昨日のブログではレディーファーストで、家庭も仕事もとハードに活動をする都内の女性の政治家を数名紹介してみましたが、今日は国会、そして世界も視野に活動している千葉の政治家を紹介します。
水野賢一 みんなの党 参議院議員
東京都港区出身。麻布高等学校、早稲田大学政治経済学部卒。アル・ゴア上院議員事務所に政治留学。落選経験もしながら、1999年に繰り上げで初当選。2001年には自民党青年局長を務めた。親台派であり、2002年に外務大臣政務官の地位にあった際、台湾訪問を拒否されたことに抗議し政務官を同年8月25日に辞任。その際には外務省の対中迎合姿勢と事なかれ主義を激しく批判している。また、北朝鮮に対する経済制裁を推進する自民党のプロジェクトチームの一員で、2004年には外為法の改正と、「特定船舶入港禁止法案」制定を菅義偉と共に推し進める。2004年、自民党環境部会長を務めた。
派閥は、当初は志帥会に所属したが、派閥の領袖だった亀井静香の利益誘導・公共事業バラマキへの批判を激しく繰り返し、郵政民営化の議論が本格化する以前にも「亀井先生の理念にはとてもじゃないがついていけない」と亀井を批判、「親小泉」であることを宣言していた。郵政解散の翌日・2005年8月9日、志帥会を離脱した。景気の回復を前提とした消費税増税についても、2009年度予算案の付則に明記することに対して、反対の意見を表明、造反をにおわすような発言を行った。
2010年4月、みんなの党に入党、同年7月11日の参議院選に千葉県選挙区から出馬し当選、みんなの党幹事長代理兼参院国対委員長に就任している。自民党では離党ではなく、除名処分を下している。みんなの党においては、渡辺代表に並ぶ国政経験者。
冒頭の水野議員の名前をクリックすると、動画で2010年11月26日、参議院での仙石官房長官問責決議への賛成討論が見られます。
田中 甲 みんなの党
千葉県市川市生れ。立教中・高・立教大学卒。ワシントンD.CのLeadership Instituteに留学。29歳から市川市議会議員を務め、 千葉県議。7回の選挙のうち5回がトップ当選を果たし、1993年〜2003年 衆議院議員として活動した。国会議員としては、超党派で議員連合を創り与野党を超えて必要な法案を作成し提出、児童虐待防止法 風俗営業法の改正法 ストーキング防止法、その他法案の作成としては、恒久平和調査局設置法案 18歳選挙権の設置法案等がある。政治理念は、セーフティーネットの充実を掲げ 「政治とは命を守ること」と訴える。
2001年、政権奪取運動委員会の委員長として全国47都道府県を委員会所属の若手議員と民主党初の全国遊説の一員。その際に、民主党常幹事会で「現在の各県支部の労働組合とのもたれ合いは、いずれ公務員改革の出来ない政党になってしまいます。」と訴える。そんな中地元では自治労推薦の千葉県知候補を擁立して来たため、ついには離党届を提出するも受理されず除名処分とされている。民主党の立ち上げから関わったコアメンバーだったが、民主党除名第一号となっています。2007年 統一地方戦では『子どもにツケを回さない』自治体再生プロジェクトを展開。業界・団体・労働組合等の献金・推薦を受けない市民参加のボランティア選挙を続ける。駅頭・街頭演説を2,000回以上続ける。市民の中に政治を理解してもらうための活動を続ける。
南太平洋で行われたフランスの核実験再開にヨットで抗議して、体験記を本にして出版、話題にもなったことがある。大学以来のヨット同好会ブルーウォーターセーリングクラブを設立している。著書に『尊命の時代―政治とは命を守ること』(きんのくわがた社)、他。
冒頭の水野議員の名前をクリックすると、動画で2010年11月26日、参議院での仙石官房長官問責決議への賛成討論が見られます。
田中 甲 みんなの党
千葉県市川市生れ。立教中・高・立教大学卒。ワシントンD.CのLeadership Instituteに留学。29歳から市川市議会議員を務め、 千葉県議。7回の選挙のうち5回がトップ当選を果たし、1993年〜2003年 衆議院議員として活動した。国会議員としては、超党派で議員連合を創り与野党を超えて必要な法案を作成し提出、児童虐待防止法 風俗営業法の改正法 ストーキング防止法、その他法案の作成としては、恒久平和調査局設置法案 18歳選挙権の設置法案等がある。政治理念は、セーフティーネットの充実を掲げ 「政治とは命を守ること」と訴える。
2001年、政権奪取運動委員会の委員長として全国47都道府県を委員会所属の若手議員と民主党初の全国遊説の一員。その際に、民主党常幹事会で「現在の各県支部の労働組合とのもたれ合いは、いずれ公務員改革の出来ない政党になってしまいます。」と訴える。そんな中地元では自治労推薦の千葉県知候補を擁立して来たため、ついには離党届を提出するも受理されず除名処分とされている。民主党の立ち上げから関わったコアメンバーだったが、民主党除名第一号となっています。2007年 統一地方戦では『子どもにツケを回さない』自治体再生プロジェクトを展開。業界・団体・労働組合等の献金・推薦を受けない市民参加のボランティア選挙を続ける。駅頭・街頭演説を2,000回以上続ける。市民の中に政治を理解してもらうための活動を続ける。
南太平洋で行われたフランスの核実験再開にヨットで抗議して、体験記を本にして出版、話題にもなったことがある。大学以来のヨット同好会ブルーウォーターセーリングクラブを設立している。著書に『尊命の時代―政治とは命を守ること』(きんのくわがた社)、他。