3月1日から始まった議会は、これまでに経験したことがない様々なことがおきました。政権交代後の初の予算審議、副市長・教育長の交代人事、人権擁護委員の承認、そして提出議案は議会始まって以来ではないかといわれる数でした。前回の議会から継続の陳情を議会運営委員会(10時開催)で計り、途中で休憩(会派の意見を調整するため)を入れて審議して、お昼を挟んで始まった議運(議会運営委員会の略称)では、採決順序を確認しました。
今回のような議会日程では、一期目議員であったら往生したと思います。既に行われていた常任委員会では4つの委員会で可否同数となり委員長裁決がされていたので、多くの議案が「原案でお計りします」などと言われていたし、議員各位の意向も絡みに絡み、ほとんどが議案を一つ一つ採決することになった。もちろん、委員長裁決の判断の理由を聞きたいとの質疑も加わって丁々発止であった。質問する議員の再質問もあって、耳をダンボしておかないとならないし、どれも気が抜けない。私の叔父は、「北の家族」に憧れて、退職後に横浜の家を売却して老夫婦二人で北海道に移住して、こともあろうに夕張に家を建てた。公園も閉鎖されている状況だし、公共施設の運営をあきらめるか、利用料金は我孫子の5倍ではきかない。どうするのだろうかと思うと人は窮地に陥るとむしろ腹が座って明るい!? 叔母は、叔父のアッシーで札幌の夜間中学校のボランティア講師に行っている。ブルーベリー、ラズベリー、あらゆる野菜を家庭菜園で調達して、雪の深い冬に備えていく。それでも、車のための道はいいので冬期も講師にいっているのだという、呆れたというかあっ晴れな人たちだ。我孫子だって、財政は厳しいが、破綻は絶対に真似しないで、財源確保をするあっ晴れな町になることを考えたい。
さて一方で、議員たちには、期間中に連日のように請願/陳情に対して全国の組織的なファックス・手紙攻勢が加わり、すでにファックス用紙がなくなったと閉口する議員もいたくらいで、早い話が組織的なプレッシャーを我孫子市議会が受けていたと言える。まして、33年ぶりとも言われる(一度も値上げをしたことがないので全国一利用料が安価だともいわれる)公共施設利用料金の値上げに対して600超のパブリックコメントを受けての予算審査であって、委員会は連日夜の9時〜10時議会を重ね、皆議員は相当にハイになっていた。将来の我孫子市民の事を考えて”持続可能な財政”を考え続けた。(環境のリオサミットでの標語が”持続可能性”だったので、最近よくつかわれる)
それらの審議を経て、ようやくの23日が最終採決の閉会日でした。そこへは、やはり陳情・請願に関係した組織的な方々の傍聴も加わって、50人で満席の傍聴席は鈴なり、そして討論の議員9人が入れ替わり立ち替わり、議案の半分について触れる討論でした。これも今までにないような長丁場で、本会場が2時から始められ、各議案と新年度予算を多数可決、請願陳情を審議を終えて、人事を承認し、議会が終わったのは5時半を過ぎました。
12月に就任したばかりの女性議長もへとへと気味でした。終了後は、市長ら執行部が各会派室を廻ってきての恒例のお礼参り、そのあとは送別会でした(私はたまりにたまった山盛りの家事、事務作業のために一足先に帰りましたが)。
〜請願31号(下記が提出の表題)への反対討論〜
「選択的夫婦別姓の制度」の法制化に反対する意見書の採択を求める請願
戦後は民法第750条において、結婚に際して夫または妻の姓を称するかは自由に選択できることになっているのは認識されています。ところが、これまで女性の98%は夫の姓を名乗りました。皆さまはお彼岸のお墓参りを済まされたところと思いますが、少子化が進行して祖先の祭祀であるお墓の管理はこれからどうなるのかといえば、このままでは無縁墓が増えることも考えられます。
政権交代の政党はいよいよ夫婦別姓を検討して行くことを掲げています。家族の絆をどのように継承をしていくことを考える必要が出てきたわけです。両家の家族の祖先の継承をも考えていくためには選択的別姓を取り入れる検討はいよいよ必要だと考えます。これまでは長男が親と同居して家を継ぐ事が、慣習的に行われてきた。そのため、ちょっと前までは男の子が生まれるまで頑張るというのもよくある話でした。例えば、娘が嫁にいったとか、息子が嫁をもらったという表現があらわすように、一家族の中には“やりもらい”の調整がとれて、どの家もそれほどの不公平感なくその家の名前を継承しできていた。しかし、現代はどうでしょうか。出生率が下がり、一人っ子の家庭も二割を超えて多くなってきている。この時代の変化を認識して頂いくよう、反対の理由を4点あげて討論します。
一点目、少子化の原因は、独身者が増えた事、そして女性たちの大学進学、就職が当たり前になり、晩婚化になっていることが挙げられます。もはや、専業主婦におさまりたいと思っても、夫だけの収入ではこのような不安定な時代にそれは無謀です。改姓は仕事上の不利となるのですが、夫婦別姓が採用されると結婚で生じる不便が解消されます。
二点目、社会が変わった事が上げられます。2001年5月21日 参議員予算委員会にて引用された(1996年6月)世論調査で、別姓について二十代、三十代の男女は半数近くが別姓に賛成しております。反対というのは五十代が半数以上で、六十代では60%から70%が反対と抵抗が強いのは世代間格差、意識格差が現れています。若い世代のライフスタイル、考え方は変わってきており、統計からみても選択的夫婦別姓の考え方は時代変化に適合していると考えます。
三点目、人生が50年で終わらず、100歳時代がくれば、さすがに維新の時代を生きた人の人生を二倍生きる人もザラにいる時代がくると言われます。小泉元首相、鳩山首相をみてもわかるように離婚、再婚も増化してくる。二人の首相はともかく、政治家でも夫が妻の姓を名乗るということもいらっしゃる。この議会の中にも、これから結婚をされ、改姓をする方もいるでしょうが、しかし、離婚もある。もし、相手の女性の姓に変えていた場合に、仕事では通称使用をしたとしても公的文書の類では実名でしか受け付けないので、旧姓に書き換えの必要が生じ、各種機関を往復するための交通費、手数料を旧姓に戻す側だけが負担する不公平がおきる。届け出は、運転免許証、通帳、パスポート、保険証、年金もとあまたにおよぶ。しばらくの間は氏名変更のための再発行ではなく、裏面や別ページに変更後の姓を書き込んで暫定措置となるけれど、氏名変更を提示した身分証明書を提示するとき、「お気の毒に」というまなざしにも耐えなくてはならないという。その他、銀行口座などでは離婚後すぐに旧姓に変更して、離婚後も前姓を通称として働いていくことになると、たとえば事務局から振り込みができないということに対応しなければならない。あらゆる登記変更でも、非常に事務の面倒がおきる。面倒だから旧姓に戻さないという手もあるが、相手に非があったのに、離婚をするとなれば改正したほうが不愉快が起きる。仕事の際の姓名と、プライベートでは使い分けて暮らしているうちに、暗証番号同様に時折混乱が生じ、若年認知症になってしまうこともあったりすると取り返しが付かないことになる。夫婦別姓が可能なら、様々な手続き上の不便を軽減できるというのが三点目の理由です。
4点目として、子供の姓についてはむしろメリットも考えられると言う事を上げます。選択的夫婦別姓というのであれば、結婚するカップルが同姓にするか別姓にするか選ぶわけですが、別姓を選択した場合に、子供が生まれることをあらかじめ考えて、どちらかに定めることになる。この時に若い二人なら、それなら子供は一人以上持とうかとのモチベーションも生まれ、一人っ子にしないよう頑張るかもしれないということです。家族が同姓でない形態が市民権を得るなら、離婚した同士においても、子ども達が別姓を名乗っても社会に受け入れられ、いじめにも合いません。
家族の絆がなくなる、離婚が増えるのではと危惧される方がありますが、80年代初頭に原則同姓の法律を改正し、別姓を認めたスウェーデンとデンマークの前例をみても心配するに当たりません。また、東西の統一して、国家の絆を強めたドイツの民法改正は、1994年に選択的夫婦別姓を施行し、しかもその後には女性首相が就任しています。メルケル姓は夫の姓です。しかしこの結婚生活は4年で終わっていますが、東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、理論物理学を研究して、そこで現在の夫(ヨアヒム・ザウアー)と出会っていますが、二人が結婚するのはずっと後の1998年でした。その間に、メルケル氏は1986年、博士論文を提出して博士号(Dr. rer. nat.)を取得。学者としての論文は、名前を変えると混乱するのでそのままになり、そして優秀な忠誠心の強い学者だかが西ドイツ行きの権利も許される。ベルリンの壁の崩壊の前後に政治に関わったことが現在の首相の地位につくことに繋がって、党首に、首相に選出される事になりました。
ドイツは、2本以上に家族主義が強い社会で、絆を重んじる社会ですが、その国が近代において選択的別姓を法律化したということからして、やはり日本も社会変化に対応する必要はあります。それを考えて頂くように、新政権下の政府には当たっていただきたいので、「選択的夫婦別姓の制度」の法制化に反対する意見書の採択を求める請願31号には反対します。