プリウスだって、そうだろう。なぜあれだけ米国でたたかれ、ブレーキ事故が起きていると言われるが、日本での対処は部品の交換でスムースに対応されている。米国ではプリウスに乗って止まらなくなったという男性が弁護士と共に訴えたが、その乗っていたプリウスで再調査してみると本人の自作自演が露呈したというではないか。正すところは正すべきだが、主張するべきも主張出来なくては民主主義ではない。欧米に常に頭を垂れ、口ごもってきた日本だったが、今や議論の場は公開される。
我孫子の女性議員7人のうち二人は、代表として審査に加わる一方で5人は傍聴という形で、論議を聞きながら各人が意見を交わしている。ある種のロビイ活動が行われる。男性はというと、議会にいらしていない方々も少なくはない。これまで多くの家で財布のひもを握るのは女性だったが、我孫子の場合も女性議員が増えてから、だいぶ予算の見方が細かいことまで指摘してくるようになってと閉口気味に言われるようになったが、これって大切なんだと思う。市民感覚とはそういうところではないだろうか。分からないことを市民に代わって聞く議員たちがいるのを知って、本当に市民が税金を出していくことに納得を得られるのだと私は思う。
ブログに新たなコメントが寄せられた、「知らされていないことにどう対処したらいいのか」という事だが、確かに、短く簡潔に知らせる事は難しい。しかし、“知ろうとしない”のと、“知ろうとしている”のとは大きな差があるとおもう。知らせる努力と共に、知ろうとすることにも努力がいるのではないか。そうすることで少しずつその間隔が狭まっていくと思う。信頼があってこそ反対の意見も言えるし、思想信条、立場が違っても賛成を得る(我孫子の場合は、こう考えるなどど)こともありうる訳だ。
意見は千差万別、相手の話を聞こう、立場を理解しようとも思わないとなかなか折り合わないし、不毛だ。40年たっても折り合わない、クジラの捕鯨は、主張もかみ合わず結論もままならないどころか、グリンピースは日本の船にひたすら威嚇するが、そもそもクジラの乱獲をしてここまでの事態にいたらしめたのは欧米ではなかったのか・・・。65億人以上になるだろう人類が地球に共存するために、話し合うための情報を共有すること“知ろうとすること”は大事だ。
最後の3日目の予算会議の結論はどうなるか、まず、5時に終わると言う事がない事だけは確かだ。
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