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この集まりのきっかけは、我孫子市で国際交流の拠点窓口を作らなくてはと運動を始めたことに端を発しています。当時(1990年頃)、市担当者は、「我孫子の市民は国際交流など関心がないのですよ」という認識でした。既に、沼南町(現在柏市に合併)ではオーストラリアと姉妹都市交流が始まっていたし、取手市にも国際交流協会があり、我孫子市を除き近隣自治体には国際交流協会が設置されていたのにです。なんで時代に乗り遅れているのだろう、これでは子供たちにかわいそう! そう思っていたところ、英語劇「シンデレラ」(たまたま米サンタモニカ劇団が日本に来る情報を耳にしていたので、ツテをたどって格安で我孫子での公演をお願い)の劇団が都内で公演することをききつけ、我孫子でも開催を計画、1000人収容の市民会館大ホールは立ち見の大うけになったのです。
何分、誰でもが、この物語を知っているので分からないと言う事がないのと、役者たちの衣装や舞台装置が楽しく工夫され、しかもプロの役者の表情、台詞の英語をナマの発声で目の前で堪能できる滅多にない機会だと、子供も大人も男女関係なく来て頂けました。開催した、私達はこれに先立って、この英語の台本を手に入れて、事前学習宜しく英語講座「イングリッシュキャラバン」を市内3箇所で行いました。

そもそも、我孫子市民はよそ者好きで、結構昔から国際交流をして来ていた。その最たる例が、バーナード・リーチや白樺派の文人達で、この町のよそ者の代表格です。戦後は坂西志保という米国の大学でも教鞭をとったという国際派女性評論家が、この地にしばらく住んだ時に、地元の芦の芽婦人会のお母さん達と全国に先駆けて(1947年)PTA活動を発足させたのでした。そういう事を振り返ってみると、改めて国際交流などと国際交流組織を設立しなくても既に地域にはそういう潜在力があったと言えます。

そうした時期に市民の希望を聞いて、英語だけのディスカッションが始まったのです。英語を学ぶのではなくて、国際理解をすすめるディスカッション講座・CCC(Cross-cultural Communication)を目指しましたが、日本語を交えずというのが原則でした。初代の講師がゲイリーさんでした。
そうやって活動していた頃は我が子が幼稚園生で、まさかこんなに続いて活動するとは誰一人予測しなかったし、大雪の当時に最も一生懸命に準備し、最も若かった人が今春に先立つとはそれこそ予想だにしなかった。一緒に笑ったり、怒ったり、泣いたり(感動で)したことを思うと寂しい。

ゲイリーさんの博識ぶりは、舌をまきます。特に、米国の世界戦略については日本の防衛省よりレーダーが高い感じです。そして、カントリーな我孫子が大好きだと言いながら、和食はダメ、キムチ大好き(メキシコ料理のような味でパンにも合うそう)。Ex-wife は田舎がダメな都会育ち(赤坂)だったそうで縁が遠のいて離婚。落胆し、そろそろ帰国と考えていたゲイリーさんが、不思議な犬仲間のご縁で知り合った方が現在の奥様と再婚、その時にまたCCCの講師に再任。ゲイリーさんはその後に心臓の手術等など大病をしながら、一ヵ月後には復帰して、私達のモデレーター(司会役)を続けてくれている。薄礼の額は10年前とそのまんまだ。
勝手気ままな人たちが、自由闊達に話すので、当初面食らうし、辟易(へきえき)する場面もあると思うけれど、悪気も親切心も超越して、面白がれる地球人の集まりのような気がします。言いたいことはズバズバ英語でいうけれど、和の心は忘れない、地球サイズのユーモアが分かる人たちなんだろう、か。この集まりを理解して、交通不便地区に月一度、忘れずにやってきてくれるゲイリーさんの忍耐力にも恐れいる。何かのご縁と興味、時間がある方は一度は来て見てください。時折、学生の参加もありますが、超シニアがゲンキにしています。
皆様が健康で、国際金融不況に負けず、惑わず、地域を交流に邁進し、国際貢献をされるように祈念しながら、
Merry Christmas & Please come to CCC,next year '09,too!
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