歴史によれば、カカオの木のギリシャ語学名;テオブロマ・カカオは「神々の食べ物」を意味する。常緑樹であり、カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。
「チョコレートが嫌い」という人にはめったにいないが、平均的なアメリカ人が食べているものは、チョコレートの目利きなら決して口にしない類のもの。ミルクチョコレート、ホワイトチョコレート、あるいはスーパーマーケットやドラッグストアでさまざまな包装で売られていても、これははっきりいってジャンクフードで、砂糖がどっさり入り、カカオの量がとても少なく、たいてい人工着色料と保存料が加えられている(挽きたてのコーヒーと同じように、本物のチョコレートの完璧な香りを楽しめるのはごく短い期間である)。
20世紀に、チョコレートは大量生産できるようになった。それで質の悪い脂肪をたっぷり含んだ劣った製品が作りだされたので、多くのアメリカ人が一生のあいだに一度も本物のチョコレートを味わうことがなくなった。それでも、アメリカにも伝統的な技法を守ろうとする、職人的なチョコレート店が復活して来ているのは救いである。
チョコレート中毒がいると言われるフランス女性(平均して年に5.5キロぐらい)にとって、本物はやはりダークチョコレートだ。ビタースイートか、できたらエクストラ・ビタースイートがいいのだそう。それはいちばん混じりけがなく、もっともカカオソリッド―チョコレートの味をチョコレートらしくするもの―の含有率が高い。
1502年、コロンブスは第四次航海で現在のホンジュラス付近でカカオの種子を入手し、スペインへ持ち帰っている。聖職者や商人などの往来により、アステカからスペインに伝わったといわれ、アステカ独特のチョコレートドリンクは、スペイン人の口にあわないものだった。そこで薬として、また滋養のために飲まれたが、スペイン人は蜂蜜を入れて、チョコレートを甘くしたところ、スペインの貴族社会に人気となった。砂糖が普及し、チョコレートに砂糖が入れられるが、スペインでは、チョコレートの存在を100年以上も門外不出にしていた。
当時のスペイン国王からイタリアのサヴォイア家の公爵へ賜われたカカオは、16世紀にサヴォイア公国の首都トリノへと持ち込まれた。トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。以来、トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。
続いて1615年にスペイン国王の娘、アンヌ・ドートリッシュがフランス国王ルイ13世のもとに嫁ぎ、宮廷に広がったとされている。さらに、1650年代にイギリスにチョコレートが伝わると、ロンドンに「チョコレートハウス」ができた。これは裕福な人々や政治関係者が出入りする特別な社交場で、提供されるチョコレートドリンクは非常に高価なものだった。次第にホットチョコレートを飲むための棒つきポットや食器が作られ、一般にも普及した。イギリスでは産業革命の最中で、工場労働者の眠気覚ましに振舞われるようになったが、いつしかカップで飲むのは手間がかかると考えられた。
そこで、1828年、オランダ人化学者のクンラート・ヴァン・ホーテンは、「ダッチング」という方法でカカオから脂肪分(カカオバター)の大部分を分離し、チョコレートパウダー(現在のココア)を作ることに成功。アルカリ処理をし、チョコレートパウダーは水と混ざりやすくなった。すると、1847 - イギリス人のジョセフ・フライが、砂糖入りのカカオパウダーをカカオバターに混ぜ、板チョコレートにした。これが世界最初の「かじるチョコレート」の誕生。
1850 - 偶然、ガナッシュが生まれる
伝説によると1850年のパリで、ある見習いの菓子職人が、溶けたチョコレートが入ったボールにミルクを誤ってこぼした。上司のシェフは「ガナッシュ(役立たず)!」と怒鳴り、なんとかしようとボウルの中身を混ぜると、チョコレートは思いがけない美味しさになっていた。なめらかなペーストは「ガナッシュ」との名になった。今のガナッシュは、チョコレートに生クリームを混ぜたもの。
1867 - スイス化学者のアンリ・ネスレが粉ミルクの製造に成功。1879年、同じくスイスのチョコレート製造者 ダニエル・ペーターが、チョコレートに粉ミルクを加えてミルクチョコレートを完成させた。1879年、スイスのルドルフ・リンツがコンチングマシン(チョコレートの粒子を細かくなめらかにし、風味よく仕上げる機械)を発明した。それまでは粒子が粗く、ざらざらした口当たりだったチョコレートを、現在のように、とろけるようなクリーミーなテクスチャー生成された。
1926 - ゴディバがブリュッセルにオープン
1912年、イタリアにルーツを持つスイス人のジャン・ノイハウスが、ベルギーで「プラリネ(プラリーヌ・詰めもの入りの一粒チョコレート)」を創る。ベルギーで生まれた、モールドで型どったシェルにプラリネやクリームを詰めたチョコレートは人気に。1926年にゴディバの前身であるショコラティエ・ドラップスが誕生し、1945年にブランド名をゴディバになる。ゴディバは、高い品質にこだわった美味しいチョコレートを、季節ごとに優雅なパッケージで彩り、チョコレートをギフトにふさわしいものにした。
チョコレ―ド人気が高まり、カカオ栽培は拡大し、1830年頃から西アフリカのポルトガル領サントメ島などで栽培されるようになる。19世紀半ばに中米のプランテーションが病害により生産量が激減すると、アフリカが替わって生産の主体となった。さらにイギリスが、スペインから租借中のフェルナンド・ポー島(現在の赤道ギニア)でプランテーション経営を始め、1879年には黄金海岸(現在のガーナ)にテテ・クワシが導入。 1890年代末、フランスが象牙海岸(現在のコートジボワール)で植民地会社が組織され、増産されることになった。