議員になりたての頃、東我孫子駅で駅頭をしていると我孫子中学の生徒と思われる男子に、「この間、自転車で来たお姉さんが遮断機に挟まったのを助けました。ここの踏切はしょっちゅう危ないんです。議員さん、何とかしてください」と言われた。それからは、”安全対策を!そして、東我孫子の発展あるまちづくりを!”などとマイクで訴えつづけてきた。しかし、どうにもならないなあとその日は意気消沈していた。
これまでに、JR本社に手紙を何度も書いて訴えて成田車掌区から駅員を配置してもらうことにも漕ぎつけた(週に臨時職員を数回だけ)。議会でも何回も質疑をして、看板を取り付け直してもらったり、ペイントをし直してもらったり相当部長も親身になって改善を考えてくれた。新聞にもたのんで、2社の記者がに取材してもらった(記事にはならなかったが)、JR株主総会に出席して社長に直接訴えたらと議員仲間に誘われて09年総会に出席して直訴もした。その年には東我孫子の女子オープンゴルフのイベントもあったので駅の事が話題になり改修されるかと思ったが、案内には天王台駅から直通バス運行となっていた。800人程度の乗降客の駅の安全は効率、採算にあわないとJRはそっぽを向く。
市の職員が変わるたびに、「私たちも市民の安全のために何とか努力したいですが、JRの線路を引き換えるわけにはいきません」と言われている。近隣市民の中には、「アンタ、考え違いだよ。税金の無駄遣いだ。通行禁止を知っていて引かれて死ぬような無謀な渡りかたをする市民が悪いんだから」とか、知り合いの女性住民からも「海津さんのような市議会議員程度がごちゃごちゃ言っても面倒な事になるだけよ、そんなことやめておいた方がいい」と言われたこともある。しかし、男子生徒(まじめそうな子だった)の言葉は切実だったし、もし翌日に踏切事故でもあったらと、東我孫子駅での駅頭活動をしてきた。最大限の努力はしてきたが、JRを動かさなくては抜本的解決策は見つからない。
議会議事録を調べていると過去に小学生の死亡事故まであった事も分かった。正月の臨時列車にひかれたが、そのご家族がJRから賠償責任を問われたとは思ってもみなかった。近所の子供会のお母さんたちが正月早々、寒い中を走り回り10000人を超える嘆願署名を集め、議会にも安全対策を求めて陳情を出した。だから、数名の議員(前市長も議員だった)はその事故をよく御存知だったのも分かってきた。そこで鉄の柵やらガードレールをいくつも立ててまっすぐに通り抜けないようにした。これ以上何ができるのだろうか、マイクひとつで何が訴えられるだろうか。何が変えられるだろうか・・・・
いつもはマイクでも話すのに(誰もいないけれど)、その日は何も話さないで東我孫子駅を行き来する人たちの様子を見守っていた。他の駅でも目にしたが、ここにも車椅子できて、それをたたんでようやく通路を渡り、ホームに上がる青年もいました。

久しぶりに、知り合いになった新聞記者に電話してみると「我孫子の記者活動を縮小され、千葉支社に行くことになりました」と言われた。益々の更に八方ふさがり。3月議会で、東我孫子の安全を訴えて質問をしなくてはと通告を出したけれど、もう答弁は見えている。
先月は自閉症児を抱える市民から、映画「星の国から孫ふたり」を見てと案内されて行ったところ、その映画のワンシーンに踏切の前でうずくまる母親の姿の映像があって、残像がのこっている。東我孫子駅の事が頭をよぎったからだ。無所属議員(政党にも会派にも)は、無策だなあと弱気になる。政界与党になっても、まあこの所、なんだか前政権と”やり方”がどう違うのか分からないし・・・。
兎も角、今は議員なんだから、無所属だ/女性だからと言い訳せず、明日をつくる子ども達の言葉や、障害者や、高齢者の声も聞きとめて、しっかりした社会にしていくように、昔の母親が無言でしてきたように頑張るしかない!!
【関連する記事】
初めはいつも一人。
諦めない限り、いつか思いは実現する。
応援しています。
がんばって!