2010年07月23日

我孫子は農地保全をどうするか

手賀沼は我孫子のシンボルであるというのは誰もが認めるところです。水辺と周辺を囲む田園の緑の景観が憩いの場になっています。22日、北柏駅での駅頭活動を早めに終えて、北柏の墓地紛争の周辺の住宅を回り、そのあとに根戸新田へ向かった。このあたりの農地の保全と活用について、農家数件と20年近い協議が続いているが、一難去ってまた一難で解決をみない。8時だが既に猛烈に暑い。農家のおじさんは早起きだ。枝豆の収穫し、どんどん手作業できれいに一つ一つ束ねる作業をしながら、私の話を聞いてぽつりぽつり話をしてくださった。根戸新田の農地は全国初の自治紛争処理にかかっている。今月にも、県のなんらかの回答が出るらしいとの話でもある。
 
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午後に、柏・東大キャンパスにある、新領域創成科学研究科・環境学研究系の緑地環境計画の専門家の横張真教授を訪ね、先日の女性議員たちと都市近郊の緑地活用の勉強をしてきました。結論的には、時代の変化にこれからどう対処するのか、あらゆる分野の横断的な研究によって解決をこころみるが、決定的な解決法がやはり地域が答えを見出すしかないということだと気がつかされました。

右肩上がりの成長がもはやないように、単純な解決などもないのです。環境生活常任委員会委員となった当時から時折、根戸新田の数件の農家にもお話を聴きに寄っていますが、誰よりも土地を大切に維持されてこられた方達です、一足飛びの解決法など期待してはいない。が、しかし農地をどうやって維持するのか切羽詰まっておられます。現場に足を運び、話をよく聞いて、精一杯の努力をしていくしかないのだろうと思う。P6180802.JPG

横張教授のお話によると、これからの農地は一次産業と言うよりはサービス産業であるとの位置づけをすべきで、それによって戦略が練れるとのことでした。ウイーン(120万人)のクラインガルテンの例をお話いただいた。ことの始まりは、停戦後の帰還兵の自給生活支援、工場労働者の生活支援でした。日本の遊休農地を賃貸している市民農園とは形式が違って、滞在も可能な緑のリゾートです。思い思いに野菜を作ったりで、チグハグな耕作となるのではなく、緑が際立ったガーデニングエリアという形式で、宿泊滞在が可能だ。緑地は、都市施設として整備されるべきだとの考えです。今後はアバート、マンションも余りだす、駅から遠い高齢化地区の住宅は縮退し、空き住宅地で歯抜け状態になり土地デフレになると予想される。今からその対策も計画しておく必要がある。

世田谷ではヨーロッパ型のクラインガルテンがある。笠間にも、クラインガルテンの取り組みがある。2020年問題で、生産緑地の年度もきれるので、市が買い取る以外の方法が検討される。柏では、緑の基本計画として「貸し庭プロジェクト」を進めている。職員の南条さん(東京農大)がリーダーシップがとっているとのことであり、教授もその協力に力を入れているということだ。やり方としては、空いている土地を貸すための養子縁組を市が取り持つ。特に団塊の60代は土に触れる要求が強い。そういう方たちの力を借りてと宅地の中に農地・緑地を埋め込んでいく、未来型のプロジェクトだ。セブンイレブン店先での緑の基金の取り組みでは、都内だけで年間で2000億円の寄付を集めているという。それを聞いて、議員たちは基金を募るということもこれからは大事よね、と口々に、財政難の状況だ。

坂東太郎の利根川と同様に、昔の手賀沼は、しょっちゅう洪水をおこし、荒天の時の渡し船で水難事故となり多数がなくなった事もありました。昭和21年から始まった国営手賀沼干拓土地改良事業は手賀沼の半分以上もの公有水面を埋め立て、その中から449haの農地を新しく造成し、戦後食糧難を乗り越えました。

今、問題になっている根戸新田地区は、台風などの特別の災害を除けば、しかし国営事業による実質的な受益は受けてはいないのだということでした。しかも、その後の市の道路の拡幅によって決定的な農地不良の事態を招きました。そのため土地改良事業が相当に行われましたが、農家と市との感情はこじれていき、結果的に根戸新田地区の土地改良(復元)は部分的なものとなり完全実施は処処の事情で頓挫してしまいました。そのことが尾を引いてか、市農産物直販所への出荷先としてもっとも近いはずが、協力体制にありません。

農業用地解除を申請した農家のもうひとつの理由は、いずこも同じの後継者不足も大きい。これら農家の長年の意向を聞いて、2009年6月議会では多数決(10対17)によって市としては農用保全活用条例を制定して、片や一方で農用地を解除する手続きをとるところとなりました。民主主義の話し合いは、時間がかかり、議会手法に基づいて正式な決をして、除外申請を千葉県にしたのですが、この時に濃地法が改正(20ha→10ha)される状況になってきました。

他方、このあたりの農地は、手賀沼農舞台実行計画が示されていますので、根戸新田の農用地を除外した場合の緑地保全策として「農用地等保全活用条例」を制定しました。農用地除外をしながらも、農舞台計画を進めるという一見矛盾に満ちた施策を進めていく、行政ならではのあっちの顔を立て、こっちの声を聞くという苦肉の策でもあります。地域は企業とは違い、さまざまな経緯・歴史の中で緩やかな選択肢をするしかない時があります。

前市長は退任間際に、根戸新田の農地の除外の申請に決済の判を押し、その数ヵ月後には議会は選挙で構成メンバーが変わり、これと前後して農政課の幹部職員が年ごとに変わってしまうなど起きました。自治体は合議体というより何ともしかたのない有機体のようです。「保全条例」については、当時、私たちは環境経済常任委員会(当時、海津にいなは副委員長)は勉強会で多々意見を申し述べ、この条例案が農用地制度の代替案として機能するのか、それこそ侃々諤々審議し、部長が変わるたびに唖然としました。特に、条例案の8条、買取りや借上げについて明確な基準等が現時点ではないのは、保全するとの文言も、確約されるものはではないと懸念がだされ、市民からも多くのパブリックコメントも寄せられましたが、最終的に多数決で決まりました。そして、委員会のルールで構成メンバーは2年ごとに全部変わります。22年度4月から新規のメンバーに入れ替えですから、民間企業のような責任体制とはかけ離れています。今3月議会で、この農地にかかる件もふくむ基本構想改正の予算も可決され、農業振興協議会では、採決の結果10対6で県との下協議を進めることとなりましたが、どちらにしても微妙な数で課題を残しました。

 その後に千葉県は、我孫子市が農用地区域指定の除外申請を現地調査もなく、又、地権者の話を聞くわけでもなく、どこからどうなったのか農水省の行政指導で、根戸新田地区の農用地区域指定除外申請に対して不同意を下しました。これでは、千葉県は当該地が過去排水受益だとの農水省の指摘をうけて、我孫子の民主的な長い協議の上に整えて提出した申請を不同意したようにみえます。地方分権や自治はどこにいったのかの中央集権的な判断を見せたのであれば、市としても姿勢を示していくということになりました。

そこで、我孫子市は全国で初めてのケースとなる千葉県を相手とした農用地除外の県の不同意について、自治紛争処理の申立てを総務省に出しました。その結果、自治紛争処理委員3名が我孫子市根戸新田地区の農用地を現地調査のために我孫子市に来て自治紛争処理委員は、排水不良の根戸新田地区の農用地を見ていきました。総務省の自治紛争処理委員は、我孫子市の農業振興地域整備計画変更案に対しての千葉県の不同意決定を取り消す勧告をし、仕切り直しをして、協議を再開する勧告がされました。 しかし、県の手続きが不備であると言ってきただけで、内容については国の指導の力関係が強く響くのがこれまでのことです。市が重ねてきた話し合い、議会決定を国が覆す、それほど我孫子市の決定は矛盾に満ちたものなのかどうなのか。7月末に結論が出されてくるだろうと言われています。

        広域議員フォーラムの女性議員たちと、新領域創成科学研究科の案内板の前で↓東大.jpg










posted by Nina at 01:08| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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