己であったので、現地の状況も教えて頂いたり、貴重な資料を用意して頂くことも出来た。観光業も宿の施設自体が被災したり、温泉の源泉が断たれたりと、観光客が東北へ来なくなっている上に、宿としての機能を取り戻すのが難しくなってしまった所も少なくないそうだ。その旅館は幸いに一部を除くの客室が営業可能であったこと駐車場が大きいために復興支援の団体を受け入れて、ほぼ通常通りの営業に復旧できるようになったそうだ。そこで、エレベーターの乗り降りには、警察の方々と何人もすれ違った。全国の警察が各県から2週間つつ交代で宿泊して被災地の警備に当たっているということだった。駐車場には、県外ナンバーの警察車両が数十台、清掃車が何十台も止められているのを目にした。このところは、現地で盗難がおこり、その警備、治安の保持も必要になってきたとのことだ。屈強な男たちの制服姿や作業着姿にお客さんからは自然とご苦労さまと声がかかる。
改めて犠牲になられた方々、未だ行方不明の方々、避難されている方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
ところで我孫子(6/4)と比べてみると、原発により近いはずの仙台のほうが、原発の風上に当たるため放射能測定値はずっと低かった。改めて、当市の状況も検討されているが、これから夏にかけて、東北を避けずに、むしろドライブに、観光に行くのほうが東北経済の復興支援に繋がり、場所によっては我孫子より放射能被害が低いこともあるのを認識し直すべきです。「福島へ観光に来てほしい!けして放射能汚染が原発と同じだと誤解しないで欲しい」と測定器を片手に自ら英語でもPRする市長もおられます。一人でも多く、東北へ行って、見て、一緒に考える、それもこれからの被災地支援に繋がります。
つくし野、0,23μシーベルト 秋保(仙台南)、0,07μシーベルト
2011年06月06日
東北道を行く
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