本当に、市議になって人の心配事や困りごとを聞いていると、いても立ってもいられなくなる。何の得があるかではなく、小さな事もつまらないことでもない。精一杯にやらないと申し訳がないし、それが市政に関わる議員の仕事だろうと思う。市政のことも、筋が通らないとイヤだと思う。特に女性市議をみていると、気持ちが一生懸命で、みんなおせっかい、そうとうに世話好きじゃんと思う。政治倫理を追及してしまうとそれこそ女性市長になってしまった人、自殺の問題に奮闘する人、市財政の問題に懸命になる人、本当に彼女達は凄いと思うし、それを知ると私も頑張れる気になる。
さて、映画の話だけれど、そういう果敢な女性が主役の映画があった。ジュリア・ロバーツがアカデミー主演女優賞をとった映画、「エリン・プロコビッチ」などは、地域に渦巻いた不正、汚職を追及して、公害訴訟に勝った実話を描いたものだ。シングル・マザーのエリンが職を求めて移り住んだ町で起きた大企業相手の公害規制裁判で、町の人々が困り果てているのを一つ一つ調べなおし、汚職が絡んでいたことを知る。しかも、中途退学してしまった未婚のヤンママが、地域を変えていきながら自分もしっかりとした女性に成長していくというのが、アメリカらしく思えた。
もう一つジュリア・ロバーツが主演した映画「ペリカン白書」は、サスペンスタッチで面白かった。超優秀な女子大学院生がレポートを作る過程でオカシナ文書があるのを知ってしまう。そこから、危険に合いながらも、知り合った捜査官と協力して事件を解決していく。政治の汚職を知ってしまった彼女を何度も救うのが黒人のスマートな捜査官(リンゼイ・ワシントン)だった。最後はキスシーンで終わるのかと思ったが、黒人と白人の有名俳優二人であってはそれはなかったのは、そういう時代の映画だったからだろう。オバマ大統領(父親がケニア人留学生で、母親は未婚の母となるがインドネシアで研究生活をして第三世界の人々を援助する活動家となる)が誕生して、今度は黒人と白人のカップルのラブストーリーの映画が生れることだろう。 これまで、ハリウッド映画といえども黒人白人の感情、人種問題の壁が厚かったと思う。
政治をテーマにした映画といえば「スミス氏、都へいく」と言う相当に古い映画だが、深夜放送の白黒映画をみて感動してしまったのを思い出す。議員になりたての青年が、関わった事件に実は長老政治家の不正を知り、若い女性記者らの応援を得て、議会でそのこと暴く映画だった。色々な妨害にあうが、へこたれずに調べを続けると周りの人たちが無力な若者に力を貸すようになる。フリーバスターの演説で、老獪な政治家と渡りあうが、議会で時間稼ぎをしているうちに気絶して倒れてしまう。その間に記者らが調べてきた事実が明白になり、議会に駆け込んで渡す。とうとう真実が明るみにでる。町のドンであった老政治家は自らの命を絶つ、というような話だったが、なぜかアメリカらしい映画だと感心して、夜更けまでスイッチを切れずに見入ったことがあった。
これまで日本の映画は、つまらないなあと思い込んでいた。地味なつくりで、目を向け損なっていたそこにこそ、味わいのあるものがあるのが分かるには時間が要るのかもしれないし、まずは派手な宣伝に目を奪われてしまうのが世の常だからだろう。
「蝉しぐれ」(緒方拳・出演)は見ないといけないなあ、日本の良さを世界に伝えられないととこの頃さらに思う。平凡に生きることの偉大さ、人としてのあるべき姿を、原作に忠実に、美しい日本の四季折々の風景を織り交ぜて表現した映画だと、多くの方の方の声を聞いた。(「千葉観光フォーラム」の映画で作るチバの講座で、黒土三男監督から映画つくりの情熱や、見た人たちの感動の声を聞いて)
日本の良さを伝えるのには言葉にできない部分がある。分かってもらうには更に深い人生観がいるような、曖昧模糊と刹那さとが入り混じったものかもしれない。キラキラして目を引くのではなく、静かに墨絵のように、ただただそこにあるというような、人生を50年を越えてこないとわからないだろうなあというような、人生の感慨がわかってこその心境だなあと思った次第です。
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