この夏の猛烈な暑さの中で千葉県の成田高校の躍進に森田知事も応援のメッセージを送るなどしたという。堂々、ベスト4が決まった。
かつて我孫子高校が甲子園に出場した時には、まだ我孫子市に国際交流協会が出来ていない時期だった。当時、国際交流の活動をする私たちACT(我孫子カルチャー&トークの略称)と主だった2つの会があって、別々に活動していた。我孫子高校の躍進に小躍りして、私は他2グループの会長さんに声をかけて、激励の電報を打とうと申し入れた。もちろん、快諾されて3グループ連名で話がついた。このことをきっかけにして、お互いのグループが声を掛け合い、話し合いの基盤も持てた。次は、市への申し入れだった。我孫子市の国際化が遅々として進まないのを3つのグループのメンバーは同様に嘆いていたので、同じ思いで話は進んでいった。そして、早手回に我孫子市国際交流協会の規約がつくられ、英文略称をAIRAと入れて、市内の主だった団体、組織を網羅して設立への規約が市の職員によってつくられて、私たちの目の前に見せられた。そもそもこういう文章を作るのには、いまでこそ当たり前のように市民委員を募って文章草案にも魂を入れていくのを任せるが、当時の行政は私たち3グループへの打診はもちろんのことなくて、すべてつつがなく文章に上手にまとめてきた。だから、その規約を作る経緯からすると我孫子市の公的組織なのだと考えた。市の組織なのであるけれど、私たちは市民意識を市にも理解してもらおうと随分と頑張った。そして、それぞれのグループは、それぞれの活動も続けていった。協調精神こそが国際交流の一歩だけれど、いくつか気になることは指摘をした。私たちのメンバーの中には、市がそういう考えであるのだからAIRAには加入はしないと表明される方もいた。私もそうだよなーと思いながら、乗りかかった舟という心境であったのは否めない。そんな、こんな、千葉県の高校が久々に上位決定戦に臨んでいくのを、間毎日見ながら、ふと昔のことが蘇ってきた夏だった。
そして、やはり、沖縄・興南高校の春夏制覇、本当におめでとう!
これは沖縄県民への65年ぶりの最高のプレゼントだったと思う。
かつて我孫子高校が甲子園に出場した時には、まだ我孫子市に国際交流協会が出来ていない時期だった。当時、国際交流の活動をする私たちACT(我孫子カルチャー&トークの略称)と主だった2つの会があって、別々に活動していた。我孫子高校の躍進に小躍りして、私は他2グループの会長さんに声をかけて、激励の電報を打とうと申し入れた。もちろん、快諾されて3グループ連名で話がついた。このことをきっかけにして、お互いのグループが声を掛け合い、話し合いの基盤も持てた。次は、市への申し入れだった。我孫子市の国際化が遅々として進まないのを3つのグループのメンバーは同様に嘆いていたので、同じ思いで話は進んでいった。そして、早手回に我孫子市国際交流協会の規約がつくられ、英文略称をAIRAと入れて、市内の主だった団体、組織を網羅して設立への規約が市の職員によってつくられて、私たちの目の前に見せられた。そもそもこういう文章を作るのには、いまでこそ当たり前のように市民委員を募って文章草案にも魂を入れていくのを任せるが、当時の行政は私たち3グループへの打診はもちろんのことなくて、すべてつつがなく文章に上手にまとめてきた。だから、その規約を作る経緯からすると我孫子市の公的組織なのだと考えた。市の組織なのであるけれど、私たちは市民意識を市にも理解してもらおうと随分と頑張った。そして、それぞれのグループは、それぞれの活動も続けていった。協調精神こそが国際交流の一歩だけれど、いくつか気になることは指摘をした。私たちのメンバーの中には、市がそういう考えであるのだからAIRAには加入はしないと表明される方もいた。私もそうだよなーと思いながら、乗りかかった舟という心境であったのは否めない。そんな、こんな、千葉県の高校が久々に上位決定戦に臨んでいくのを、間毎日見ながら、ふと昔のことが蘇ってきた夏だった。
そして、やはり、沖縄・興南高校の春夏制覇、本当におめでとう!
これは沖縄県民への65年ぶりの最高のプレゼントだったと思う。