中国の新興企業ディープシークが、既存のAI(人工知能)をはるかにしのぐ低コスト化を実現したとして、テクノロジー業界や株式市場に激震が走っている。同社の技術が本物であれば、巨額の資金と大量のコンピューター・リソースを投じなければ実現不可能とされていたAIの常識が百八十度変わる。同社には不正疑惑なども指摘されており真相は不明だが、仮に今回の技術が本物ではなかったとしても、今後、同じような事態が発生する可能性が高いことだけは間違いない。
ソフトウエアの世界は常にそうだが、天才的な技術者が全く新しいアルゴリズムを発明すれば、あっという間に既存体系は崩壊する。1990年代に普及したパソコンのソフトウエアはまさにその典型であり、それまで何十億円の費用と、巨大な設備がないと動かなかったコンピューターが机の上に載り、スマホという形で手のひらに収まるようになったのは革新的なソフトウエア技術のおかげである。
ソフトウエアというのは、技術者の頭の中で数学的に創造されるものなので物理的制約を受けない。ある日、突然、生まれた新しいアルゴリズムによって、一気に産業構造が変化するというのは、テクノロジー業界ではごく日常的なことである。
歴史を知る人なら驚くべきことではない
現在、AIの開発には高速処理できる半導体が必須とされ、その開発には莫大なリソースが投入されている。また巨大なデータセンターを建設しなければならず、それらを運用するため大電力も必要とされる。
アメリカをはじめとする各国は、AI開発競争に勝つため巨額の先行投資を行っている状況だが、ディープシークの技術が本物だった場合、これらの投資がすべてムダになってしまう可能性がある。今回の騒ぎでAI用半導体を製造する米エヌビディアの株価が暴落し、一瞬で90兆円が失われたのはこれが理由である。
しかしながら、テクノロジー業界の歴史を知っている人からすれば、一連の出来事はそれほど驚くべきことではない。ソフトウエアにおける画期的な技術というのは、常に突然現れるものであり、たいていの場合、その技術は非連続的である。
現在、世界のAIは米オープンAIがリードしており、各種AIを動作させる半導体はエヌビディアが独占的な地位を占めている。だが、ひとたびブレークスルーが発生した場合、この図式が一瞬で消滅する可能性があることは、業界の人間であれば誰でも自覚しているはずだ。
現在のAIモデルが続く可能性は低い
ディープシークはAIモデルの開発に当たり、オープンソースとして公開されている既存のモデルを活用し、それを基に学習を行ったとしている。それ自体は問題ないが、同社には、オープンソースのAIモデルだけでなく非公開のモデルを学習に用いた疑惑が指摘されている。仮にそれが事実であれば、同社の技術は不正に開発されたものということになる。
だが技術の大きな流れとして捉えた場合、それはさまつな問題にすぎない。現在のAIモデルが半永久的に市場を独占する可能性は低く、今後、第2第3のディープシークが出てくる可能性のほうが圧倒的に高い。
問題は、次に市場を席巻する革新的技術がアメリカから出てくるのか、それとも中国から出てくるのかである。どちらになるのかで世界は大きく変わるだろう。
出典 Newsweek
2025年02月28日
2025年02月27日
「そんなこと言ったっけ」ともいう米大統領だけれど
アメリカのドナルド・トランプ大統領が、富裕層外国人向けに500万ドル(約7億4千万円)を支払えば、米国の永住権を得られる『ゴールドカード』の発行を始める考えを明らかにしたニュースに、本田圭介氏が反応した。
38歳のレフティは、記事を引用する形で「決断力」とのハッシュタグを添え、「アメリカにずっと住みたい人にとってはすごい魅力的だと思います」と関心を示し、続けて持論も。「日本は10億円でも余裕でいけると思います」と考えを発信した。
この投稿にはファンも反応。「欲しい」「そういう世界観てみたい」「ぜひ本田さんに買っていただきたく」「決断力というよりビジネス」といった様々な声が上がった。
出典 サッカーダイジェストWeb編集部(2/27)
38歳のレフティは、記事を引用する形で「決断力」とのハッシュタグを添え、「アメリカにずっと住みたい人にとってはすごい魅力的だと思います」と関心を示し、続けて持論も。「日本は10億円でも余裕でいけると思います」と考えを発信した。
この投稿にはファンも反応。「欲しい」「そういう世界観てみたい」「ぜひ本田さんに買っていただきたく」「決断力というよりビジネス」といった様々な声が上がった。
出典 サッカーダイジェストWeb編集部(2/27)
2025年02月26日
AIが戦争に加担、どうなる
on February 4, 2025 that Google drops promise not to use AI for weapons.What are your thoughts on Google updating its guidelines for AI?
The summary of news is as follows;
2025年2月4日、グーグルがAIを武器に使わないという約束を取り下げたというニュースを読みました。グーグルがAIに関するガイドラインを更新したことについてどう思いますか?
ニュースの概要は以下の通り;
Previously, the company's AI guidelines included promises not to use AI for weapons, surveillance, technologies to cause against international law and human rights.
以前、グーグルのAIガイドラインには、AIを武器や監視、国際法や人権に反する技術に使用しないという約束が含まれていた。
After taking office, Trump rescinded an executive order by former President Joe Biden that had established safe practices for AI.
トランプ大統領は就任後、AIに関する安全な慣行を定めたジョー・バイデン前大統領による大統領令を取り消した。
Google said we should lead in AI development that is guided by core values like freedom, equality, and respect for human rights. And we believe that companies, governments, and organizations should work together to create AI that protects people, promotes global growth, and supports national security.
グーグルは、自由、平等、人権の尊重といったコアバリューに導かれたAI開発をリードすべきだと述べた。そして、企業、政府、組織が協力して、人々を保護し、世界的な成長を促進し、国家安全保障を支援するAIを開発すべきであると考えています」と述べた。
Rival tech companies Microsoft and Amazon have signed up for military deals with the US Department of Defense, and last year ChatGPT developer OpenAI said it would help develop technology for the defense department.
ライバルのテック企業であるマイクロソフトやアマゾンは、米国防総省と軍事契約を結んでおり、ChatGPT開発企業のOpenAIは昨年、国防総省向けの技術開発に協力すると発表した。
Yamanobe
+ Generative Artificial Intelligence 生成人工知能 + surveillance 監視
+ rescind [発音risind] 取消す =invalidate, void, cancel
+national security 国家安全保障
AIの安保利用、防衛省が方針策定 2024年7月2日
防衛省は2日、自衛隊での人工知能(AI)の活用に向けた基本方針を公表した。AIを衛星画像の分析に使って標的を探知したり、情報収集で使用し部隊の指揮官の意思決定を迅速にしたりする。兵器化に懸念の声もあり、ルールづくりを急ぐ。
The summary of news is as follows;
2025年2月4日、グーグルがAIを武器に使わないという約束を取り下げたというニュースを読みました。グーグルがAIに関するガイドラインを更新したことについてどう思いますか?
ニュースの概要は以下の通り;
Previously, the company's AI guidelines included promises not to use AI for weapons, surveillance, technologies to cause against international law and human rights.
以前、グーグルのAIガイドラインには、AIを武器や監視、国際法や人権に反する技術に使用しないという約束が含まれていた。
After taking office, Trump rescinded an executive order by former President Joe Biden that had established safe practices for AI.
トランプ大統領は就任後、AIに関する安全な慣行を定めたジョー・バイデン前大統領による大統領令を取り消した。
Google said we should lead in AI development that is guided by core values like freedom, equality, and respect for human rights. And we believe that companies, governments, and organizations should work together to create AI that protects people, promotes global growth, and supports national security.
グーグルは、自由、平等、人権の尊重といったコアバリューに導かれたAI開発をリードすべきだと述べた。そして、企業、政府、組織が協力して、人々を保護し、世界的な成長を促進し、国家安全保障を支援するAIを開発すべきであると考えています」と述べた。
Rival tech companies Microsoft and Amazon have signed up for military deals with the US Department of Defense, and last year ChatGPT developer OpenAI said it would help develop technology for the defense department.
ライバルのテック企業であるマイクロソフトやアマゾンは、米国防総省と軍事契約を結んでおり、ChatGPT開発企業のOpenAIは昨年、国防総省向けの技術開発に協力すると発表した。
Yamanobe
+ Generative Artificial Intelligence 生成人工知能 + surveillance 監視
+ rescind [発音risind] 取消す =invalidate, void, cancel
+national security 国家安全保障
AIの安保利用、防衛省が方針策定 2024年7月2日
防衛省は2日、自衛隊での人工知能(AI)の活用に向けた基本方針を公表した。AIを衛星画像の分析に使って標的を探知したり、情報収集で使用し部隊の指揮官の意思決定を迅速にしたりする。兵器化に懸念の声もあり、ルールづくりを急ぐ。
2025年02月25日
明日の時代を創るために知る、歴史の重み
第二次世界大戦の後、昭和28年まで8年間も奄美大島でアメリカの占領下だった。そして、日本に復帰するために頑張った人々がいた。
日本の歴史、地域の歴史、まだまだ知らないことがたくさんある。
若者が夢と希望、誇りが持てる日本である為にも、もっと、もっと先人の思いを引き継いで知っておかないといけない事も多くある。
そして、良い事、悪かった事などを学びながら、あすの時代を創っていってもらいたい。
https://www.city.amami.lg.jp/kyoism/kyoiku/kyoiku/shogakukin/index.html
日本の歴史、地域の歴史、まだまだ知らないことがたくさんある。
若者が夢と希望、誇りが持てる日本である為にも、もっと、もっと先人の思いを引き継いで知っておかないといけない事も多くある。
そして、良い事、悪かった事などを学びながら、あすの時代を創っていってもらいたい。
https://www.city.amami.lg.jp/kyoism/kyoiku/kyoiku/shogakukin/index.html
2025年02月24日
◆NTV系ドラマ撮影「エキストラ」募集の件
〜 TVドラマ撮影のエキストラ募集中のお知らせ 〜
・日程 : 3/5(水) 15:00〜 21:00
・場所 : 我孫子市布佐の料理店(居酒屋の設定)
・参加 : 年齢性別不問
撮影時間が21:00までとなりますので
お子様の参加は20:00までの参加となります
⇒ 参加、ご協力をいただける方は、村上までご一報をお願いいたします
*******************************
村上千明 080-9725-1984
c.murakami2021@gmail.com
・日程 : 3/5(水) 15:00〜 21:00
・場所 : 我孫子市布佐の料理店(居酒屋の設定)
・参加 : 年齢性別不問
撮影時間が21:00までとなりますので
お子様の参加は20:00までの参加となります
⇒ 参加、ご協力をいただける方は、村上までご一報をお願いいたします
*******************************
村上千明 080-9725-1984
c.murakami2021@gmail.com
2025年02月23日
女の一人暮らし
101歳の長寿であった生活評論家、吉沢久子さんが綴った、エッセイ集『101歳。ひとり暮らしの心得』(中央公論新社)の幸せな暮らし方の秘訣は、日々に小さな喜びを大切にし、前向きに悔いの残らない時間を過ごすことだそうです;
歳をとると、それまであたりまえにできていたことが、だんだんできなくなります。足腰が弱るので歩くのもままならないし、しゃがむことができないので床のゴミも拾えません。年齢とともに肉体は衰え、できないことが増えます。
「90歳になると、大変なことが増えてきました。重いものは持てませんし、足も弱り、転んだら大変なので外を一人で歩くのも控えるようになりました。畑へ上がる階段も上れなくなって、今は近所に住む甥が野菜を育ててくれています。耳も遠くなり、補聴器を使うようになりました」
2年前には心臓の調子が悪いことがわかった。
「自分の思いどおりに体を動かせないとはどういうことなのかということを、今、経験しています。体を自由に動かせるということは大変なことだったんですね」
昨年、はじめての入院も経験した。
「胸が苦しくなって入院したんですけれど、そのときに偶然、下の歯も欠けちゃって、野菜が食べにくくなってしまったんです。それを先生に言ったら、刻み食にしますかっておっしゃるの。刻み食なんて興味がわき、お願いしますって即答したんですけれど……びっくりしました。何を食べているか全然わからないほど、野菜も肉も魚も同じようにすべてを小さく刻んでいるのが刻み食です。
それで、私たちは食べ物の大きさや厚み、硬さや柔らかさ、そういうことも全部含めて味わっているんだってわかりました。それで3日目に普通の食事に戻してくださいとお願いしました。」
「肉体的につらいことがあれば、ちょっとは落ち込んだりもしますけど、私はいつも明るい方向を見るんです。あれができなくなった、これも無理になったと嘆いてもしょうがない。そしてどうにかしなければならないことは、他の方法はないか、工夫できないかと考える。考えること自体も楽しみます」
宅配便や郵便屋さんが来ても、すぐに出られるようにしている。重い荷物を運ぶために室内でも使える簡易の台車も使い始めた。固い瓶の蓋を開けるときには、ゴム手袋を両手にはめてキュッとひねる技も身につけた。無理はしませんけれど。もったいないでしょ、あきらめたら。自分の人生なんですから、大切にしないと」
失ったものを数えて嘆いていたら、どんどん暗くなり、みじめな気持ちになるばかり。身体能力が落ちたら、それに変わる方法を工夫することも大事ではないでしょうか。
また、明るく楽しく生きるには、できないことは、固執せずあきらめる潔さも必要です。
かつてと同じように暮らせなくても、与えられた今の生活を自分らしく楽しむことができたら、十分幸せだと考えるといいのです。
『クロワッサン』931号より
でも、ちょっと異変を感じたら、病院で入院していた事も明かしています。晩年入退院を繰り返したのは体調不良もありますが、先手を講じていたのよ大きいと言えるでしょう。入院先の病室で、就寝してそのまま自然死されていたそうです。
歳をとると、それまであたりまえにできていたことが、だんだんできなくなります。足腰が弱るので歩くのもままならないし、しゃがむことができないので床のゴミも拾えません。年齢とともに肉体は衰え、できないことが増えます。
「90歳になると、大変なことが増えてきました。重いものは持てませんし、足も弱り、転んだら大変なので外を一人で歩くのも控えるようになりました。畑へ上がる階段も上れなくなって、今は近所に住む甥が野菜を育ててくれています。耳も遠くなり、補聴器を使うようになりました」
2年前には心臓の調子が悪いことがわかった。
「自分の思いどおりに体を動かせないとはどういうことなのかということを、今、経験しています。体を自由に動かせるということは大変なことだったんですね」
昨年、はじめての入院も経験した。
「胸が苦しくなって入院したんですけれど、そのときに偶然、下の歯も欠けちゃって、野菜が食べにくくなってしまったんです。それを先生に言ったら、刻み食にしますかっておっしゃるの。刻み食なんて興味がわき、お願いしますって即答したんですけれど……びっくりしました。何を食べているか全然わからないほど、野菜も肉も魚も同じようにすべてを小さく刻んでいるのが刻み食です。
それで、私たちは食べ物の大きさや厚み、硬さや柔らかさ、そういうことも全部含めて味わっているんだってわかりました。それで3日目に普通の食事に戻してくださいとお願いしました。」
「肉体的につらいことがあれば、ちょっとは落ち込んだりもしますけど、私はいつも明るい方向を見るんです。あれができなくなった、これも無理になったと嘆いてもしょうがない。そしてどうにかしなければならないことは、他の方法はないか、工夫できないかと考える。考えること自体も楽しみます」
宅配便や郵便屋さんが来ても、すぐに出られるようにしている。重い荷物を運ぶために室内でも使える簡易の台車も使い始めた。固い瓶の蓋を開けるときには、ゴム手袋を両手にはめてキュッとひねる技も身につけた。無理はしませんけれど。もったいないでしょ、あきらめたら。自分の人生なんですから、大切にしないと」
失ったものを数えて嘆いていたら、どんどん暗くなり、みじめな気持ちになるばかり。身体能力が落ちたら、それに変わる方法を工夫することも大事ではないでしょうか。
また、明るく楽しく生きるには、できないことは、固執せずあきらめる潔さも必要です。
かつてと同じように暮らせなくても、与えられた今の生活を自分らしく楽しむことができたら、十分幸せだと考えるといいのです。
『クロワッサン』931号より
でも、ちょっと異変を感じたら、病院で入院していた事も明かしています。晩年入退院を繰り返したのは体調不良もありますが、先手を講じていたのよ大きいと言えるでしょう。入院先の病室で、就寝してそのまま自然死されていたそうです。
2025年02月22日
93歳の経験則が、人との付き合い方のベストセラーに
93歳の藤井英子医師は、京都にある小さな心療内科医・クリニックを開いているが、16万部を超えるベストセラー『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)を出版したのに続き、最新刊『ほどよく孤独に生きてみる』も出ました、そこで一部抜粋、再構成して下記に紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ほどよく孤独」だからつながれる
<人は孤独に弱い生き物ですが、自分で選んだ、ほどよい孤独は、人を強くしてくれます。人は孤独を兼ね備えている、という前提で人と関われば、つながりはゆるく、軽く、でいいとわかります。>
年齢を重ねてから、統合失調症のような症状が出ることがあります。「物取られ妄想」などもそうで、これらの症状が出る原因のひとつに、孤独があるという研究結果もあるそうです。
この場合、孤独が原因ならば誰かと同居させればいいのかというと、そういうわけでもなく、急激な環境の変化は反対にストレスをもたらします。私は、このような患者さんには不安を緩和する漢方を処方すると同時に、デイサービスやデイケアなどの活用をすすめています。人の気配を感じて生活するほうが心は健やかです。
孤独を排除しようとするのではなくて、「人の心には孤独があるのが自然」と受け入れていると、孤独に飲み込まれずに済みます。別の誰かの孤独に思いを寄せることもできます。そして、孤独だからこそ、人は人とつながろうと思えます。
人間関係とは、頑張って関係づくりに「励む」ようなものではありません。
誰もが年を重ねますから、日ごろから、濃密でなくていいので「気持ちよく話せる話し相手」「困ったときに頼れるサービス」を見つけておくのがいい気がします。
ゆるく、軽くつながっておきながら、必要なときに声が掛け合える。いざというときに、手を差し出せるような関係性を育めたらいいですね。
たとえば、マンションの管理人さんに「おはようございます」と挨拶をして「いつもありがとうございます」と伝えてみる。それだけで、昨日とは違う人間関係が生まれるものです。
「友だち」より「話し相手」
<友だちでなくていいのです。「気軽に話せる人」がひとりいればそれでいい。親戚や身内でも、ご近所さんでも、「何でも話せる」より「気軽に話せる」人を見つけます。>
今、私に友だちと言える人がいるかというと、あまり思い浮かびません。医学生時代から仲間だった女性たちは、みなずいぶん前に連絡が取れなくなりました。
でも最近、土曜日にクリニックの受付をしてくれている末娘と話すことは、私のリラックスになっているようで、様子を見ている事務長に言わせれば「どこか楽しそうに見える」とのこと。普段は診察が終わるとさっさと白衣を脱いで帰る支度をはじめる私が、娘がいると割とのんびりしているようです。
そういう意味では、末娘は、なんでも気軽に話ができる相手なのかもしれません。気軽に話せる人が身近にいてくれることって、とてもありがたく楽しいことですね。
日本のあるメディアで、全国の18〜69歳を対象にして行われた調査では、友だちがいないと答えた人は、40代で52%、60代で48%だそうです。60代では友だちがいないと答えた人が少し「減っている」のは、現役で仕事をしている世代よりも、自分の時間ができる退職後のほうが友だちはつくりやすいからでしょうか。
でも、友だちをつくろう、としなくても、娘や甥っこ姪っこなどの身内や、ご近所の方など、誰かひとり、「普段話しかける人」がいてくれたらそれだけで心強いですね。
なんでも話せる、とまでいかなくてもよく、なんとなく話していて心地いい人を、勝手に「友だち」と呼ぶ。気軽な会話のやりとりができる相手を見つけることです。
距離とは「適切なつながり」
<他者とは、ほどよく心の距離を置く。これは、孤独ではなく、「適切なつながり」です。相手の範疇には立ち入らないことが、互いの信頼を安心感を生みます。>
「先生は、患者さんと毎日向き合っていることで疲れたりしないんですか」と聞かれることがあります。私が日々、心やからだに不調がある方とお話しすることを慮おもんぱかってくださったのだと思いますが、ご心配には及びません。
それは、目の前の方のつらさを「全部、私がなんとかして差し上げなくては」と、思っていないからです。
時折、子どもや親のことで、「私がなんとかしなくては」「私のせいでこうなった」と、悩み、うつ症状になっていらっしゃる患者さんもいます。家族であれ、友人であれ、苦難にさらされているときに、「なんとかしたい」という思いが湧いてくるのは自然なことです。
ただ、自分以外の人のことでできることは限られますし、何より相手の悩みは相手のものです。ご本人が、自分で考えて、結論を出し、動き出してこそ開ける道もあります。助け舟を出したり、人を紹介したり、助言や、情報をお伝えすることがあったとしても、代わりにすべてを解決することはできません。
それよりも、「相手にはよくなる力が備わっている」と信じて、「私にできることはありますか?」と尋ねてみましょう。できることがあればできる範囲で手伝い、できないことは、無理をして手を出さないことです。相手の心や立場、状況に勝手に踏み入らないことも、実は、手助けややさしさだったりします。
つづき
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ほどよく孤独」だからつながれる
<人は孤独に弱い生き物ですが、自分で選んだ、ほどよい孤独は、人を強くしてくれます。人は孤独を兼ね備えている、という前提で人と関われば、つながりはゆるく、軽く、でいいとわかります。>
年齢を重ねてから、統合失調症のような症状が出ることがあります。「物取られ妄想」などもそうで、これらの症状が出る原因のひとつに、孤独があるという研究結果もあるそうです。
この場合、孤独が原因ならば誰かと同居させればいいのかというと、そういうわけでもなく、急激な環境の変化は反対にストレスをもたらします。私は、このような患者さんには不安を緩和する漢方を処方すると同時に、デイサービスやデイケアなどの活用をすすめています。人の気配を感じて生活するほうが心は健やかです。
孤独を排除しようとするのではなくて、「人の心には孤独があるのが自然」と受け入れていると、孤独に飲み込まれずに済みます。別の誰かの孤独に思いを寄せることもできます。そして、孤独だからこそ、人は人とつながろうと思えます。
人間関係とは、頑張って関係づくりに「励む」ようなものではありません。
誰もが年を重ねますから、日ごろから、濃密でなくていいので「気持ちよく話せる話し相手」「困ったときに頼れるサービス」を見つけておくのがいい気がします。
ゆるく、軽くつながっておきながら、必要なときに声が掛け合える。いざというときに、手を差し出せるような関係性を育めたらいいですね。
たとえば、マンションの管理人さんに「おはようございます」と挨拶をして「いつもありがとうございます」と伝えてみる。それだけで、昨日とは違う人間関係が生まれるものです。
「友だち」より「話し相手」
<友だちでなくていいのです。「気軽に話せる人」がひとりいればそれでいい。親戚や身内でも、ご近所さんでも、「何でも話せる」より「気軽に話せる」人を見つけます。>
今、私に友だちと言える人がいるかというと、あまり思い浮かびません。医学生時代から仲間だった女性たちは、みなずいぶん前に連絡が取れなくなりました。
でも最近、土曜日にクリニックの受付をしてくれている末娘と話すことは、私のリラックスになっているようで、様子を見ている事務長に言わせれば「どこか楽しそうに見える」とのこと。普段は診察が終わるとさっさと白衣を脱いで帰る支度をはじめる私が、娘がいると割とのんびりしているようです。
そういう意味では、末娘は、なんでも気軽に話ができる相手なのかもしれません。気軽に話せる人が身近にいてくれることって、とてもありがたく楽しいことですね。
日本のあるメディアで、全国の18〜69歳を対象にして行われた調査では、友だちがいないと答えた人は、40代で52%、60代で48%だそうです。60代では友だちがいないと答えた人が少し「減っている」のは、現役で仕事をしている世代よりも、自分の時間ができる退職後のほうが友だちはつくりやすいからでしょうか。
でも、友だちをつくろう、としなくても、娘や甥っこ姪っこなどの身内や、ご近所の方など、誰かひとり、「普段話しかける人」がいてくれたらそれだけで心強いですね。
なんでも話せる、とまでいかなくてもよく、なんとなく話していて心地いい人を、勝手に「友だち」と呼ぶ。気軽な会話のやりとりができる相手を見つけることです。
距離とは「適切なつながり」
<他者とは、ほどよく心の距離を置く。これは、孤独ではなく、「適切なつながり」です。相手の範疇には立ち入らないことが、互いの信頼を安心感を生みます。>
「先生は、患者さんと毎日向き合っていることで疲れたりしないんですか」と聞かれることがあります。私が日々、心やからだに不調がある方とお話しすることを慮おもんぱかってくださったのだと思いますが、ご心配には及びません。
それは、目の前の方のつらさを「全部、私がなんとかして差し上げなくては」と、思っていないからです。
時折、子どもや親のことで、「私がなんとかしなくては」「私のせいでこうなった」と、悩み、うつ症状になっていらっしゃる患者さんもいます。家族であれ、友人であれ、苦難にさらされているときに、「なんとかしたい」という思いが湧いてくるのは自然なことです。
ただ、自分以外の人のことでできることは限られますし、何より相手の悩みは相手のものです。ご本人が、自分で考えて、結論を出し、動き出してこそ開ける道もあります。助け舟を出したり、人を紹介したり、助言や、情報をお伝えすることがあったとしても、代わりにすべてを解決することはできません。
それよりも、「相手にはよくなる力が備わっている」と信じて、「私にできることはありますか?」と尋ねてみましょう。できることがあればできる範囲で手伝い、できないことは、無理をして手を出さないことです。相手の心や立場、状況に勝手に踏み入らないことも、実は、手助けややさしさだったりします。
つづき
最高の二番手もアリ
決してブレない美意識を持つことだ。自分だけの美的信念を持ち、強い思いでそれを貫き通せば、その人はもっと強くなれる。
僕にとってのそれは、「抑制の効いた生き方をする」ということだ。
居心地のいい、しっくりくる湯加減を探したら、僕の場合はそれだった。
そして、一番手ではなく、「最高の二番手」を目指すこと。
たしかに、トップを目指す人がひたすら上へ上り詰めて行くときの快感には、特別な魅力があるだろう。
でもそこには、後続の人から追われるつらさもセットになっている。
逆に一位に固執しなければ、戦うべき相手は他人ではなく、自分自身になる。
そうすれば、下を見る余裕も、上を目指す探究心も併せ持ちながら、自分のペースでその場所ならではの味わいをじっくりと堪能することができる。また、二番でもいいのだと思えれば、ガツガツとした焦燥感から解放されて、結果を残したライバルを心から認め、身構えることなく彼らと共存できるという楽しみもある。
さらに、自分はまだまだ通過点にいるのだという認識が原動力となり、努力し続けることもできるし、自分はいつまでも現役だと体感することもできる。これこそが、成長し続けるコツだ。まだまだ一番手ではないという気持ちが可能性を広げ、人としての成長や深化をもたらすエネルギーを生み出し続けるのだ。
模索し続ける人生は幸せである。
他人と競って一位を目指し続けるより、二番手でいいと思えれば、何より、その奥ゆかしさが粋で素敵じゃないか。
抑制の効いた生き方、それがきっと僕のキャラクターなのだ。
いい悪いではなく、それが自分に合っているリズムなのだと思う。
それは、ある意味、父の生き方にも通じる、東京スタイルの芸風なのかもしれない。
芸能の仕事では、結局、どんな生き方をよしとするのかが、演技や話術に如実に表れる。
しかし、きっとそれは芸能界だけじゃなく、どんな業界にも当てはまることなのだ。
目指すものが顔つきに表れる。
誰もがトップランナーである必要はない。
真摯に成長したいという一生懸命さがあれば、「最高の二番手」を目指す生き方も悪くない。
堺正章『最高の二番手』飛鳥新社
『中国に「三宝」の教えというものがある。
一つは、いつくしみ、慈だと。
一つは、倹、つまり、自分の私心をなくすこと。
三つ目がね、人を前に出すことだという。
これがね、三つの宝の一番、素晴らしい宝だそうです。
自分が前に出ようとしない、人を前に出すこと。
魅力的な人は、我を出すのではなく、「人を立てる」ことが出来る人。
執着やこだわりがなく、我を捨てることができる人だ。
僕にとってのそれは、「抑制の効いた生き方をする」ということだ。
居心地のいい、しっくりくる湯加減を探したら、僕の場合はそれだった。
そして、一番手ではなく、「最高の二番手」を目指すこと。
たしかに、トップを目指す人がひたすら上へ上り詰めて行くときの快感には、特別な魅力があるだろう。
でもそこには、後続の人から追われるつらさもセットになっている。
逆に一位に固執しなければ、戦うべき相手は他人ではなく、自分自身になる。
そうすれば、下を見る余裕も、上を目指す探究心も併せ持ちながら、自分のペースでその場所ならではの味わいをじっくりと堪能することができる。また、二番でもいいのだと思えれば、ガツガツとした焦燥感から解放されて、結果を残したライバルを心から認め、身構えることなく彼らと共存できるという楽しみもある。
さらに、自分はまだまだ通過点にいるのだという認識が原動力となり、努力し続けることもできるし、自分はいつまでも現役だと体感することもできる。これこそが、成長し続けるコツだ。まだまだ一番手ではないという気持ちが可能性を広げ、人としての成長や深化をもたらすエネルギーを生み出し続けるのだ。
模索し続ける人生は幸せである。
他人と競って一位を目指し続けるより、二番手でいいと思えれば、何より、その奥ゆかしさが粋で素敵じゃないか。
抑制の効いた生き方、それがきっと僕のキャラクターなのだ。
いい悪いではなく、それが自分に合っているリズムなのだと思う。
それは、ある意味、父の生き方にも通じる、東京スタイルの芸風なのかもしれない。
芸能の仕事では、結局、どんな生き方をよしとするのかが、演技や話術に如実に表れる。
しかし、きっとそれは芸能界だけじゃなく、どんな業界にも当てはまることなのだ。
目指すものが顔つきに表れる。
誰もがトップランナーである必要はない。
真摯に成長したいという一生懸命さがあれば、「最高の二番手」を目指す生き方も悪くない。
堺正章『最高の二番手』飛鳥新社
『中国に「三宝」の教えというものがある。
一つは、いつくしみ、慈だと。
一つは、倹、つまり、自分の私心をなくすこと。
三つ目がね、人を前に出すことだという。
これがね、三つの宝の一番、素晴らしい宝だそうです。
自分が前に出ようとしない、人を前に出すこと。
魅力的な人は、我を出すのではなく、「人を立てる」ことが出来る人。
執着やこだわりがなく、我を捨てることができる人だ。
アファメーション(自己肯定)
マーク・レクラウ『習慣を変えれば人生が変わる』(ディスカヴァー出版社)
ポジティブなセルフトークは重要で、そのための効果的なテクニックはアファメーション(肯定的な自己宣言)である。
ポジティブな言葉を何度も繰り返すことによって、潜在意識にそれを信じさせることができる。いったん潜在意識がそれを信じると、あなたはそれにもとづいて行動し、必要な人と物を引き寄せ、いたるところにチャンスを見つけることができる。
アファメーションのカギは、現在形の肯定文で表現することだ。なぜなら、潜在意識は現実と想像を区別することができないからだ。
アファメーションを実行するときは自分に関することを具体的に、しかも感情をこめて表現しなければならない。
以下に例を紹介する:
●チャンスは次々と私に訪れる。
●私は人前で話すのが得意だ。
●私は仕事で成果を上げる。
●私はいつも元気いっぱいだ。
●お金は私のもとにやってくる。
練習すればするほどうまくできるようになる。たとえば、最初のうちは「お金は私のもとにやってくる」と言うと、あなたの内なる声は「そんなはずがない」と言うかもしれないが、 毎日200回、1週間にわたってそれを繰り返すと、批判的な内なる声を黙らせることができる。
アファメーションは、日本の「言霊(ことだま)」に似ている。日本では、古来より言葉には不思議な霊力が宿るとされていたが、それを「言霊」という。結婚式などの、めでたい席では、神道で言えば、「祝詞(のりと)」。逆に「忌(い)み言葉」を使ってはいけないとされている。忌み言葉とは、別れる、終わる、割れる、破れる、等々だ。忌み言葉の反対が、寿(ことほ)ぐという祝いの言葉であり、アファメーション。
窮地に陥(おちい)ったり、切羽詰ったときほど、このアファメーションが必要だ。言霊の力が、よき現実を引き寄せてくれる。
アファメーションをいつも味方にしよう。
《潜在意識は与えられた命令に絶対服従する。ただし、その命令が潜在意識に受け入れられるためには、それを何度も繰り返さなければならない。ここに重大な事実がある。》(ナポレオン・ヒル/自己啓発の大家)
ポジティブなセルフトークは重要で、そのための効果的なテクニックはアファメーション(肯定的な自己宣言)である。
ポジティブな言葉を何度も繰り返すことによって、潜在意識にそれを信じさせることができる。いったん潜在意識がそれを信じると、あなたはそれにもとづいて行動し、必要な人と物を引き寄せ、いたるところにチャンスを見つけることができる。
アファメーションのカギは、現在形の肯定文で表現することだ。なぜなら、潜在意識は現実と想像を区別することができないからだ。
アファメーションを実行するときは自分に関することを具体的に、しかも感情をこめて表現しなければならない。
以下に例を紹介する:
●チャンスは次々と私に訪れる。
●私は人前で話すのが得意だ。
●私は仕事で成果を上げる。
●私はいつも元気いっぱいだ。
●お金は私のもとにやってくる。
練習すればするほどうまくできるようになる。たとえば、最初のうちは「お金は私のもとにやってくる」と言うと、あなたの内なる声は「そんなはずがない」と言うかもしれないが、 毎日200回、1週間にわたってそれを繰り返すと、批判的な内なる声を黙らせることができる。
アファメーションは、日本の「言霊(ことだま)」に似ている。日本では、古来より言葉には不思議な霊力が宿るとされていたが、それを「言霊」という。結婚式などの、めでたい席では、神道で言えば、「祝詞(のりと)」。逆に「忌(い)み言葉」を使ってはいけないとされている。忌み言葉とは、別れる、終わる、割れる、破れる、等々だ。忌み言葉の反対が、寿(ことほ)ぐという祝いの言葉であり、アファメーション。
窮地に陥(おちい)ったり、切羽詰ったときほど、このアファメーションが必要だ。言霊の力が、よき現実を引き寄せてくれる。
アファメーションをいつも味方にしよう。
《潜在意識は与えられた命令に絶対服従する。ただし、その命令が潜在意識に受け入れられるためには、それを何度も繰り返さなければならない。ここに重大な事実がある。》(ナポレオン・ヒル/自己啓発の大家)
2025年02月21日
我孫子市の苦慮の中
千葉県我孫子市は、漫才コンビ「ナイツ」の塙(はなわ)宣之さん(46)が市ふるさと大使として出演する広報動画チャンネルについて、新年度予算案には制作費を盛り込まず、
市は新年度予算案編成に苦慮していた。支出は、福祉関連や人件費などの上昇のほかに、昨夏に焼損した市立湖北小体育館の再建もあり、増加が避けられない。一方、税収減が進み、財源確保に悩む状況だった。
今年度で打ち切る方針を固めた。市幹部が明らかにした。市の財政状況が厳しいなか、
今年度の出演料を含む制作費は約184万円だった。再生回数は500〜3千回台で、再生回数が伸び悩んでいた。市は費用対効果で存続は厳しいと判断したとみられる。今年度の制作費は約184万円。ロケに出演するナイツの塙宣之さん
塙さんは、市出身。同様に市出身のゴルファー青木功さん(82)らに続き、2018年に市の魅力を発信する大使に任命された。
動画は22年4月に開始し、毎月1本制作してきた。移住の呼びかけなど今年2月までに35本が作られた。
関係者によると、塙さんは、市から「財政が厳しい」と説明を受けると、「今後も協力できることは何でもします」と話したという。
市の関係者は「破格の安さで出演してくれた。今後も関係を維持したい」と感謝し、経費のかからない大使は続けてもらうとしている。
出典 朝日新聞(斎藤茂洋 2/19)
市は新年度予算案編成に苦慮していた。支出は、福祉関連や人件費などの上昇のほかに、昨夏に焼損した市立湖北小体育館の再建もあり、増加が避けられない。一方、税収減が進み、財源確保に悩む状況だった。
今年度で打ち切る方針を固めた。市幹部が明らかにした。市の財政状況が厳しいなか、
今年度の出演料を含む制作費は約184万円だった。再生回数は500〜3千回台で、再生回数が伸び悩んでいた。市は費用対効果で存続は厳しいと判断したとみられる。今年度の制作費は約184万円。ロケに出演するナイツの塙宣之さん
塙さんは、市出身。同様に市出身のゴルファー青木功さん(82)らに続き、2018年に市の魅力を発信する大使に任命された。
動画は22年4月に開始し、毎月1本制作してきた。移住の呼びかけなど今年2月までに35本が作られた。
関係者によると、塙さんは、市から「財政が厳しい」と説明を受けると、「今後も協力できることは何でもします」と話したという。
市の関係者は「破格の安さで出演してくれた。今後も関係を維持したい」と感謝し、経費のかからない大使は続けてもらうとしている。
出典 朝日新聞(斎藤茂洋 2/19)
2025年02月20日
危ないドイツの現状
大混乱に陥っているドイツ
総選挙を2週間後に控えたドイツが大混乱に陥っている。2月2日の日曜日、ベルリン市はブランデンブルク門付近に16万人が繰り出し、「民主主義を守れ!」「極右勢力の台頭を許すな!」と叫んで練り歩いていた。
ことの始まりはこうだ。
1月22日の午前中、バイエルン州のアシャッフェンブルクという町の公園を、保母さんに連れられた子供たちが散歩していた。小さな子供たちは、何人かが乗れる柵付きの台車に乗っていたという。
そこに難民のアフガニスタン人(28歳)がやってきて、いきなり台車の上にいた2歳の男の子の帽子とマフラーを剥ぎ取ると、刃渡り34センチの台所用の包丁で、首と肩を何度も刺して殺した。通りかかったドイツ人の男性が子供を助けようと割って入ったが、やはり刺され、亡くなった。他にも女児や保母さんらが怪我をした。
警察は、このアフガニスタン人の過去の複数の暴力行為を知っていたという。
しかし、今のドイツでは、よほどの重罪でない限り、国外退去の対象者の拘束さえもしていない。それどころか多くの重罪人は、脚にセンサーをくっつけて普通に街を歩いている。
ドイツで相次ぐ殺傷事件の背景
昨年12月20日には、旧東独のザクセン=アンハルト州の州都マクデブルクで、サウジアラビア人が市の中心で開かれていたクリスマスマーケットに車で突入し、数百メートルを暴走。6人が死亡、200人以上が重軽傷を負った。死亡した6人のうちの1人は9歳の子供だった。
このサウジアラビア人も、さまざまな奇異な言動にもかかわらず、医者として働いていたというから、ドイツ当局は難民管理はおろか、治安の維持もできていない。
また、昨年8月23日には、ノートライン=ヴェストファーレン州のゾーリンゲンで、市政650年を記念する野外でのイベント中に、26歳のシリア人がナイフで3人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。男は「イスラム国」のテロリストとの情報。
まだある。やはり昨年5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイムで、アフガニスタン人が、集会の準備をしていた保守の活動家にナイフで襲い掛かり、割って入った26歳の警官が2日後に亡くなった。
これ以外にも、すぐに忘れられてしまう殺人が山ほどあり、ティーンネイジャーの子供を難民(申請者)に殺された300組もの夫婦が、すでに互助会を結成している。彼らは、悲劇が2度と繰り返されないようにと政治に働きかけているが、政治家らは聞く耳を持たない。
犠牲が出るたびに「深い悲しみの意」を表し、「遺族の方々と心を一つにし」、「今後、こういう悲劇の起こらないよう最大の努力をする」と決まり文句を言うだけだ。
それどころか今回の2歳児の殺害の後、社民党の厚生相は、「難民は過去のトラウマで精神にダメージを受けているのに、彼らに手厚い心療テラピーを施せないドイツ側にも責任がある」というような言い方をした。しかし、現実問題として、医療の現場は移民難民の増加で、今でさえすでに崩壊しかかっている。
それにしても、これだけ問題が山積しているのに、なぜ、この状態が放置されたままになっているのか? それは、難民問題に本気で対処していたのが、AfD(ドイツのための選択肢)だけであったからだ(AfDとは、極右だ、ナチだと誹謗中傷されている保守党)。
ついに国民の堪忍袋の緒が切れた!
ドイツの全ての党は、AfDとは何があっても協力しない(ドイツではこれを防火壁と呼んでいる)ということを天命のように守り続けているため、AfDがどんな動議を出そうが絶対に通らない。
それどころか、提出された法案や動議にAfDが賛成しそうだとわかると、それらが取り下げられるのが常だった。あるいは、AfDが賛成できないような文言を最初からわざと織り込むとか。
つまり、ドイツの議会における重要度は、提出されている動議や法案の中身の是非ではなく、AfDがそれに賛成するか否かであった。これが7年間も続いてきたのだから、難民問題は一向に改善されず、さらには、ドイツの政治自体が機能不全になっていたのは、ある意味、当然だった。そして、この悪政に苦しんでいるのが、言うまでもなく国民である。
ところが、今回は少し様子が違った。何の抵抗もできなかった2歳の男児が、白昼、公園で刺殺されたインパクトは大きく、ついに国民の堪忍袋の緒が切れた。
おりしもドイツは選挙戦のまっ最中。国民の動揺を見たCDUのメルツ党首は、AfDが賛成するとわかっていたにもかかわらず、難民対策の厳格化を目指す動議を国会に提出した。つまり、「防火壁」を破ったわけだ。そして、「正しい動議は、たとえ間違った党がそれに賛成したとしても、正しさは変わらない」というヘンテコな理屈で、その行動を弁護した。
1月29日、この動議が、自民党、BSW、そしてもちろんAfDの賛成票を得て、採択された。ところがその途端、緑の党と社民党が、CDUへの攻撃を開始した。CDUが「防火壁」を壊し、極右のAfDと組んだとして、激しく非難した。
これにより、難民問題はあっという間にどこかにすっ飛んで(緑の党も社民党も元々、難民法を厳しくしたいなどとは思っていない)、テーマはナチ撲滅、および民主主義の防衛に切り替わった。
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さらに、過激な左翼活動家が突然、どこからか湧き出し、“民主主義の敵”であるCDUの事務所などを包囲したり、攻撃したりし始めた。これにより、ようやく混沌としていた情勢が安定するかと期待していた多くの国民は、再び裏切られたのである。
では、CDUはどんな法律を作ろうとしていたのか?
いまドイツ国民が感じている「限界」
「現在、暫定的に行われている国境での監視を持続化させる」とか、「身分証明のない人間には入国を許可しない」とか、「難民審査に落ちた人の母国送還を徹底する」とか、「国外退去の対象者で逃亡の恐れのある人は拘束できるようにする」など、当たり前のことばかりだ。
しかも、これは多くの国民が希望していることでもある。増え過ぎた難民のおかげで、治安が悪化し、住宅が不足し、学校も医療も機能しない。皆、難民をこれ以上、無制限に受け入れることには、限界を感じている。
ところが、この明くる日、驚くべきことが起こった。突然、メルケル元首相が浮上し、「AfDとの協働は良くない」というコメントを発信したのだ。メルケル氏はCDUの党員であり、かつては党首だった。それなのに、総選挙で首相府を取り戻そうと頑張っているメルツ党首の背中を、冷酷にも後ろから撃ったのである。
そもそも、なぜ、今、難民問題がドイツの国難となっているかといえば、メルケル氏が2015年9月、国会も通さず、他のEUの国々と相談もせず、独断でドイツの国境を開いてしまったからだ。それ以後、ドイツは巨大なブラックホールのように中東やアフリカの難民を吸い込み続け、EUは次々と起こるテロ事件で未曾有の混乱に陥り、いまだにその後始末に追われている。
それにもかかわらず、メルケル氏は涼しい顔で、自分の“難民ようこそ政策”の継続を推奨している。難民の暴力で倒れた人たちのことも、国民の苦渋も完全に無視して、難民政策の改正を断固拒否する緑の党と社民党を力強く支援したのだ。
その背景には、メルツ氏とメルケル氏が、20年来、犬猿の仲であるという事実も関係しているだろう。メルケル氏の真の目的は、メルツ降ろしだったのではないかと、私は勘ぐっている。詳しくは、拙著『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)をお読みいただきたい。
誰から民主主義を守ろうとしているのか
メルケル介入の翌日の31日、国会でCDU法案の賛否を問う投票が行われた。しかし、この日、メルツ党首はすでに弱っていた。結局、この法案に一致団結して賛成票を投じたのはAfDのみで、なんと、肝心のCDUからも、そして自民党からも脱落者が出て、法案はあっけなく潰れた。防火壁は綻びながらも倒れなかったのだ。
しかし、CDUとAfDに対する攻撃はその後もやまず、2月1日、2日はドイツのあちこちの都市で大掛かりな反極右のデモが開かれ、CDUとAfDが槍玉に上げられた。
ちなみに1月9日、米国テスラのイーロン・マスク氏は、X上でAfDのヴァイデル共同党首と対談した際、次のように述べていた。
「他人の言論の自由を抑圧すれば、必ず、それが将来、自分にも跳ね返ってくる」
CDUがナチだと誹謗されている姿を見て、私はそれを思い出し、マスク氏の予言が早くも現実になったことに驚愕した。些細なことで、民衆の矛先は変わるのだ。
ただ、わからないのは、この大掛かりなデモの参加者たちは、一体、誰の手から民主主義を守ろうとしているのかということだ。CDUとAfDが共に難民法の改正を望んだからといって、ドイツに再びナチ台頭の脅威が増すという論理は、いくら何でも無理があった。
つまり、どう見てもこれは、総選挙に向けての緑の党と社民党のための官製デモに他ならない。デモの参加者らは、知ってか知らずかそれに乗っかり、「メルツよ、恥を知れ!」などといった過激なプラカードを掲げて高揚していた。
それどころかニュースの画面には、嬉々としてデモに参加し、民主主義の守護者を演じている緑の党や社民党の政治家の姿まであった。それを見ながら私は、ドイツ人はイランでこういうデモがあればバカにするくせに、自分たちは今、まさに同じことをしているではないかという思いを打ち消すことができなかった。
すり替えられた難民問題
婦女暴行や、ナイフでの傷害事件の犯人のうち、中東難民の占める割合が異常に高いことは、すでに昨年、連邦検察庁が発表していた。CDUの法案は、それら犯罪者の流入を予防し、治安を回復し、少しでも犠牲者を減らすためのものだった。だからこそ、AfDも賛成したのだ。
しかし、難民問題は見事にすり替えられ、デモの参加者は、極右打倒と叫んでいた。
ただ、彼らはおそらく、AfDの主張のどこが極右なのかと聞かれれば、答えられないに違いない。実際にはAfDの政策は、他のどの党よりも一番筋が通っており、しかも、決してぶれなかった。
ただ、メディアは常にAfDを締め出し、「とんでもない党だ」、「彼らが政権に入ればドイツは再びナチ独裁になる」などという情報だけを流した。だからこそ、それを信じた人たちが、存在しない敵に向かって拳を振り上げているのだ。多くの独立系のメディアも同じ考えだったようで、今回のデモを「幻の敵を倒すためのデモ」と評していた。
一方、CDUのメルツ氏はブレまくり、今や、「我々は絶対にAfDと協働することはない」と必死で弁明。しかし、そうなると、第1党になっても社民党と緑の党以外、連立相手はいない(ドイツでは得票率が5%以下の政党は、国会で議席を持てない)。
ナチが台頭していた1930年代、批判者は口をつぐんだ。そして、口を開いた少数の人たちは迫害され、強制収容所に送られ、あるいは処刑された。ドイツ人は後になってそんな彼らのことを、勇気あった人々として称賛している。自分もその時代に生きていたなら、勇気ある人の一人だったと言わんばかりだ。
そして、その彼らが今、デモに集結し、AfDを潰さなければならないと息巻いている。しかし、私の目には、弾圧されているAfDの政治家の姿の方が、当時、ナチに弾圧されていた勇気ある人たちの姿と重なる。
ドイツの官製メディアの主張を垂れ流す日本
そもそもAfDは、民主国家ドイツで許可された党で、議員は当然、普通選挙で選ばれている。しかも、それを、何百万人もの有権者が支持しているのである。それなのに、AfDを潰すことが民主主義だという主張は、一体どんな理論によって支えられているのか。
当時、ナチに抵抗していた人たちは、膨大な大衆の力で潰されてしまった。今回もまた、デモの大衆の方が間違っているという可能性はないのか。
しかし、日本のメディアはそこに何のメスも入れないまま、ドイツの官製メディアの主張を丸ごと書き写している。
デモ隊の人たちで、ティアガルテンが埋め尽くされていた夜、ベルリンのお臍ともいえる場所に立つ戦勝記念塔(高さ67m)には、「全ベルリンがCDU(キリスト教民主同盟)を憎んでいる」という字幕がライトアップで流れされた。憎むこと(ヘイト)は悪だと言っていたのは、一体どこの誰だったのか?
現在、ドイツで起こっていることは、私には理解不能なことが多すぎる。デモの参加者はマジョリティなのか、それとも、他に静かなマジョリティーが存在するのか。23日の総選挙が待たれる。
出典 現代ビジネス(川口リーマン 2月10日)
総選挙を2週間後に控えたドイツが大混乱に陥っている。2月2日の日曜日、ベルリン市はブランデンブルク門付近に16万人が繰り出し、「民主主義を守れ!」「極右勢力の台頭を許すな!」と叫んで練り歩いていた。
ことの始まりはこうだ。
1月22日の午前中、バイエルン州のアシャッフェンブルクという町の公園を、保母さんに連れられた子供たちが散歩していた。小さな子供たちは、何人かが乗れる柵付きの台車に乗っていたという。
そこに難民のアフガニスタン人(28歳)がやってきて、いきなり台車の上にいた2歳の男の子の帽子とマフラーを剥ぎ取ると、刃渡り34センチの台所用の包丁で、首と肩を何度も刺して殺した。通りかかったドイツ人の男性が子供を助けようと割って入ったが、やはり刺され、亡くなった。他にも女児や保母さんらが怪我をした。
警察は、このアフガニスタン人の過去の複数の暴力行為を知っていたという。
しかし、今のドイツでは、よほどの重罪でない限り、国外退去の対象者の拘束さえもしていない。それどころか多くの重罪人は、脚にセンサーをくっつけて普通に街を歩いている。
ドイツで相次ぐ殺傷事件の背景
昨年12月20日には、旧東独のザクセン=アンハルト州の州都マクデブルクで、サウジアラビア人が市の中心で開かれていたクリスマスマーケットに車で突入し、数百メートルを暴走。6人が死亡、200人以上が重軽傷を負った。死亡した6人のうちの1人は9歳の子供だった。
このサウジアラビア人も、さまざまな奇異な言動にもかかわらず、医者として働いていたというから、ドイツ当局は難民管理はおろか、治安の維持もできていない。
また、昨年8月23日には、ノートライン=ヴェストファーレン州のゾーリンゲンで、市政650年を記念する野外でのイベント中に、26歳のシリア人がナイフで3人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。男は「イスラム国」のテロリストとの情報。
まだある。やはり昨年5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイムで、アフガニスタン人が、集会の準備をしていた保守の活動家にナイフで襲い掛かり、割って入った26歳の警官が2日後に亡くなった。
これ以外にも、すぐに忘れられてしまう殺人が山ほどあり、ティーンネイジャーの子供を難民(申請者)に殺された300組もの夫婦が、すでに互助会を結成している。彼らは、悲劇が2度と繰り返されないようにと政治に働きかけているが、政治家らは聞く耳を持たない。
犠牲が出るたびに「深い悲しみの意」を表し、「遺族の方々と心を一つにし」、「今後、こういう悲劇の起こらないよう最大の努力をする」と決まり文句を言うだけだ。
それどころか今回の2歳児の殺害の後、社民党の厚生相は、「難民は過去のトラウマで精神にダメージを受けているのに、彼らに手厚い心療テラピーを施せないドイツ側にも責任がある」というような言い方をした。しかし、現実問題として、医療の現場は移民難民の増加で、今でさえすでに崩壊しかかっている。
それにしても、これだけ問題が山積しているのに、なぜ、この状態が放置されたままになっているのか? それは、難民問題に本気で対処していたのが、AfD(ドイツのための選択肢)だけであったからだ(AfDとは、極右だ、ナチだと誹謗中傷されている保守党)。
ついに国民の堪忍袋の緒が切れた!
ドイツの全ての党は、AfDとは何があっても協力しない(ドイツではこれを防火壁と呼んでいる)ということを天命のように守り続けているため、AfDがどんな動議を出そうが絶対に通らない。
それどころか、提出された法案や動議にAfDが賛成しそうだとわかると、それらが取り下げられるのが常だった。あるいは、AfDが賛成できないような文言を最初からわざと織り込むとか。
つまり、ドイツの議会における重要度は、提出されている動議や法案の中身の是非ではなく、AfDがそれに賛成するか否かであった。これが7年間も続いてきたのだから、難民問題は一向に改善されず、さらには、ドイツの政治自体が機能不全になっていたのは、ある意味、当然だった。そして、この悪政に苦しんでいるのが、言うまでもなく国民である。
ところが、今回は少し様子が違った。何の抵抗もできなかった2歳の男児が、白昼、公園で刺殺されたインパクトは大きく、ついに国民の堪忍袋の緒が切れた。
おりしもドイツは選挙戦のまっ最中。国民の動揺を見たCDUのメルツ党首は、AfDが賛成するとわかっていたにもかかわらず、難民対策の厳格化を目指す動議を国会に提出した。つまり、「防火壁」を破ったわけだ。そして、「正しい動議は、たとえ間違った党がそれに賛成したとしても、正しさは変わらない」というヘンテコな理屈で、その行動を弁護した。
1月29日、この動議が、自民党、BSW、そしてもちろんAfDの賛成票を得て、採択された。ところがその途端、緑の党と社民党が、CDUへの攻撃を開始した。CDUが「防火壁」を壊し、極右のAfDと組んだとして、激しく非難した。
これにより、難民問題はあっという間にどこかにすっ飛んで(緑の党も社民党も元々、難民法を厳しくしたいなどとは思っていない)、テーマはナチ撲滅、および民主主義の防衛に切り替わった。
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さらに、過激な左翼活動家が突然、どこからか湧き出し、“民主主義の敵”であるCDUの事務所などを包囲したり、攻撃したりし始めた。これにより、ようやく混沌としていた情勢が安定するかと期待していた多くの国民は、再び裏切られたのである。
では、CDUはどんな法律を作ろうとしていたのか?
いまドイツ国民が感じている「限界」
「現在、暫定的に行われている国境での監視を持続化させる」とか、「身分証明のない人間には入国を許可しない」とか、「難民審査に落ちた人の母国送還を徹底する」とか、「国外退去の対象者で逃亡の恐れのある人は拘束できるようにする」など、当たり前のことばかりだ。
しかも、これは多くの国民が希望していることでもある。増え過ぎた難民のおかげで、治安が悪化し、住宅が不足し、学校も医療も機能しない。皆、難民をこれ以上、無制限に受け入れることには、限界を感じている。
ところが、この明くる日、驚くべきことが起こった。突然、メルケル元首相が浮上し、「AfDとの協働は良くない」というコメントを発信したのだ。メルケル氏はCDUの党員であり、かつては党首だった。それなのに、総選挙で首相府を取り戻そうと頑張っているメルツ党首の背中を、冷酷にも後ろから撃ったのである。
そもそも、なぜ、今、難民問題がドイツの国難となっているかといえば、メルケル氏が2015年9月、国会も通さず、他のEUの国々と相談もせず、独断でドイツの国境を開いてしまったからだ。それ以後、ドイツは巨大なブラックホールのように中東やアフリカの難民を吸い込み続け、EUは次々と起こるテロ事件で未曾有の混乱に陥り、いまだにその後始末に追われている。
それにもかかわらず、メルケル氏は涼しい顔で、自分の“難民ようこそ政策”の継続を推奨している。難民の暴力で倒れた人たちのことも、国民の苦渋も完全に無視して、難民政策の改正を断固拒否する緑の党と社民党を力強く支援したのだ。
その背景には、メルツ氏とメルケル氏が、20年来、犬猿の仲であるという事実も関係しているだろう。メルケル氏の真の目的は、メルツ降ろしだったのではないかと、私は勘ぐっている。詳しくは、拙著『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)をお読みいただきたい。
誰から民主主義を守ろうとしているのか
メルケル介入の翌日の31日、国会でCDU法案の賛否を問う投票が行われた。しかし、この日、メルツ党首はすでに弱っていた。結局、この法案に一致団結して賛成票を投じたのはAfDのみで、なんと、肝心のCDUからも、そして自民党からも脱落者が出て、法案はあっけなく潰れた。防火壁は綻びながらも倒れなかったのだ。
しかし、CDUとAfDに対する攻撃はその後もやまず、2月1日、2日はドイツのあちこちの都市で大掛かりな反極右のデモが開かれ、CDUとAfDが槍玉に上げられた。
ちなみに1月9日、米国テスラのイーロン・マスク氏は、X上でAfDのヴァイデル共同党首と対談した際、次のように述べていた。
「他人の言論の自由を抑圧すれば、必ず、それが将来、自分にも跳ね返ってくる」
CDUがナチだと誹謗されている姿を見て、私はそれを思い出し、マスク氏の予言が早くも現実になったことに驚愕した。些細なことで、民衆の矛先は変わるのだ。
ただ、わからないのは、この大掛かりなデモの参加者たちは、一体、誰の手から民主主義を守ろうとしているのかということだ。CDUとAfDが共に難民法の改正を望んだからといって、ドイツに再びナチ台頭の脅威が増すという論理は、いくら何でも無理があった。
つまり、どう見てもこれは、総選挙に向けての緑の党と社民党のための官製デモに他ならない。デモの参加者らは、知ってか知らずかそれに乗っかり、「メルツよ、恥を知れ!」などといった過激なプラカードを掲げて高揚していた。
それどころかニュースの画面には、嬉々としてデモに参加し、民主主義の守護者を演じている緑の党や社民党の政治家の姿まであった。それを見ながら私は、ドイツ人はイランでこういうデモがあればバカにするくせに、自分たちは今、まさに同じことをしているではないかという思いを打ち消すことができなかった。
すり替えられた難民問題
婦女暴行や、ナイフでの傷害事件の犯人のうち、中東難民の占める割合が異常に高いことは、すでに昨年、連邦検察庁が発表していた。CDUの法案は、それら犯罪者の流入を予防し、治安を回復し、少しでも犠牲者を減らすためのものだった。だからこそ、AfDも賛成したのだ。
しかし、難民問題は見事にすり替えられ、デモの参加者は、極右打倒と叫んでいた。
ただ、彼らはおそらく、AfDの主張のどこが極右なのかと聞かれれば、答えられないに違いない。実際にはAfDの政策は、他のどの党よりも一番筋が通っており、しかも、決してぶれなかった。
ただ、メディアは常にAfDを締め出し、「とんでもない党だ」、「彼らが政権に入ればドイツは再びナチ独裁になる」などという情報だけを流した。だからこそ、それを信じた人たちが、存在しない敵に向かって拳を振り上げているのだ。多くの独立系のメディアも同じ考えだったようで、今回のデモを「幻の敵を倒すためのデモ」と評していた。
一方、CDUのメルツ氏はブレまくり、今や、「我々は絶対にAfDと協働することはない」と必死で弁明。しかし、そうなると、第1党になっても社民党と緑の党以外、連立相手はいない(ドイツでは得票率が5%以下の政党は、国会で議席を持てない)。
ナチが台頭していた1930年代、批判者は口をつぐんだ。そして、口を開いた少数の人たちは迫害され、強制収容所に送られ、あるいは処刑された。ドイツ人は後になってそんな彼らのことを、勇気あった人々として称賛している。自分もその時代に生きていたなら、勇気ある人の一人だったと言わんばかりだ。
そして、その彼らが今、デモに集結し、AfDを潰さなければならないと息巻いている。しかし、私の目には、弾圧されているAfDの政治家の姿の方が、当時、ナチに弾圧されていた勇気ある人たちの姿と重なる。
ドイツの官製メディアの主張を垂れ流す日本
そもそもAfDは、民主国家ドイツで許可された党で、議員は当然、普通選挙で選ばれている。しかも、それを、何百万人もの有権者が支持しているのである。それなのに、AfDを潰すことが民主主義だという主張は、一体どんな理論によって支えられているのか。
当時、ナチに抵抗していた人たちは、膨大な大衆の力で潰されてしまった。今回もまた、デモの大衆の方が間違っているという可能性はないのか。
しかし、日本のメディアはそこに何のメスも入れないまま、ドイツの官製メディアの主張を丸ごと書き写している。
デモ隊の人たちで、ティアガルテンが埋め尽くされていた夜、ベルリンのお臍ともいえる場所に立つ戦勝記念塔(高さ67m)には、「全ベルリンがCDU(キリスト教民主同盟)を憎んでいる」という字幕がライトアップで流れされた。憎むこと(ヘイト)は悪だと言っていたのは、一体どこの誰だったのか?
現在、ドイツで起こっていることは、私には理解不能なことが多すぎる。デモの参加者はマジョリティなのか、それとも、他に静かなマジョリティーが存在するのか。23日の総選挙が待たれる。
出典 現代ビジネス(川口リーマン 2月10日)
2025年02月19日
人口移動は、女性がカギ
2024年の住民基本台帳人口移動報告の年報が1月31日に発表された。
注)社会増減数=(転入者数−転出者数)+(国外からの転入者数−国外への転出者数)+移動前の住所地不詳−職権消除等
外国人を含む集計を開始した2014年以降、過去最多となっている。
市区町村間移動者数は、前年に比べ3万7914人(6.7%)の増加となり、男女別にみると、男性は2万5301人(7.8%)の増加、女性は1万2613人(5.2%)の増加となっている。
各都道府県の転出超過(社会減)人口をランキング形式で表示することで、今の時代の人々に選ばれにくいエリアの傾向を俯瞰することができる。前年に比べ転入者数が最も増加しているのは東京都で、7321人(1.6%)の増加、次いで大阪府、千葉県などとなっており、7都府県で増加となっている。転出者数は10道府県で増加、最も増加しているのは埼玉県
対前年増減率では、石川県が最も増加
一方、前年に比べ転入者数が最も減少しているのは茨城県で、3103人(5.3%)の減少、次いで神奈川県、宮城県などとなっており、40道府県で減少となっている。
そして、都道府県の「今の世代からの人気度」は、そのエリアへの転入数から転出数を引いた「転入超過数」でみることができる。
住民票上でみて、入ってくる人口よりも、出ていく人口が多い「転出超過=社会減」エリアは、簡単に言うならば、今の時代の人々(正確に言うとほぼ20代人口)に人気がないエリアといえる。
2024年の本稿では国内移動について、「移動者」と定義される日本人と外国人の移動を合計した数値を扱っている。
47都道府県で社会増となったのは7エリア、社会減となったのは40エリアで、2023年とエリア数配分は変わらない。
社会減エリアは女性に選ばれにくい状況に変わりはない。
ところで、片道の転入出数で見れば男性の方が多いのであるが、男性に関しては他のエリアからIターン、Uターン移動してきたりする数が多い。女性は男性より出ていかないが、IターンUターンしてくる数が少ないために、結果として女性を多く地元から失うのである。
社会減の男女アンバランス度合いでみると、栃木県が女性だけを1000人以上も減らすという県として際立っている。
また、群馬県も男性の32倍という驚愕の男女アンバランスな女性減である。女性減が男性減の3倍を超えているのは熊本県、宮崎県で、2倍を超えているのは北海道、大分県となっている。このことから、北関東>九州>北海道の順で、女性減に強い危機意識を持つべきである。
一方、社会減数で男女数がほぼ同じとなるエリアも増加傾向となっている。大学新卒を中心とした就職減が社会減の主たる要因であるため、令和時代のジェンダーレス価値観(多様性)教育を受けた若者が、男女関係なく地元を就職で選ばなくなってくる傾向も、今後拡大していく傾向が見える。
都道府県別にみると、社会増加となっているのは、東京都(14万548人)、大阪府(4万9767人)、神奈川県(4万1916人)など20都道府県で、前年に比べ社会増加数が最も拡大しているのは東京都(2万4350人)となっている。
一方、社会減少となっているのは、福島県(5139人)、青森県(4537人)、新潟県(4008人)など27県で、前年に比べ社会減少数が最も拡大しているのは石川県(2114人)となっている。
出典
ニッセイ基礎研究所
総務省統計局 https://www.stat.go.jp/data/idou/2024np/jissu/pdf/gaiyou.pdf
注)社会増減数=(転入者数−転出者数)+(国外からの転入者数−国外への転出者数)+移動前の住所地不詳−職権消除等
外国人を含む集計を開始した2014年以降、過去最多となっている。
市区町村間移動者数は、前年に比べ3万7914人(6.7%)の増加となり、男女別にみると、男性は2万5301人(7.8%)の増加、女性は1万2613人(5.2%)の増加となっている。
各都道府県の転出超過(社会減)人口をランキング形式で表示することで、今の時代の人々に選ばれにくいエリアの傾向を俯瞰することができる。前年に比べ転入者数が最も増加しているのは東京都で、7321人(1.6%)の増加、次いで大阪府、千葉県などとなっており、7都府県で増加となっている。転出者数は10道府県で増加、最も増加しているのは埼玉県
対前年増減率では、石川県が最も増加
一方、前年に比べ転入者数が最も減少しているのは茨城県で、3103人(5.3%)の減少、次いで神奈川県、宮城県などとなっており、40道府県で減少となっている。
そして、都道府県の「今の世代からの人気度」は、そのエリアへの転入数から転出数を引いた「転入超過数」でみることができる。
住民票上でみて、入ってくる人口よりも、出ていく人口が多い「転出超過=社会減」エリアは、簡単に言うならば、今の時代の人々(正確に言うとほぼ20代人口)に人気がないエリアといえる。
2024年の本稿では国内移動について、「移動者」と定義される日本人と外国人の移動を合計した数値を扱っている。
47都道府県で社会増となったのは7エリア、社会減となったのは40エリアで、2023年とエリア数配分は変わらない。
社会減エリアは女性に選ばれにくい状況に変わりはない。
ところで、片道の転入出数で見れば男性の方が多いのであるが、男性に関しては他のエリアからIターン、Uターン移動してきたりする数が多い。女性は男性より出ていかないが、IターンUターンしてくる数が少ないために、結果として女性を多く地元から失うのである。
社会減の男女アンバランス度合いでみると、栃木県が女性だけを1000人以上も減らすという県として際立っている。
また、群馬県も男性の32倍という驚愕の男女アンバランスな女性減である。女性減が男性減の3倍を超えているのは熊本県、宮崎県で、2倍を超えているのは北海道、大分県となっている。このことから、北関東>九州>北海道の順で、女性減に強い危機意識を持つべきである。
一方、社会減数で男女数がほぼ同じとなるエリアも増加傾向となっている。大学新卒を中心とした就職減が社会減の主たる要因であるため、令和時代のジェンダーレス価値観(多様性)教育を受けた若者が、男女関係なく地元を就職で選ばなくなってくる傾向も、今後拡大していく傾向が見える。
都道府県別にみると、社会増加となっているのは、東京都(14万548人)、大阪府(4万9767人)、神奈川県(4万1916人)など20都道府県で、前年に比べ社会増加数が最も拡大しているのは東京都(2万4350人)となっている。
一方、社会減少となっているのは、福島県(5139人)、青森県(4537人)、新潟県(4008人)など27県で、前年に比べ社会減少数が最も拡大しているのは石川県(2114人)となっている。
出典
ニッセイ基礎研究所
総務省統計局 https://www.stat.go.jp/data/idou/2024np/jissu/pdf/gaiyou.pdf
2025年02月18日
戦後80周年、日韓孤高正常化60周年
日本が過去の植民地支配に対する謝罪や補償について「時には前向きで時には退行的な姿を見せてきた」とする。こうした受け止め方の裏には日韓外交の「内政化」、すなわち相手国への姿勢が支持固めに利用されたり、攻撃材料に使われたりする問題があるだろう。韓国では反日的政策で勢いづいた政権があり、日本では韓国に強い姿勢で臨み保守層を惹きつけた政権があった。
提言では「歴史問題によって日韓協力を先送りすることは国益の損失」とし、歴史認識をめぐる問題を別個に管理すべきとの立場を明らかにしている。「過去が日韓関係の未来を壊すべきではない」という姿勢に応えるには、日本は“歴史修正的”と誤解される言動は避けるべきだ。
その文脈では戦後80年という節目でもある今年、石破総理が示す歴史観が注目される。石破総理は自著で「歴史を検証し学んでみると、我々が繰り返し過ちを犯してきたかがわかる」としている。ある自民党幹部は「総理は戦後80年談話を出したいだろう。しかし安倍総理の70年談話の線を越えると党内の保守派は猛反発し、党内は揉める。だが自分のカラーからトーンダウンしたものを出しても意味がない、難しいところだ」と語った。
この週末、日韓国交正常化60周年を記念し「東京タワー」と「ソウルタワー」が同時にライトアップされた。節目の年に合わせ尹大統領が大阪万博のタイミングで来日する、という観測も以前はあったが、もはや望むべくもない。とはいえ、今年を盛り上げる必要性は両国ともに感じている。
すでに幅広い世代が互いのドラマ、映画などを楽しむようになっている。提言の中には「文化コンテンツの共同開発」が含まれる。TBSをはじめ地方局を含むテレビ局がドラマなどの共同制作にすでに取り組んでいる。プロ野球やサッカー、バスケットボールリーグなどの「統合運営の検討」というアイデアも盛り込まれた。「どんな政権が成立しても」関係を後戻りさせないための創造的取り組みは、これからも一層求められる。
出典 TBS Newsデジタル(2/17)
提言では「歴史問題によって日韓協力を先送りすることは国益の損失」とし、歴史認識をめぐる問題を別個に管理すべきとの立場を明らかにしている。「過去が日韓関係の未来を壊すべきではない」という姿勢に応えるには、日本は“歴史修正的”と誤解される言動は避けるべきだ。
その文脈では戦後80年という節目でもある今年、石破総理が示す歴史観が注目される。石破総理は自著で「歴史を検証し学んでみると、我々が繰り返し過ちを犯してきたかがわかる」としている。ある自民党幹部は「総理は戦後80年談話を出したいだろう。しかし安倍総理の70年談話の線を越えると党内の保守派は猛反発し、党内は揉める。だが自分のカラーからトーンダウンしたものを出しても意味がない、難しいところだ」と語った。
この週末、日韓国交正常化60周年を記念し「東京タワー」と「ソウルタワー」が同時にライトアップされた。節目の年に合わせ尹大統領が大阪万博のタイミングで来日する、という観測も以前はあったが、もはや望むべくもない。とはいえ、今年を盛り上げる必要性は両国ともに感じている。
すでに幅広い世代が互いのドラマ、映画などを楽しむようになっている。提言の中には「文化コンテンツの共同開発」が含まれる。TBSをはじめ地方局を含むテレビ局がドラマなどの共同制作にすでに取り組んでいる。プロ野球やサッカー、バスケットボールリーグなどの「統合運営の検討」というアイデアも盛り込まれた。「どんな政権が成立しても」関係を後戻りさせないための創造的取り組みは、これからも一層求められる。
出典 TBS Newsデジタル(2/17)
2025年02月17日
トランプ氏は上手くのか
米大統領が共和党のドナルド・トランプ氏(78)に変わった。
2016年大統領選を制したが、政治経験を経ずに政務にたずさわる「アウトサイダー」だった。20年選挙では敗れるという現職としては少なからずレアなケースだったが、それが再び「米国第一」を掲げて復権を決めたのは、もっと異例だった。
トランプ氏は1946年、ニューヨークで生まれた。父親から引き継いだ不動産事業で成功し、テレビ番組の司会も務めた。映画・ホームアローンにちょい役(ホテルのマネージャー)で出演していた。
16年大統領選では、手堅い政治経験の民主党のヒラリー・クリントンを破り、既存政治を容赦なく批判する姿が支持を集めて勝利した。その後、大統領就任後も型破りな言動で度々物議を醸し、バイデンに敗れた20年大統領選挙の結果は今でも認めていない。
退任後、21年の連邦議会占拠事件関連など四つの事件で起訴されたが、民主党による「魔女狩り」などと訴えて支持集めに利用した。
妻はスロベニア出身の元モデル、メラニアさん。前妻2人との間に生まれた子を含め、5人の子と10人の孫がいる。
今後のトランプ大統領の進む道は険しいとの予測をするエマニュエル・トッド教授の予測を紹介しておこう
2016年大統領選を制したが、政治経験を経ずに政務にたずさわる「アウトサイダー」だった。20年選挙では敗れるという現職としては少なからずレアなケースだったが、それが再び「米国第一」を掲げて復権を決めたのは、もっと異例だった。
トランプ氏は1946年、ニューヨークで生まれた。父親から引き継いだ不動産事業で成功し、テレビ番組の司会も務めた。映画・ホームアローンにちょい役(ホテルのマネージャー)で出演していた。
16年大統領選では、手堅い政治経験の民主党のヒラリー・クリントンを破り、既存政治を容赦なく批判する姿が支持を集めて勝利した。その後、大統領就任後も型破りな言動で度々物議を醸し、バイデンに敗れた20年大統領選挙の結果は今でも認めていない。
退任後、21年の連邦議会占拠事件関連など四つの事件で起訴されたが、民主党による「魔女狩り」などと訴えて支持集めに利用した。
妻はスロベニア出身の元モデル、メラニアさん。前妻2人との間に生まれた子を含め、5人の子と10人の孫がいる。
今後のトランプ大統領の進む道は険しいとの予測をするエマニュエル・トッド教授の予測を紹介しておこう
2025年02月16日
ポジティブな言葉を発すること
『言葉というのは、どう言ったらかっこいいかなんだ。
かっこいいことを言っている人には世間が味方するし、神様も味方してくれる。
たとえ本音は違ったとしても、かっこいいことを言って欲しいよね。
斎藤一人 「楽しんだ人だけが成功する」PHP研究所)
それって、ドナルド・トランプのやっていることのような感じだ。
スコット・アラン『最高の人生にする方法』ディスカヴァー
毎朝、気分をリセットして、ポジティブな思考をするために目を覚ますと、ポジティブな名言をいくつか選んで読むことにしている。
ポジティブな名言には気分を盛り上げる力があり、脳を活性化して新しいアイデアを生み出し、一日の中で出くわす困難を乗り切るのに役立つ。
変化をうながし、行動を起こすように勇気づけてくれるからだ。
ポジティブな名言は次の4つの点で役に立つ。
1.モチベーションを上げてくれる。エネルギッシュになって積極的に行動を起こしたくなるから、人生がうまくいくきっかけになる。
2.困難を乗り切る原動力を与えてくれる。ポジティブな名言を読む習慣を身につけると、ピンチに見舞われて落ち込みそうになっても、元気を出すことができる。
3.最も大切なことを思い出させてくれる。健康や資産、人間関係など、ふだん持っているものに感謝するきっかけになり、ポジティブな姿勢を維持することができる。
4.周囲の人にも知恵と勇気を授けてくれる。ポジティブな名言を家族や友人、同僚と共有すれば、彼らはその知恵に感動し、勇気を出して前に進むことができる。
毎朝、少なくともひとつのポジティブな名言を読もう。
そういう名言を集めて日記やノートに書きとめるといい。
一日にひとつずつ名言を書きとめると、一年後には365の知恵が詰まったポジティブな名言集ができあがる。》
これから、ガザに和平が訪れるように、国連が何も言わないのであれば、トランプ大統領の意見は名言になっていくことはありそうだ。
かっこいいことを言っている人には世間が味方するし、神様も味方してくれる。
たとえ本音は違ったとしても、かっこいいことを言って欲しいよね。
斎藤一人 「楽しんだ人だけが成功する」PHP研究所)
それって、ドナルド・トランプのやっていることのような感じだ。
スコット・アラン『最高の人生にする方法』ディスカヴァー
毎朝、気分をリセットして、ポジティブな思考をするために目を覚ますと、ポジティブな名言をいくつか選んで読むことにしている。
ポジティブな名言には気分を盛り上げる力があり、脳を活性化して新しいアイデアを生み出し、一日の中で出くわす困難を乗り切るのに役立つ。
変化をうながし、行動を起こすように勇気づけてくれるからだ。
ポジティブな名言は次の4つの点で役に立つ。
1.モチベーションを上げてくれる。エネルギッシュになって積極的に行動を起こしたくなるから、人生がうまくいくきっかけになる。
2.困難を乗り切る原動力を与えてくれる。ポジティブな名言を読む習慣を身につけると、ピンチに見舞われて落ち込みそうになっても、元気を出すことができる。
3.最も大切なことを思い出させてくれる。健康や資産、人間関係など、ふだん持っているものに感謝するきっかけになり、ポジティブな姿勢を維持することができる。
4.周囲の人にも知恵と勇気を授けてくれる。ポジティブな名言を家族や友人、同僚と共有すれば、彼らはその知恵に感動し、勇気を出して前に進むことができる。
毎朝、少なくともひとつのポジティブな名言を読もう。
そういう名言を集めて日記やノートに書きとめるといい。
一日にひとつずつ名言を書きとめると、一年後には365の知恵が詰まったポジティブな名言集ができあがる。》
これから、ガザに和平が訪れるように、国連が何も言わないのであれば、トランプ大統領の意見は名言になっていくことはありそうだ。
2025年02月15日
あの店なんて店、気になる店・・・
年末、年始にできなかったので望年会ということで、市内某所でランチ会をしました。
とても我孫子らしい雰囲気のレストランなのに、知る人ぞ知るのようです。
それも我孫子らしいといえば言えそうなんですが・・・・
下記は、一緒に行った方の感想です。
「想像以上に
素敵なお店でした。
我孫子っていいなと・・・
あらためて感じられた一日でした。
これで、池にスイレンが咲いたら
モネの絵ようですヨ!
facebookには
こんな感じでのっけておきました」
https://fb.watch/xLu-22H3ti/
さあ、この店はどこにある何という店でしょうか?
FBを見たら分かると思います
上手くクリックで接続しない方は、
「つづき」をクリックして見てください
週末にでも行って、お茶したり、ディナーも楽しんでください。
お庭も散策出来ますつづき
とても我孫子らしい雰囲気のレストランなのに、知る人ぞ知るのようです。
それも我孫子らしいといえば言えそうなんですが・・・・
下記は、一緒に行った方の感想です。
「想像以上に
素敵なお店でした。
我孫子っていいなと・・・
あらためて感じられた一日でした。
これで、池にスイレンが咲いたら
モネの絵ようですヨ!
facebookには
こんな感じでのっけておきました」
https://fb.watch/xLu-22H3ti/
さあ、この店はどこにある何という店でしょうか?
FBを見たら分かると思います
上手くクリックで接続しない方は、
「つづき」をクリックして見てください
週末にでも行って、お茶したり、ディナーも楽しんでください。
お庭も散策出来ますつづき
2025年02月14日
チョコレートの歴史
歴史によれば、カカオの木のギリシャ語学名;テオブロマ・カカオは「神々の食べ物」を意味する。常緑樹であり、カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。
「チョコレートが嫌い」という人にはめったにいないが、平均的なアメリカ人が食べているものは、チョコレートの目利きなら決して口にしない類のもの。ミルクチョコレート、ホワイトチョコレート、あるいはスーパーマーケットやドラッグストアでさまざまな包装で売られていても、これははっきりいってジャンクフードで、砂糖がどっさり入り、カカオの量がとても少なく、たいてい人工着色料と保存料が加えられている(挽きたてのコーヒーと同じように、本物のチョコレートの完璧な香りを楽しめるのはごく短い期間である)。
20世紀に、チョコレートは大量生産できるようになった。それで質の悪い脂肪をたっぷり含んだ劣った製品が作りだされたので、多くのアメリカ人が一生のあいだに一度も本物のチョコレートを味わうことがなくなった。それでも、アメリカにも伝統的な技法を守ろうとする、職人的なチョコレート店が復活して来ているのは救いである。
チョコレート中毒がいると言われるフランス女性(平均して年に5.5キロぐらい)にとって、本物はやはりダークチョコレートだ。ビタースイートか、できたらエクストラ・ビタースイートがいいのだそう。それはいちばん混じりけがなく、もっともカカオソリッド―チョコレートの味をチョコレートらしくするもの―の含有率が高い。
1502年、コロンブスは第四次航海で現在のホンジュラス付近でカカオの種子を入手し、スペインへ持ち帰っている。聖職者や商人などの往来により、アステカからスペインに伝わったといわれ、アステカ独特のチョコレートドリンクは、スペイン人の口にあわないものだった。そこで薬として、また滋養のために飲まれたが、スペイン人は蜂蜜を入れて、チョコレートを甘くしたところ、スペインの貴族社会に人気となった。砂糖が普及し、チョコレートに砂糖が入れられるが、スペインでは、チョコレートの存在を100年以上も門外不出にしていた。
当時のスペイン国王からイタリアのサヴォイア家の公爵へ賜われたカカオは、16世紀にサヴォイア公国の首都トリノへと持ち込まれた。トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。以来、トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。
続いて1615年にスペイン国王の娘、アンヌ・ドートリッシュがフランス国王ルイ13世のもとに嫁ぎ、宮廷に広がったとされている。さらに、1650年代にイギリスにチョコレートが伝わると、ロンドンに「チョコレートハウス」ができた。これは裕福な人々や政治関係者が出入りする特別な社交場で、提供されるチョコレートドリンクは非常に高価なものだった。次第にホットチョコレートを飲むための棒つきポットや食器が作られ、一般にも普及した。イギリスでは産業革命の最中で、工場労働者の眠気覚ましに振舞われるようになったが、いつしかカップで飲むのは手間がかかると考えられた。
そこで、1828年、オランダ人化学者のクンラート・ヴァン・ホーテンは、「ダッチング」という方法でカカオから脂肪分(カカオバター)の大部分を分離し、チョコレートパウダー(現在のココア)を作ることに成功。アルカリ処理をし、チョコレートパウダーは水と混ざりやすくなった。すると、1847 - イギリス人のジョセフ・フライが、砂糖入りのカカオパウダーをカカオバターに混ぜ、板チョコレートにした。これが世界最初の「かじるチョコレート」の誕生。
1850 - 偶然、ガナッシュが生まれる
伝説によると1850年のパリで、ある見習いの菓子職人が、溶けたチョコレートが入ったボールにミルクを誤ってこぼした。上司のシェフは「ガナッシュ(役立たず)!」と怒鳴り、なんとかしようとボウルの中身を混ぜると、チョコレートは思いがけない美味しさになっていた。なめらかなペーストは「ガナッシュ」との名になった。今のガナッシュは、チョコレートに生クリームを混ぜたもの。
1867 - スイス化学者のアンリ・ネスレが粉ミルクの製造に成功。1879年、同じくスイスのチョコレート製造者 ダニエル・ペーターが、チョコレートに粉ミルクを加えてミルクチョコレートを完成させた。1879年、スイスのルドルフ・リンツがコンチングマシン(チョコレートの粒子を細かくなめらかにし、風味よく仕上げる機械)を発明した。それまでは粒子が粗く、ざらざらした口当たりだったチョコレートを、現在のように、とろけるようなクリーミーなテクスチャー生成された。
1926 - ゴディバがブリュッセルにオープン
1912年、イタリアにルーツを持つスイス人のジャン・ノイハウスが、ベルギーで「プラリネ(プラリーヌ・詰めもの入りの一粒チョコレート)」を創る。ベルギーで生まれた、モールドで型どったシェルにプラリネやクリームを詰めたチョコレートは人気に。1926年にゴディバの前身であるショコラティエ・ドラップスが誕生し、1945年にブランド名をゴディバになる。ゴディバは、高い品質にこだわった美味しいチョコレートを、季節ごとに優雅なパッケージで彩り、チョコレートをギフトにふさわしいものにした。
チョコレ―ド人気が高まり、カカオ栽培は拡大し、1830年頃から西アフリカのポルトガル領サントメ島などで栽培されるようになる。19世紀半ばに中米のプランテーションが病害により生産量が激減すると、アフリカが替わって生産の主体となった。さらにイギリスが、スペインから租借中のフェルナンド・ポー島(現在の赤道ギニア)でプランテーション経営を始め、1879年には黄金海岸(現在のガーナ)にテテ・クワシが導入。 1890年代末、フランスが象牙海岸(現在のコートジボワール)で植民地会社が組織され、増産されることになった。
「チョコレートが嫌い」という人にはめったにいないが、平均的なアメリカ人が食べているものは、チョコレートの目利きなら決して口にしない類のもの。ミルクチョコレート、ホワイトチョコレート、あるいはスーパーマーケットやドラッグストアでさまざまな包装で売られていても、これははっきりいってジャンクフードで、砂糖がどっさり入り、カカオの量がとても少なく、たいてい人工着色料と保存料が加えられている(挽きたてのコーヒーと同じように、本物のチョコレートの完璧な香りを楽しめるのはごく短い期間である)。
20世紀に、チョコレートは大量生産できるようになった。それで質の悪い脂肪をたっぷり含んだ劣った製品が作りだされたので、多くのアメリカ人が一生のあいだに一度も本物のチョコレートを味わうことがなくなった。それでも、アメリカにも伝統的な技法を守ろうとする、職人的なチョコレート店が復活して来ているのは救いである。
チョコレート中毒がいると言われるフランス女性(平均して年に5.5キロぐらい)にとって、本物はやはりダークチョコレートだ。ビタースイートか、できたらエクストラ・ビタースイートがいいのだそう。それはいちばん混じりけがなく、もっともカカオソリッド―チョコレートの味をチョコレートらしくするもの―の含有率が高い。
1502年、コロンブスは第四次航海で現在のホンジュラス付近でカカオの種子を入手し、スペインへ持ち帰っている。聖職者や商人などの往来により、アステカからスペインに伝わったといわれ、アステカ独特のチョコレートドリンクは、スペイン人の口にあわないものだった。そこで薬として、また滋養のために飲まれたが、スペイン人は蜂蜜を入れて、チョコレートを甘くしたところ、スペインの貴族社会に人気となった。砂糖が普及し、チョコレートに砂糖が入れられるが、スペインでは、チョコレートの存在を100年以上も門外不出にしていた。
当時のスペイン国王からイタリアのサヴォイア家の公爵へ賜われたカカオは、16世紀にサヴォイア公国の首都トリノへと持ち込まれた。トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。以来、トリノはイタリアのみならず、欧州でも随一の「チョコレートの都」に成長。
続いて1615年にスペイン国王の娘、アンヌ・ドートリッシュがフランス国王ルイ13世のもとに嫁ぎ、宮廷に広がったとされている。さらに、1650年代にイギリスにチョコレートが伝わると、ロンドンに「チョコレートハウス」ができた。これは裕福な人々や政治関係者が出入りする特別な社交場で、提供されるチョコレートドリンクは非常に高価なものだった。次第にホットチョコレートを飲むための棒つきポットや食器が作られ、一般にも普及した。イギリスでは産業革命の最中で、工場労働者の眠気覚ましに振舞われるようになったが、いつしかカップで飲むのは手間がかかると考えられた。
そこで、1828年、オランダ人化学者のクンラート・ヴァン・ホーテンは、「ダッチング」という方法でカカオから脂肪分(カカオバター)の大部分を分離し、チョコレートパウダー(現在のココア)を作ることに成功。アルカリ処理をし、チョコレートパウダーは水と混ざりやすくなった。すると、1847 - イギリス人のジョセフ・フライが、砂糖入りのカカオパウダーをカカオバターに混ぜ、板チョコレートにした。これが世界最初の「かじるチョコレート」の誕生。
1850 - 偶然、ガナッシュが生まれる
伝説によると1850年のパリで、ある見習いの菓子職人が、溶けたチョコレートが入ったボールにミルクを誤ってこぼした。上司のシェフは「ガナッシュ(役立たず)!」と怒鳴り、なんとかしようとボウルの中身を混ぜると、チョコレートは思いがけない美味しさになっていた。なめらかなペーストは「ガナッシュ」との名になった。今のガナッシュは、チョコレートに生クリームを混ぜたもの。
1867 - スイス化学者のアンリ・ネスレが粉ミルクの製造に成功。1879年、同じくスイスのチョコレート製造者 ダニエル・ペーターが、チョコレートに粉ミルクを加えてミルクチョコレートを完成させた。1879年、スイスのルドルフ・リンツがコンチングマシン(チョコレートの粒子を細かくなめらかにし、風味よく仕上げる機械)を発明した。それまでは粒子が粗く、ざらざらした口当たりだったチョコレートを、現在のように、とろけるようなクリーミーなテクスチャー生成された。
1926 - ゴディバがブリュッセルにオープン
1912年、イタリアにルーツを持つスイス人のジャン・ノイハウスが、ベルギーで「プラリネ(プラリーヌ・詰めもの入りの一粒チョコレート)」を創る。ベルギーで生まれた、モールドで型どったシェルにプラリネやクリームを詰めたチョコレートは人気に。1926年にゴディバの前身であるショコラティエ・ドラップスが誕生し、1945年にブランド名をゴディバになる。ゴディバは、高い品質にこだわった美味しいチョコレートを、季節ごとに優雅なパッケージで彩り、チョコレートをギフトにふさわしいものにした。
チョコレ―ド人気が高まり、カカオ栽培は拡大し、1830年頃から西アフリカのポルトガル領サントメ島などで栽培されるようになる。19世紀半ばに中米のプランテーションが病害により生産量が激減すると、アフリカが替わって生産の主体となった。さらにイギリスが、スペインから租借中のフェルナンド・ポー島(現在の赤道ギニア)でプランテーション経営を始め、1879年には黄金海岸(現在のガーナ)にテテ・クワシが導入。 1890年代末、フランスが象牙海岸(現在のコートジボワール)で植民地会社が組織され、増産されることになった。
2025年02月13日
クオリティの高い日本食
海外でも高い人気を誇る日本食。“本場の味”を求め、日本を訪れる外国人は少なくありません。
初めて日本を訪れたとき日本食が大好きになり、再訪日したロシア人もその一人。ほかの国とは「まったく別物」と感動した食べ物があり、再び日本へ行きたいと思ったそう。どんな日本食に心を奪われたのでしょうか。
◇ ◇ ◇
ロシアから日本を訪れているイネさんとディミさん。2週間の滞在予定で、大阪や京都、東京をめぐっています。
実は、1年前にも日本を訪れていたふたり。「そのときに日本の文化がさらに好きになって、ぜひもう一度来たいと考えていました」と、イネさんは2回目の訪日を楽しみにしていたといいます。
「今回は、前回行けなかった大阪、京都へ行って、寺や神社を多く訪れることができました」と、うれしそうに旅を振り返るイネさん。ほかにも、日本で楽しみにしていることがありました。
「寿司のクオリティには本当に驚きました」
イネさんとディミさんは、1回目の訪日ですっかり日本食の虜になり、「日本へ来たのは、日本食が食べたいからというのも大きな理由です」と明かします。今回の旅でもおいしいものをたくさん堪能。そのなかで、とくにお気に入りの日本食を教えてくれました。
「麺類や天ぷら、寿司、すべて好きです。一番は、なんといっても寿司。寿司のクオリティには本当に驚きました。ほかの国で食べると、魚の味がしないことや、日本にはないソースをかけていることがあるから」
大好きな寿司の話に目を輝かせ、「日本の寿司はまったくの別物」だと大絶賛。「帰ったら、またすぐ恋しくなって、日本食が食べたいとなると思います。前回もそうでしたから……」と笑います。
行く先々で楽しみを見つけながら、旅を満喫するふたり。日本のおいしいものを食べたいと、日本を訪れてくれるのは嬉しいですね。

出典 Hint Pot (2/10)
初めて日本を訪れたとき日本食が大好きになり、再訪日したロシア人もその一人。ほかの国とは「まったく別物」と感動した食べ物があり、再び日本へ行きたいと思ったそう。どんな日本食に心を奪われたのでしょうか。
◇ ◇ ◇
ロシアから日本を訪れているイネさんとディミさん。2週間の滞在予定で、大阪や京都、東京をめぐっています。
実は、1年前にも日本を訪れていたふたり。「そのときに日本の文化がさらに好きになって、ぜひもう一度来たいと考えていました」と、イネさんは2回目の訪日を楽しみにしていたといいます。
「今回は、前回行けなかった大阪、京都へ行って、寺や神社を多く訪れることができました」と、うれしそうに旅を振り返るイネさん。ほかにも、日本で楽しみにしていることがありました。
「寿司のクオリティには本当に驚きました」
イネさんとディミさんは、1回目の訪日ですっかり日本食の虜になり、「日本へ来たのは、日本食が食べたいからというのも大きな理由です」と明かします。今回の旅でもおいしいものをたくさん堪能。そのなかで、とくにお気に入りの日本食を教えてくれました。
「麺類や天ぷら、寿司、すべて好きです。一番は、なんといっても寿司。寿司のクオリティには本当に驚きました。ほかの国で食べると、魚の味がしないことや、日本にはないソースをかけていることがあるから」
大好きな寿司の話に目を輝かせ、「日本の寿司はまったくの別物」だと大絶賛。「帰ったら、またすぐ恋しくなって、日本食が食べたいとなると思います。前回もそうでしたから……」と笑います。
行く先々で楽しみを見つけながら、旅を満喫するふたり。日本のおいしいものを食べたいと、日本を訪れてくれるのは嬉しいですね。

出典 Hint Pot (2/10)
2025年02月12日
『ハルとナツ』、日系移民の物語
NHK BSで2025年2月12日から毎週水曜20:30 - (第4・5回は20:38 -)に再放送される『ハルとナツ 届かなかった手紙』は、昭和初期に日本からブラジルに移民した一家と、トラホーム感染を理由に日本に置き去りにされた娘の、戦前・戦中・戦後復興期の日本・ブラジル双方での苦難の歴史を描いた。平成17年度文化庁芸術祭テレビ部門ドラマの部への参加作品である。副題は "Haru e Natsu" 。
NHKが「放送80周年記念 橋田壽賀子ドラマ」と銘打って放送した開局記念番組のテレビドラマ。脚本を橋田が担当した。初回はNHK総合2005年10月2日 - 10月6日 に放送された。米国でも、テレビジャパンを通じて現地時間12月26日 - 12月30日に放送された。ブラジルでは、バンデランテスを通じて、日系ブラジル人移民100周年となる2008年2月25日 - 3月7日に放送された。
あらすじ
第1話 姉妹
第2話 北と南の大地に別れて
第3話 流転の青春
第4話 日本よ 運命の愛と哀しみ
第5話 ブラジルへ
出演
主人公
高倉ハル
演 - 森光子(現代編)、斉藤奈々 → 米倉涼子(昭和編)
日系ブラジル移民として昭和9(1934)年にブラジル渡航、移民として幾多の辛酸を舐める経験をしたが、現在は息子や孫、曾孫の大家族で暮らしている。ブラジル渡航の際に生き別れた妹ナツを探すため、日本の大学に進学する孫の大和(後述)とともに70年ぶりに来日する。
山辺(高倉)ナツ
演 - 野際陽子(現代編)、志田未来 → 仲間由紀恵(昭和編)
北王製菓社長。7歳の時、ブラジル移民の一人になるはずだったが伝染病(トラホーム)に罹患しているとして強制的に家族と引き離され、ただ一人日本に残された。祖母の没後、伯母と従兄のいびりに耐え兼ね伯父の家を出奔、徳治(後述)に拾われるが徳治も亡くなり、以後は徳治の残した牛を飼い酪農家として生計を立て、戦後は闇市でのチーズ販売で知り合ったジョージ原田(後述)に習ったクッキー作りを皮切りに北王製菓を創業、経営者として発展させる。音信不通になった両親と姉に捨てられたと思っていたが、実はハルからの手紙を受け取った伯母が、手紙に入っていた現金を使い込み、その発覚を防ぐために届いていた手紙を全て隠蔽していたことを、今際の際にその手紙を託された従姉から知らされ、手紙を読み、往時のブラジルでの家族の苦労を知る。ハルと和解後は、2人の息子たちが原因で出来た北王製菓の巨額の負債が原因で会社が買収されるのを機に社長を退任し、大邸宅も家財道具も全て処分、金目当てで自分についてくる息子たちにも見切りをつけ、70年越しの念願が叶い、ブラジルに移住する。
戦後80周年の今年、日本の戦前戦後史を振り返る、ストーリーでもあるのでご覧ください。
NHKが「放送80周年記念 橋田壽賀子ドラマ」と銘打って放送した開局記念番組のテレビドラマ。脚本を橋田が担当した。初回はNHK総合2005年10月2日 - 10月6日 に放送された。米国でも、テレビジャパンを通じて現地時間12月26日 - 12月30日に放送された。ブラジルでは、バンデランテスを通じて、日系ブラジル人移民100周年となる2008年2月25日 - 3月7日に放送された。
あらすじ
第1話 姉妹
第2話 北と南の大地に別れて
第3話 流転の青春
第4話 日本よ 運命の愛と哀しみ
第5話 ブラジルへ
出演
主人公
高倉ハル
演 - 森光子(現代編)、斉藤奈々 → 米倉涼子(昭和編)
日系ブラジル移民として昭和9(1934)年にブラジル渡航、移民として幾多の辛酸を舐める経験をしたが、現在は息子や孫、曾孫の大家族で暮らしている。ブラジル渡航の際に生き別れた妹ナツを探すため、日本の大学に進学する孫の大和(後述)とともに70年ぶりに来日する。
山辺(高倉)ナツ
演 - 野際陽子(現代編)、志田未来 → 仲間由紀恵(昭和編)
北王製菓社長。7歳の時、ブラジル移民の一人になるはずだったが伝染病(トラホーム)に罹患しているとして強制的に家族と引き離され、ただ一人日本に残された。祖母の没後、伯母と従兄のいびりに耐え兼ね伯父の家を出奔、徳治(後述)に拾われるが徳治も亡くなり、以後は徳治の残した牛を飼い酪農家として生計を立て、戦後は闇市でのチーズ販売で知り合ったジョージ原田(後述)に習ったクッキー作りを皮切りに北王製菓を創業、経営者として発展させる。音信不通になった両親と姉に捨てられたと思っていたが、実はハルからの手紙を受け取った伯母が、手紙に入っていた現金を使い込み、その発覚を防ぐために届いていた手紙を全て隠蔽していたことを、今際の際にその手紙を託された従姉から知らされ、手紙を読み、往時のブラジルでの家族の苦労を知る。ハルと和解後は、2人の息子たちが原因で出来た北王製菓の巨額の負債が原因で会社が買収されるのを機に社長を退任し、大邸宅も家財道具も全て処分、金目当てで自分についてくる息子たちにも見切りをつけ、70年越しの念願が叶い、ブラジルに移住する。
戦後80周年の今年、日本の戦前戦後史を振り返る、ストーリーでもあるのでご覧ください。
2025年02月11日
明治政府による神代の格付け
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか?さらに「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」のお墓がどこにあるか、徳川の時代の後に革命的に始まった「戦前の日本」の知られざる神代の時代です。
さまざまな見方がされる「戦前日本」の正しく理解することは、日本人が時代を科学する姿勢と言えます。
右派のこだわりはは「美しい国」とやんごとなく誇り、左派は「暗黒の時代」として怖れる。
・・・・・・・・・
歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
戦前に皇族が靖国神社で祀られなかった理由
以上を踏まえると、能久親王や永久王は靖国神社に合祀されてもおかしくないはずだ。なぜ、戦前はノーとなるのか。病死だったり、事故死だったりするからか。いや、そうではない。その理由はかれらが皇族だったから──ということに尽きる。
つまり、靖国神社はあくまで臣民を対象にした神社だったのだ。それゆえ、能久親王は台湾神社などに、永久王は蒙疆神社に、それぞれ祀られたのだった。このような区別は、社格をみると一目瞭然だった。社格とは、1871(明治4)年5月に定められた、神社の格付けをいう。靖国神社は東京招魂社から改称されたとき、上から7番目の別格官幣社に列せられた。より上位の社格は皇族や神々を祭神とする神社のためのものだった。
最終的に確定した社格:
官社:官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、 官幣小社、国幣小社、別格官幣社
諸社:府県社、郷社、村社、無格社
官社は神祇官(後述)が管轄する神社であり、諸社は地方官が管轄する神社である。能久親王と開拓三神(大国魂命、大己貴命=オオクニヌシ、少彦名命)を祀った台湾神社は1番目の官幣大社、能久親王のみを祀った台南神社は3番目の官幣中社だった。
いかに英霊(このことばは日露戦争を契機に定着した)とはいえ、靖国の祭神はもともとただの一臣民。生まれながらの皇族や神々にはかなわないというわけだった。そもそもこの社格はなんのために設けられたのか。これもやはり明治維新の理念「神武創業」と関わっていた。
江戸時代まで、神道と仏教は混合されており(神仏習合)、神社と寺院の区別も曖昧だった。神職が仏像のまえで念仏を唱えるなどという光景も珍しくなかった。天皇家も仏教を厚く信仰しており、第1章で触れたように、京都御所に仏壇(御黒戸)があったほどだった。明治政府はこの神仏習合をキャンセルすべき中世の悪習と考え、神仏の分離を指示。
さらに古代の祭政一致を取り戻すとして、神社行政をつかさどる神祇官を復興させた。そこで神社は「国家の宗祀」(国家の祭祀施設)とされ、神職は官吏化されて世襲を禁じられた。宮中祭祀からも仏教色は一掃された。
このような動きのなかで行われたのが、神社の序列化だった。近代創建の神社では、神武天皇を祀る橿原神宮、桓武天皇・孝明天皇を祀る平安神宮、後醍醐天皇を祀る吉野神宮、明治天皇を祀る明治神宮などは官幣大社とされた。
これにたいして、護良(もりよし)親王を祀る鎌倉宮、恒良(つねよし)親王・尊良(たかよし)親王を祀る金崎宮、懐良かね よし親王を祀る八代宮などは官幣中社とされた。つまり、天皇が祭神だと官幣大社、皇子だと官幣中社になっている。例外もあるのだが、祭神で社格を区別していたことがわかる。官幣社・国幣社の名称は、古代の制度に由来し、神祇官が幣帛(へいはく)をたてまつる(おもに畿内近辺の)神社を官幣社、地方の国司が幣帛をたてまつる神社を国幣社と呼んでいた。ただし、近代の制度ではこの限りでなく、国幣社には地方の一の宮(島根県の熊野神社、新潟県の彌彦(いやひこ)神社、宮崎県の都農(つの)神社ほか)などが列せられた。朝廷とのゆかりが深い22社(石清水八幡宮、賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、松尾神社ほか)などは、すべて官幣社だった。
なお、伊勢神宮はすべての神社を超越した存在として、社格の対象外とされた。
伊勢神宮、とりわけアマテラスを祀る内宮がこのように別格に扱われたのも、近代になってからのことだった。
ただし、アマテラスなど最高格の神を祀っていても、小さな神社は下位の社格にとどまった。
祭神の尊貴さと社勢の大きさを総合して判断が下されたのである。また社格は流動的であり、県社から官幣小社へ昇格することなどもあった。
※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
出典c 現代ビジネス
さまざまな見方がされる「戦前日本」の正しく理解することは、日本人が時代を科学する姿勢と言えます。
右派のこだわりはは「美しい国」とやんごとなく誇り、左派は「暗黒の時代」として怖れる。
・・・・・・・・・
歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
戦前に皇族が靖国神社で祀られなかった理由
以上を踏まえると、能久親王や永久王は靖国神社に合祀されてもおかしくないはずだ。なぜ、戦前はノーとなるのか。病死だったり、事故死だったりするからか。いや、そうではない。その理由はかれらが皇族だったから──ということに尽きる。
つまり、靖国神社はあくまで臣民を対象にした神社だったのだ。それゆえ、能久親王は台湾神社などに、永久王は蒙疆神社に、それぞれ祀られたのだった。このような区別は、社格をみると一目瞭然だった。社格とは、1871(明治4)年5月に定められた、神社の格付けをいう。靖国神社は東京招魂社から改称されたとき、上から7番目の別格官幣社に列せられた。より上位の社格は皇族や神々を祭神とする神社のためのものだった。
最終的に確定した社格:
官社:官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、 官幣小社、国幣小社、別格官幣社
諸社:府県社、郷社、村社、無格社
官社は神祇官(後述)が管轄する神社であり、諸社は地方官が管轄する神社である。能久親王と開拓三神(大国魂命、大己貴命=オオクニヌシ、少彦名命)を祀った台湾神社は1番目の官幣大社、能久親王のみを祀った台南神社は3番目の官幣中社だった。
いかに英霊(このことばは日露戦争を契機に定着した)とはいえ、靖国の祭神はもともとただの一臣民。生まれながらの皇族や神々にはかなわないというわけだった。そもそもこの社格はなんのために設けられたのか。これもやはり明治維新の理念「神武創業」と関わっていた。
江戸時代まで、神道と仏教は混合されており(神仏習合)、神社と寺院の区別も曖昧だった。神職が仏像のまえで念仏を唱えるなどという光景も珍しくなかった。天皇家も仏教を厚く信仰しており、第1章で触れたように、京都御所に仏壇(御黒戸)があったほどだった。明治政府はこの神仏習合をキャンセルすべき中世の悪習と考え、神仏の分離を指示。
さらに古代の祭政一致を取り戻すとして、神社行政をつかさどる神祇官を復興させた。そこで神社は「国家の宗祀」(国家の祭祀施設)とされ、神職は官吏化されて世襲を禁じられた。宮中祭祀からも仏教色は一掃された。
このような動きのなかで行われたのが、神社の序列化だった。近代創建の神社では、神武天皇を祀る橿原神宮、桓武天皇・孝明天皇を祀る平安神宮、後醍醐天皇を祀る吉野神宮、明治天皇を祀る明治神宮などは官幣大社とされた。
これにたいして、護良(もりよし)親王を祀る鎌倉宮、恒良(つねよし)親王・尊良(たかよし)親王を祀る金崎宮、懐良かね よし親王を祀る八代宮などは官幣中社とされた。つまり、天皇が祭神だと官幣大社、皇子だと官幣中社になっている。例外もあるのだが、祭神で社格を区別していたことがわかる。官幣社・国幣社の名称は、古代の制度に由来し、神祇官が幣帛(へいはく)をたてまつる(おもに畿内近辺の)神社を官幣社、地方の国司が幣帛をたてまつる神社を国幣社と呼んでいた。ただし、近代の制度ではこの限りでなく、国幣社には地方の一の宮(島根県の熊野神社、新潟県の彌彦(いやひこ)神社、宮崎県の都農(つの)神社ほか)などが列せられた。朝廷とのゆかりが深い22社(石清水八幡宮、賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、松尾神社ほか)などは、すべて官幣社だった。
なお、伊勢神宮はすべての神社を超越した存在として、社格の対象外とされた。
伊勢神宮、とりわけアマテラスを祀る内宮がこのように別格に扱われたのも、近代になってからのことだった。
ただし、アマテラスなど最高格の神を祀っていても、小さな神社は下位の社格にとどまった。
祭神の尊貴さと社勢の大きさを総合して判断が下されたのである。また社格は流動的であり、県社から官幣小社へ昇格することなどもあった。
※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
出典c 現代ビジネス
2025年02月10日
パラダイムシフト
『億万長者100の言葉』宝島社
リチャード・ブランソン(1950年〜/実業家・ ヴァージングループ創業者)の少年時代は文字の読み書きが困難なディスレクシアという障害に悩まされ、全ての教科でビリになるほど勉強は苦手だったという。父親は弁護士で、母親は元CAだった。
また、サッカーをすれば大けがをして、勉強だけでなく、スポーツもダメという悲惨な状況だった。
そして、高校も中退。
ブランソンは、常識にとらわれない手法で、新しい事業を始めるときの基準は「ワクワクするかどうか」。
そうやってレコード店から航空会社まで擁する巨大コングロマリットを一代で作り上げた。
彼は、旧態依然とした業界慣行や、無意味な規制にこだわる当局と戦いを続けてきましたが、古いやり方にしがみつく人たちを根本的に変えることはできない。社会を変えるのは志を持った人たちです。起業家は、このような人たちに対して、変わることを期待するのではなく、自分が社会を変えていくのだという強い信念を持つことだ。
瀧本哲史「ミライの授業/講談社」で、次のような話をしている
『20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。
世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?
彼の結論は「世代交代」だとしている。
つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。なにがあっても自説を曲げようとしない。地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。
「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。…と、そんなふうに言うわけです。
トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。』
石破総理とトランプ大統領がなさぬ仲であろうと、大概の予想だったのに
このお二人の会談の表情をみているとなんだか、妙にウマがあったところもあったような風に見えたのは何故なのだろう
と、皆思ったのではないだろうか、自説を変えず、そしりを受けるだろうことも恐れず、あえて変えることもないのに
そこにみんながあきれてしまうのか、見直してしまうことになり始めているような、不思議な現象が現れている。。。。
リチャード・ブランソン(1950年〜/実業家・ ヴァージングループ創業者)の少年時代は文字の読み書きが困難なディスレクシアという障害に悩まされ、全ての教科でビリになるほど勉強は苦手だったという。父親は弁護士で、母親は元CAだった。
また、サッカーをすれば大けがをして、勉強だけでなく、スポーツもダメという悲惨な状況だった。
そして、高校も中退。
ブランソンは、常識にとらわれない手法で、新しい事業を始めるときの基準は「ワクワクするかどうか」。
そうやってレコード店から航空会社まで擁する巨大コングロマリットを一代で作り上げた。
彼は、旧態依然とした業界慣行や、無意味な規制にこだわる当局と戦いを続けてきましたが、古いやり方にしがみつく人たちを根本的に変えることはできない。社会を変えるのは志を持った人たちです。起業家は、このような人たちに対して、変わることを期待するのではなく、自分が社会を変えていくのだという強い信念を持つことだ。
瀧本哲史「ミライの授業/講談社」で、次のような話をしている
『20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。
世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?
彼の結論は「世代交代」だとしている。
つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。なにがあっても自説を曲げようとしない。地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。
「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。…と、そんなふうに言うわけです。
トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。』
石破総理とトランプ大統領がなさぬ仲であろうと、大概の予想だったのに
このお二人の会談の表情をみているとなんだか、妙にウマがあったところもあったような風に見えたのは何故なのだろう
と、皆思ったのではないだろうか、自説を変えず、そしりを受けるだろうことも恐れず、あえて変えることもないのに
そこにみんながあきれてしまうのか、見直してしまうことになり始めているような、不思議な現象が現れている。。。。
2025年02月09日
とことん笑える受賞作品「飛んで埼玉」
映画「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」(2023年公開作)が8日、フジテレビで放送された。2019年公開のヒット作「翔んで埼玉」の続編なのだが、脚本の展開が次から次に奇想天外すぎて、日本人の発想力もおもろいなと、感激して👍をたたいて最後まで見てしまった。アホかいなと思うやり取りを、まじめに(?)に演じている出演陣、プロだなとつくづく感心してしまった。
前作は、埼玉解放戦線が東京からの迫害に立ち向かった話だったのに続き、今回は「白い粉(たこ焼き粉)」を通天閣ミサイルで打ち込んで全世界を植民地にしようと目論む、大阪府知事・嘉祥寺晃(片岡愛之助)および妻の神戸市長(藤原紀香)らとの壮絶な戦いが繰り広げられる。何がどうなったか、どうでもいいのだけれど、埼玉の行田にあったたんぼ近くののっぽタワーから反撃に出るとか、もう子供の話のような展開を大真面目に演じて、立派にわらかした。ここまでまじめに馬鹿馬鹿しいのには、芸能人は多才なんだなあと感激した 👏
ギター抱えて、歌うのは塙さん
佐賀じゃなくて、埼玉?!
え、我孫子育ちは、今何人にでもなる変化自在!?
ともかく あっぱれ!!!
2025年02月08日
智慧と知恵
「知恵」は、世間でいう知恵、世俗の知恵のこと。この知恵は、損得計算の上に立っている。
物事をうまく処理していける能力のこと。
「智慧」は、俗世間を離れた仏の智慧のこと。物事の本質を極めようとするのが智慧。
智慧は体験、経験によって得るもので、行動することにより様々な「気づき(智慧)」を生む。
すると、今までと違う角度で物事が見えてくる。
ナルホド、智慧を身に着けるのは易しくはない。
知恵はそろばん勘定にたけると得やすいかもしれない。
トランプさんと石破さん、どっちも知恵者で在って欲しい。
物事をうまく処理していける能力のこと。
「智慧」は、俗世間を離れた仏の智慧のこと。物事の本質を極めようとするのが智慧。
智慧は体験、経験によって得るもので、行動することにより様々な「気づき(智慧)」を生む。
すると、今までと違う角度で物事が見えてくる。
ナルホド、智慧を身に着けるのは易しくはない。
知恵はそろばん勘定にたけると得やすいかもしれない。
トランプさんと石破さん、どっちも知恵者で在って欲しい。
2025年02月07日
ティープシークの脅威とは
DeepSeek(ディープシーク)のAIアプリは無料で利用でき、アプリストアのランキングも急上昇している。
これによって、市場が反応し、ハイテク株は続落し、シリコンバレーの超大手は巨額の企業価値が吹き飛んだ。
中国版の人工知能(AI)によって、米国の優位が揺らぎかねない事態にもなっている。
米大統領令の概要について解説させたり、AI競争の勝者について説明を求めたり、冗談を言わせたりした場合、答えは米国のオープンAIと変わらないのだが、同社のオープンソース技術に接したユーザーは、中国共産党による検閲と情報統制の実態を目の当たりにしているというのだ。
生成AIに詳しいクイーンズランド大学のアーロン・スノズウェル氏は今話題の中国の新興企業開発したディープシークですら、党の統制に従う以外の選択肢はないと、懸念を隠さない。中国共産党は、見せるべき情報と見せるべきではない情報をめぐって絶対的な権限を握っている。こうしたことは、収集する情報は西側の企業に比べて中国中心または中国寄りになり、その現実が同プラットフォームに影響を及ぼす可能性が大きい。
米国の生成AIにもオープンAIのチャットGPTに一般的に制約はある。それは例えば、爆弾や3D銃の製造方法をユーザーに教えないというような事についてだ。また、強化学習のような仕組みを使う際でも、例えば、ヘイトスピーチのような発言を阻止する。
「他社もそうしたやり方でモデルの挙動を向上させている」とスノーズウェル氏は話し、「だが中国企業の場合、ディープシークの技術は中国で開発されていることから、(中国の公式な)価値観をポリシーに組み込んでいる可能性がある」と言うのだ。
オープンAI各社とも、既にユーザーのアカウント情報やプラットフォーム上の行動、使用している端末などの情報を収集している。ディープシークが問題だと思われるのは、これに加えて「キーボード入力のパターンやリズム」も収集する。そうした情報は指紋や顔認証のように、個人の識別に利用される危険性もある。スノズウェル氏「(その目的のために)設計されたものでない限り、こうした情報を収集するソフトウェアプラットフォームはほかに見たことがない」という。さらに、ディープシークの企業グループ内でユーザー情報を共有することも、あいまいな定義で許されているように見えると指摘し、「その意味で、西側のソフトウェア企業に比べてはるかに制約が少ない」と懸念がされている。
あってはならないが、個人情報を盗用して、ある意向で情報操作されかねない懸念があるというのだろう。一般の意識のいかないところで、一般の人々の意見を徴収したようなアンケート結果が出来てしまうということがあれば、政権の支持率を操作して圧力を加える事も出来てしまいそうだ。10年前にはなかった懸念材料である。
そんな時に「ChatArt」がでてきて、安全性も高く、プライバシーを守りながらAIを活用できる、信頼のツールだとPRしている。プライバシー漏洩が気になる方は、登録せずに試用だけしてみるのはどうでしょう。便利なツールに慣れておくのはこれからの時代を楽しむのには有益であり、かつ個人情報を保持する策も考えておくのが一害なしです。
これによって、市場が反応し、ハイテク株は続落し、シリコンバレーの超大手は巨額の企業価値が吹き飛んだ。
中国版の人工知能(AI)によって、米国の優位が揺らぎかねない事態にもなっている。
米大統領令の概要について解説させたり、AI競争の勝者について説明を求めたり、冗談を言わせたりした場合、答えは米国のオープンAIと変わらないのだが、同社のオープンソース技術に接したユーザーは、中国共産党による検閲と情報統制の実態を目の当たりにしているというのだ。
生成AIに詳しいクイーンズランド大学のアーロン・スノズウェル氏は今話題の中国の新興企業開発したディープシークですら、党の統制に従う以外の選択肢はないと、懸念を隠さない。中国共産党は、見せるべき情報と見せるべきではない情報をめぐって絶対的な権限を握っている。こうしたことは、収集する情報は西側の企業に比べて中国中心または中国寄りになり、その現実が同プラットフォームに影響を及ぼす可能性が大きい。
米国の生成AIにもオープンAIのチャットGPTに一般的に制約はある。それは例えば、爆弾や3D銃の製造方法をユーザーに教えないというような事についてだ。また、強化学習のような仕組みを使う際でも、例えば、ヘイトスピーチのような発言を阻止する。
「他社もそうしたやり方でモデルの挙動を向上させている」とスノーズウェル氏は話し、「だが中国企業の場合、ディープシークの技術は中国で開発されていることから、(中国の公式な)価値観をポリシーに組み込んでいる可能性がある」と言うのだ。
オープンAI各社とも、既にユーザーのアカウント情報やプラットフォーム上の行動、使用している端末などの情報を収集している。ディープシークが問題だと思われるのは、これに加えて「キーボード入力のパターンやリズム」も収集する。そうした情報は指紋や顔認証のように、個人の識別に利用される危険性もある。スノズウェル氏「(その目的のために)設計されたものでない限り、こうした情報を収集するソフトウェアプラットフォームはほかに見たことがない」という。さらに、ディープシークの企業グループ内でユーザー情報を共有することも、あいまいな定義で許されているように見えると指摘し、「その意味で、西側のソフトウェア企業に比べてはるかに制約が少ない」と懸念がされている。
あってはならないが、個人情報を盗用して、ある意向で情報操作されかねない懸念があるというのだろう。一般の意識のいかないところで、一般の人々の意見を徴収したようなアンケート結果が出来てしまうということがあれば、政権の支持率を操作して圧力を加える事も出来てしまいそうだ。10年前にはなかった懸念材料である。
そんな時に「ChatArt」がでてきて、安全性も高く、プライバシーを守りながらAIを活用できる、信頼のツールだとPRしている。プライバシー漏洩が気になる方は、登録せずに試用だけしてみるのはどうでしょう。便利なツールに慣れておくのはこれからの時代を楽しむのには有益であり、かつ個人情報を保持する策も考えておくのが一害なしです。
2025年02月06日
ビル・ゲイツの感慨
1975年にマイクロソフトを創業したゲイツは、シリコンバレーにおける大きなカルチャーの変化やテクノロジー革新を長年にわたって見続けてきた。彼が予想していなかったのは、そのリーダーたちが右傾化していったことだった。
「シリコンバレーは常に中道左派だと思っていた」
「現在、中道右派のグループがシリコンバレーに一定数いるという事実は、私にとって驚きだ」とゲイツは述べた。
ゲイツは2024年、カマラ・ハリス副大統領を支援するスーパーPAC(特別政治活動委員会)に5000万ドル(約78億円)を寄付したと、以前、ニューヨーク・タイムズが報じている。
また、ゲイツにとってソーシャルメディアの登場も予想外のテクノロジー転換点となった。
フェイスブック(Facebook)やツイッター(Twitter)などのプラットフォームが登場した際、それらがもたらす「弊害については予測できていなかった」という。
彼は、テクノロジーが政治的分断を煽り、公共の利益に反する形で利用されるようになったと指摘した。
「情報が多ければ多いほど良いものだと考えていたが、それは間違いだった」とゲイツは語っている。
「こうなるとは思わなかった」
メタ(Meta)とX(旧Twitter)は、それぞれザッカーバーグとマスクが所有しており、両社ともコンテンツのモデレーション(内容の管理)に関する方針をめぐって批判を受けてきた。
出典 NYTimes (Jordan Hart によるストーリー翻訳 2/6)
「シリコンバレーは常に中道左派だと思っていた」
「現在、中道右派のグループがシリコンバレーに一定数いるという事実は、私にとって驚きだ」とゲイツは述べた。
ゲイツは2024年、カマラ・ハリス副大統領を支援するスーパーPAC(特別政治活動委員会)に5000万ドル(約78億円)を寄付したと、以前、ニューヨーク・タイムズが報じている。
また、ゲイツにとってソーシャルメディアの登場も予想外のテクノロジー転換点となった。
フェイスブック(Facebook)やツイッター(Twitter)などのプラットフォームが登場した際、それらがもたらす「弊害については予測できていなかった」という。
彼は、テクノロジーが政治的分断を煽り、公共の利益に反する形で利用されるようになったと指摘した。
「情報が多ければ多いほど良いものだと考えていたが、それは間違いだった」とゲイツは語っている。
「こうなるとは思わなかった」
メタ(Meta)とX(旧Twitter)は、それぞれザッカーバーグとマスクが所有しており、両社ともコンテンツのモデレーション(内容の管理)に関する方針をめぐって批判を受けてきた。
出典 NYTimes (Jordan Hart によるストーリー翻訳 2/6)
2025年02月05日
貧困化の日本の実態??
坂本 貴志著「ほんとうの日本経済」について、日本全体が貧困化している…のか? というネット記事(2024.10.26)が出ていた。
興味深い内容だったので、概略してみる;
日本ではこれまで周縁労働者と考えられてきた女性や高齢者の労働参加が急速に進んでいる。このような急速な労働参加の拡大は、日本人の賃金の動向にも大きな影響を及ぼしてきたと考えられる。
国税庁「民間給与実態統計調査」から、1年以上継続勤務者の賃金分布の変化を確認すると、この四半世紀ほどで日本人の賃金構造はかなり変化していることがわかる。まず、低・中所得者が大幅に増加している。年間200万円以下の給与を得ている人は2000年の825万人から2021年には1126万人に、200万円から400万円の層も1464万人から1696万人に増えた。年収水準が低い労働者の増加はどのように解釈できるだろうか。低所得者が増えているのだから日本全体が貧困化しているのだと主張する人もいるかもしれない。
しかし、さまざまなデータを分析していくと、日本において貧困問題が深刻化している様子や格差が急拡大している姿は見えてこない。ストリートチルドレンやブルーシートの浮浪者も目にしない。マクロの平均時給は足元では伸びてきており、むしろ非正規雇用者をはじめとする低所得者の待遇改善の方が先行して進んでいるのである。
さまざまなデータを組み合わせて考えてみると、年収水準が低い労働者が増えている理由の多くは、実は、労働時間が短くなっている女性や高齢者が労働市場に急速に参入してきたことや、あるいはこれまでであれば自営業者として働いていたような人が雇用されて働くように変わってきていることなどによって、現状の変化をかなりの部分が説明できると考えられる。
実際に、年収400万〜600万円の人数は1143万人から1341万人へと中間所得者層のボリュームも大幅に増えている。
厚生労働省「賃金構造基本統計調査」から性・年齢別の年収水準をみると、女性や高齢者の賃金は全体平均よりかなり低い。こうした人たちが急速に増えることが労働市場全体における、統計上の平均賃金をも押し下げきた側面があると考えられる。
■近年の日本で就業率が急速に上昇してきたのはなぜか。
女性や高齢者であっても働くことで、世間体を気にすることなく、健全な当たり前のことだとする人々の意識の変化がうまれたことではないだおるか。
女性にとって育児、介護の受け皿との考え方から、「三つ子の魂百までも」などと言ういい方で、母親が家に子供を見る事の是とすることで、働きに行く妻を持つことが男の恥であるような言われ方もなく名なった昨今、夫も保育所に子供を預けにいくし、育児休暇の拡充といった各種制度が取れるように雇用者に要請することも少しずつ公然化してきた。また、高齢者にとって継続雇用制度の義務化の精度など、こうした政府の政策による影響は大きいだろう。あるいは高齢者にとって年金の給付水準の抑制といった財政的な事情も大きな影響を与えているとみられる。
こうしたなか、労働市場のメカニズムから考えれば、本来は賃金水準も労働者の就労の意思決定と関係しているはずである。
労働者側の視点からすれば、賃金水準の上昇は労働参加を拡大させる効果を持つ。定年後の人が新たな仕事を探すとき、たとえば時給800円の仕事しか見つからないのであれば、多くの人が働かずに引退しようと考える。しかし、時給1200円の仕事が見つかるのであれば、それより多くの人が引退せずにしばらくは働き続けようと考えるはずである。
このように賃金水準と労働参加の動向は相互に関係している。そして、近年の日本の労働市場においては、わずかな賃金上昇であっても労働参加が急拡大するという意味で労働供給量は賃金に対してかなり弾力的な状況にあったのではないかと推察される。
しかしその一方で、ここまでの現象はあくまで過去の日本の労働市場において起きたことである。つまり、これまでの賃金や就業率の水準においては、労働供給が賃金に対して弾力的であったということであり、これ以降もそうであるという保証はない。今後の労働市場を考えたときに焦点になるのは、日本人の就業率の上昇余地があとどれくらいあるのかということになる。
就業率の推移をみていると、特に高齢者については労働参加の余地がまだ十分に残っているが、70歳を超えても80歳を超えても現役世代と同じように働き続けられる高齢者はそう多くはない。将来、労働参加が限界まで拡大し、就業率が天井を迎えたときには、いよいよ賃金が上がっても労働供給量が増えない局面が訪れることになるはずだ。
生産年齢人口が急速に減少する一方で医療・介護需要が増え続ける未来において、日本経済は労働供給が賃金に対して弾力性を失う局面をおそらく経験することになる。そうなれば、賃金上昇率はこれまでよりも加速することになるだろう。それがいつになるかまではわからない。2そうした兆候は少しずつ顕在化してきている。失業者数も低い水準を維持している。こうしたデータをみると、潜在的な労働力のプールが枯渇に向かっていることは確かだろう。
興味深い内容だったので、概略してみる;
日本ではこれまで周縁労働者と考えられてきた女性や高齢者の労働参加が急速に進んでいる。このような急速な労働参加の拡大は、日本人の賃金の動向にも大きな影響を及ぼしてきたと考えられる。
国税庁「民間給与実態統計調査」から、1年以上継続勤務者の賃金分布の変化を確認すると、この四半世紀ほどで日本人の賃金構造はかなり変化していることがわかる。まず、低・中所得者が大幅に増加している。年間200万円以下の給与を得ている人は2000年の825万人から2021年には1126万人に、200万円から400万円の層も1464万人から1696万人に増えた。年収水準が低い労働者の増加はどのように解釈できるだろうか。低所得者が増えているのだから日本全体が貧困化しているのだと主張する人もいるかもしれない。
しかし、さまざまなデータを分析していくと、日本において貧困問題が深刻化している様子や格差が急拡大している姿は見えてこない。ストリートチルドレンやブルーシートの浮浪者も目にしない。マクロの平均時給は足元では伸びてきており、むしろ非正規雇用者をはじめとする低所得者の待遇改善の方が先行して進んでいるのである。
さまざまなデータを組み合わせて考えてみると、年収水準が低い労働者が増えている理由の多くは、実は、労働時間が短くなっている女性や高齢者が労働市場に急速に参入してきたことや、あるいはこれまでであれば自営業者として働いていたような人が雇用されて働くように変わってきていることなどによって、現状の変化をかなりの部分が説明できると考えられる。
実際に、年収400万〜600万円の人数は1143万人から1341万人へと中間所得者層のボリュームも大幅に増えている。
厚生労働省「賃金構造基本統計調査」から性・年齢別の年収水準をみると、女性や高齢者の賃金は全体平均よりかなり低い。こうした人たちが急速に増えることが労働市場全体における、統計上の平均賃金をも押し下げきた側面があると考えられる。
■近年の日本で就業率が急速に上昇してきたのはなぜか。
女性や高齢者であっても働くことで、世間体を気にすることなく、健全な当たり前のことだとする人々の意識の変化がうまれたことではないだおるか。
女性にとって育児、介護の受け皿との考え方から、「三つ子の魂百までも」などと言ういい方で、母親が家に子供を見る事の是とすることで、働きに行く妻を持つことが男の恥であるような言われ方もなく名なった昨今、夫も保育所に子供を預けにいくし、育児休暇の拡充といった各種制度が取れるように雇用者に要請することも少しずつ公然化してきた。また、高齢者にとって継続雇用制度の義務化の精度など、こうした政府の政策による影響は大きいだろう。あるいは高齢者にとって年金の給付水準の抑制といった財政的な事情も大きな影響を与えているとみられる。
こうしたなか、労働市場のメカニズムから考えれば、本来は賃金水準も労働者の就労の意思決定と関係しているはずである。
労働者側の視点からすれば、賃金水準の上昇は労働参加を拡大させる効果を持つ。定年後の人が新たな仕事を探すとき、たとえば時給800円の仕事しか見つからないのであれば、多くの人が働かずに引退しようと考える。しかし、時給1200円の仕事が見つかるのであれば、それより多くの人が引退せずにしばらくは働き続けようと考えるはずである。
このように賃金水準と労働参加の動向は相互に関係している。そして、近年の日本の労働市場においては、わずかな賃金上昇であっても労働参加が急拡大するという意味で労働供給量は賃金に対してかなり弾力的な状況にあったのではないかと推察される。
しかしその一方で、ここまでの現象はあくまで過去の日本の労働市場において起きたことである。つまり、これまでの賃金や就業率の水準においては、労働供給が賃金に対して弾力的であったということであり、これ以降もそうであるという保証はない。今後の労働市場を考えたときに焦点になるのは、日本人の就業率の上昇余地があとどれくらいあるのかということになる。
就業率の推移をみていると、特に高齢者については労働参加の余地がまだ十分に残っているが、70歳を超えても80歳を超えても現役世代と同じように働き続けられる高齢者はそう多くはない。将来、労働参加が限界まで拡大し、就業率が天井を迎えたときには、いよいよ賃金が上がっても労働供給量が増えない局面が訪れることになるはずだ。
生産年齢人口が急速に減少する一方で医療・介護需要が増え続ける未来において、日本経済は労働供給が賃金に対して弾力性を失う局面をおそらく経験することになる。そうなれば、賃金上昇率はこれまでよりも加速することになるだろう。それがいつになるかまではわからない。2そうした兆候は少しずつ顕在化してきている。失業者数も低い水準を維持している。こうしたデータをみると、潜在的な労働力のプールが枯渇に向かっていることは確かだろう。
2025年02月04日
高齢化のビジネスチャンス
人生100年超の時代を生きる人びとが何を望み、何を求め、どんな体験をしたいかを考えれば、単に寿命を延ばすだけでなく、人びとが心身ともに健やかに生きられる「健康寿命」を 延ばすことが重要になる。米国はもちろん、世界のほぼ全域 (アフリカを除く)で、高齢者人口が若年人口を上回るようになる。
世界一の長寿国、日本は、高齢者人口割合でも他国を圧倒しており、人口の3分の1は65歳以上だ。
米国では1日に1万人以上が 65歳を迎えている。
◎ルネッサンス期(55〜85歳/第3四半期)
再度の方向転換、再び活力を取り戻すための回復、再生や復活、再評価など、あらゆることに再度向き合う「再〜」の時期である。継続学習と探索に励みながら、人生のポートフォリオを組み直す時期だ。80代後半や90代になっても引き続きQ3が続く人もいる。
◎レガシー期(75〜100歳/第4四半期)
自分の健康寿命を鑑みて、どのステージでどんな活動をするか再検討することになるだろう。医療や介護のニーズの変化を意識せざるを得ないだろう。とはいえ、当人のレガシーとして残るような新たなチャンスにも満ちている時期だ。
◎エクストラ期(100歳以上/第5四半期)
健康寿命が続けば訪れるボーナスタイムであり、それが難しい場合もあるだろう。Q5には人生のラスト5年が含まれるため、多くの場合、何らかの介護やケアが必要になる。
「二十歳であろうが八十歳であろうが、学ぶことをやめた者は老人である。
学び続ける者はいつまでも若い。
人生で一番大切なことは、若い精神を持ち続けることだ。」ヘンリー・フォードの言葉だ。
学び続けているかどうかで、「若さ」は決まる。
「老後」で一括(くく)りされる時代は終わった。
スーザン・ウィルナー・ゴールデン『超長寿化時代の市場地図 多様化するシニアが変えるビジネスの常識』ディスカヴァー
今日の平均寿命は約80歳である。いま、半数以上が90代まで生きる計算だ。さらにここ数十年の公衆衛生と医療の進歩のおかげで、2 000年以降に生まれた人は100年生きると予測されている。
「超長寿化」によって、人口構成も大きく変化している。
人口動態の変化は既知の事実であり、不可避でもある。
公共政策の領域では長年、この変化 について議論が続いているが、「危機」としてネガティブに捉える論調も多く、とにかく対処が必要だとされてきた。でも、私はこの人口動態の変化を「大きなビジネスチャンス、新たな市場機会」だと考えている。
長寿化は新たなカスタマーを生み、新たな働き手を創り出し、新しい起業家を世に送り出す。
新たに生まれる「長寿経済」の市場規模は、全世界で22兆ドル超と予測されている(米国単体で8・3兆ドル)。
人口構成が激変する中、私たちのマインドセットにも大きな変化が必要だ。
「老い」や「加齢」に対する固定観念や思い込み、既存の高齢者ビジネスのやり方では、通用しなくなる。
65歳以上を一律に「高齢者」カテゴリーに入れる手法はもう使えないのだ。
「教育・仕事・引退」という近代型の3ステージの人生モデルは、すでに時代遅れになっている。
人生がまだ35%も残っているのに、65歳で引退するのは非現実的だ。
この年齢層の人口が増えるに伴って、そのあり方も多様化している。
まさに「多様性」の時代なのだ。
同じ年齢層でも、ニーズや欲求、年齢の重ね方はさまざまに異なる。
これまでは、社会もマーケットも、年齢を重ねた大人を一括りにして決めつけてきた。
しかし、これからは「年齢」ではなく、個々の人生の「ステージ」を、最も重要な属性として捉えるべきだ。
今後ますます拡大する65歳以上の層を理解するには、「年齢」ではなく「ステージ」に着目することが大切だ。
退職後に学び直して仕事を続けるなど、かつての「教育・仕事・引退」の3ステージモデルの枠を超え、人生はマルチステージ化している。
70代で起業する人も、60代で新たなキャリア に踏み出す人もいる。
そして、これまで「高齢者」と一括りにしてきた層の人口が増加し、多様化する中で、彼らの「ステージ」に対応したビジネスを実践できるだろう。
さまざまな年齢で経験する、多様な「ステージ」を捉えるための新たな枠組みとして、私が 提示するのが、「人生の5Q」(5四半世紀)というフレームワークだ。この巨大マーケットを 理解してビジネスを行ううえでは、これまでにない新たな観点が必要だ。
たとえば、学び続け る80代、90代の存在をどう捉えるか。あるいは、高齢者介護を行う側の多様性への理解も必要だ。
30歳で介護をしている人もいるし、60代、80代もいる。
また、「定年」による完全引退はなくなり、生き方、生きがいの再設定をする時代になっている。
たとえ年齢が同じでも個々人は千差万別であり、そこにこそ、新しいビジネス チャンスが広がっている。
世界一の長寿国、日本は、高齢者人口割合でも他国を圧倒しており、人口の3分の1は65歳以上だ。
米国では1日に1万人以上が 65歳を迎えている。
◎ルネッサンス期(55〜85歳/第3四半期)
再度の方向転換、再び活力を取り戻すための回復、再生や復活、再評価など、あらゆることに再度向き合う「再〜」の時期である。継続学習と探索に励みながら、人生のポートフォリオを組み直す時期だ。80代後半や90代になっても引き続きQ3が続く人もいる。
◎レガシー期(75〜100歳/第4四半期)
自分の健康寿命を鑑みて、どのステージでどんな活動をするか再検討することになるだろう。医療や介護のニーズの変化を意識せざるを得ないだろう。とはいえ、当人のレガシーとして残るような新たなチャンスにも満ちている時期だ。
◎エクストラ期(100歳以上/第5四半期)
健康寿命が続けば訪れるボーナスタイムであり、それが難しい場合もあるだろう。Q5には人生のラスト5年が含まれるため、多くの場合、何らかの介護やケアが必要になる。
「二十歳であろうが八十歳であろうが、学ぶことをやめた者は老人である。
学び続ける者はいつまでも若い。
人生で一番大切なことは、若い精神を持ち続けることだ。」ヘンリー・フォードの言葉だ。
学び続けているかどうかで、「若さ」は決まる。
「老後」で一括(くく)りされる時代は終わった。
スーザン・ウィルナー・ゴールデン『超長寿化時代の市場地図 多様化するシニアが変えるビジネスの常識』ディスカヴァー
今日の平均寿命は約80歳である。いま、半数以上が90代まで生きる計算だ。さらにここ数十年の公衆衛生と医療の進歩のおかげで、2 000年以降に生まれた人は100年生きると予測されている。
「超長寿化」によって、人口構成も大きく変化している。
人口動態の変化は既知の事実であり、不可避でもある。
公共政策の領域では長年、この変化 について議論が続いているが、「危機」としてネガティブに捉える論調も多く、とにかく対処が必要だとされてきた。でも、私はこの人口動態の変化を「大きなビジネスチャンス、新たな市場機会」だと考えている。
長寿化は新たなカスタマーを生み、新たな働き手を創り出し、新しい起業家を世に送り出す。
新たに生まれる「長寿経済」の市場規模は、全世界で22兆ドル超と予測されている(米国単体で8・3兆ドル)。
人口構成が激変する中、私たちのマインドセットにも大きな変化が必要だ。
「老い」や「加齢」に対する固定観念や思い込み、既存の高齢者ビジネスのやり方では、通用しなくなる。
65歳以上を一律に「高齢者」カテゴリーに入れる手法はもう使えないのだ。
「教育・仕事・引退」という近代型の3ステージの人生モデルは、すでに時代遅れになっている。
人生がまだ35%も残っているのに、65歳で引退するのは非現実的だ。
この年齢層の人口が増えるに伴って、そのあり方も多様化している。
まさに「多様性」の時代なのだ。
同じ年齢層でも、ニーズや欲求、年齢の重ね方はさまざまに異なる。
これまでは、社会もマーケットも、年齢を重ねた大人を一括りにして決めつけてきた。
しかし、これからは「年齢」ではなく、個々の人生の「ステージ」を、最も重要な属性として捉えるべきだ。
今後ますます拡大する65歳以上の層を理解するには、「年齢」ではなく「ステージ」に着目することが大切だ。
退職後に学び直して仕事を続けるなど、かつての「教育・仕事・引退」の3ステージモデルの枠を超え、人生はマルチステージ化している。
70代で起業する人も、60代で新たなキャリア に踏み出す人もいる。
そして、これまで「高齢者」と一括りにしてきた層の人口が増加し、多様化する中で、彼らの「ステージ」に対応したビジネスを実践できるだろう。
さまざまな年齢で経験する、多様な「ステージ」を捉えるための新たな枠組みとして、私が 提示するのが、「人生の5Q」(5四半世紀)というフレームワークだ。この巨大マーケットを 理解してビジネスを行ううえでは、これまでにない新たな観点が必要だ。
たとえば、学び続け る80代、90代の存在をどう捉えるか。あるいは、高齢者介護を行う側の多様性への理解も必要だ。
30歳で介護をしている人もいるし、60代、80代もいる。
また、「定年」による完全引退はなくなり、生き方、生きがいの再設定をする時代になっている。
たとえ年齢が同じでも個々人は千差万別であり、そこにこそ、新しいビジネス チャンスが広がっている。
2025年02月03日
エマニュエル・トッド「西洋の敗北」
エマニュエル・トッドの観点は日本でかなり関心を持たれている、それは本国フランス以上であるようです、
近著「西洋の敗北」(文芸春秋)のタイトルはズバリ、先進国といわれた欧米社会の批判です。脱亜入欧を掲げたアジアの極東小国・日本が2坂の上の雲を目指し、西洋の跡を猛追して、科学し、技術革新し、そして軍備をそれよりもまず充実させようとしていく・・・
なんて、事の結果、キノコ雲に見舞われ、企業の公害垂れ流しになり、それでも先進国の超大国米国の影響力(軍備・技術・エネルギー、そして食料)の傘の下に入れて貰う事で安堵してきた、その後遺症にも気づくと、本来の国益・国体をどう護るかなんて、国会での議論は公開され録画、拡散、検索で即しる事も出来る時代になったわけで、愚衆政治にならない為に、私たちは自ら研鑽しなくてはならない、その為にトッドの議論も把握しておきましょう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
西洋の危機の核心は、アメリカ、イギリス、フランスにある。そもそもこれらの国においては、政治的危機がすでに如実に現れている。
ウクライナ戦争の当事国としてはあまり重要ではなかったフランスだったが(兵器の生産が少なすぎる)、この最終段階に来て重要な当事国になってきた。というのも、フランスは西洋同盟諸国の中でも、対ロシア制裁の影響で、経済と政治体制が最初に崩壊しそうになっている国だからだ。フランスのメディアの取材では何度も述べてきたが、西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。
それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ。
対ロシア制裁は、ヨーロッパ経済をストレス状態に陥れた。マクロン大統領の非合理的な行動、国民議会(下院)の解散、そして解散に伴って生じるカオス状態の原因の一部は、この戦争が引き起こした大衆層の生活水準の低下に見出すことができる。
イギリスの保守党の転落や、アメリカのトランプとバイデンの常軌を逸した対立もまた、 自由民主主義国家の解体によって引き起こされた内部の負のダイナミズムから生じたものである。
日本は、ドイツ以上に二つ目の「西洋」、つまり「自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋」に属している。日本もまた危機に直面している。この点に関しては同様のことがロシアにも中国にも言えるが、非常に低い出生率がそれを示している。
日本はドイツと同じく、NATOが崩壊することでアメリカの支配下から解放されるだろう。しかし日本はそれによって、韓国とともに、中国と独力で向き合わなければならなくなる。ユーラシアの西側におけるNATOの崩壊が引き起こす日本の状況については、今後私(トッド)もコメントを求められる機会が訪れるだろう。
しかし今すぐに言えるのは、アメリカとの関係にはかなり慎重になるべきだということだ。アメリカが同盟国として信頼性がかなり低いことに今日のウクライナは気づいているわけだが、日本にとっては、中国との地理的な近さがアメリカとの同盟を必要不可欠にしている。
ロシアは(NATOの馬鹿げた言説とは逆に)ヨーロッパにとって脅威ではない。それは日本にとって中国が東アジアの脅威であるのとは異なる。
最後に、これから脱西洋化が進むと思われる世界の中での日本の立ち位置について、短い見解を述べておこう。
西洋は、ロシアに制裁を科すことで、世界の大半から拒絶されていること、非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」や、進歩的というよりも非現実的な「社会的価値観」によって、自らがもはや「その他の世界」を夢見させる存在ではなくなったことに気がついた。
中国だけではなく、インド、イラン、サウジアラビア、アフリカも、結局はロシアの「保守主義」、そして「国民国家の主権」というロシア的な考え方(もちろんそれは、ロシアの歴史の一部と考えられているウクライナに適用されるわけではない)をより好むようになったのだ。
この戦争において、「多極的な世界」というロシアのビジョンは、西洋が中心となる「均一な世界」というビジョンと対立している。
西洋モデルの政治的観点からすると、均質的であるべき世界・・・リベラル、資本主義、LGBTなど・・・の覇権的中心地はアメリカだ。
私(トッド)は、日本の地政学的文化の深い部分では 「諸国家はみな同じ」というビジョンは受け入れられないのではないかと考えている。
「均一な世界」というアメリカのビジョンは、日本的観点からすると、 敢えて言えば「馬鹿げたもの」だからだ。日本には、「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、むしろ「それぞれの国家の主権」というロシアの考え方の方が日本の気質にも適合している。
実際はドイツでも、「すべての民族は同じ」という考え方は馬鹿げたものと見られるだろう。ドイ ツでは「すべての民族は同じ」という考え方は表面的に受け入れられているだけなのだ。受け入れることで、第二次世界大戦における自らの人種差別的な残虐行為を忘れることができるからである。
日本では私が考えるに、「独自の歴史」という感覚は「本能的」なもので、しかも「リアル」なものだ。
西洋の敗北は、日本が「独自の存在」としての自らについて再び考え始める機会になるはずである。
さらに、日本が西洋の一部としてではなく、ネオリベラルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と「その他の世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ。
「西洋の敗北」が一番如実に出ているのは、今回の「ウクライナ侵攻」に関する各国の反応だ。我々は、日本のニュースだけ見ていると、世界中のどの国もロシアを非難しているだろうと思っている。しかし、現実は、「制限付き」でロシアを非難したのは、北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本、韓国、コスタリカ、コロンビア、パラグアイだけだ。つまり、西洋圏というのは、アメリカの同盟国か軍事的保護国だけになる。
逆に、ロシアへの積極的支持を表明したのは、ベネズエラ、エリトリア、ミャンマー、シリア、北朝鮮だ。そして、形式的に「制裁なし」でロシアを非難した国は、いずれかの陣営を選択したわけではない。
非難すらしなかった国は、ブラジル、インド、中国、南アフリカだ。これらの4ヵ国はロシアとともにBRICSを構成している。
返済できないのが明らかな貧しい人々に不動産ローンを高い利率で貸し付けた、道徳性ゼロの考え方によって起こったアメリカのサブプライム危機は、貧しい中でも成長しつつあった国々を唖然とさせた。
西洋の経済的無責任さを世界に示した世界金融危機の混乱の中で、アメリカの経済的支配に対抗して2009年にBRICSは創設された。こうしたアメリカの無責任さに対し、ヨーロッパの無責任さも重なった。実際、大規模な景気刺激策によって世界を景気後退から引き戻したのは中国だったのである。
ロシアを孤立させるはずだったこの戦争は、むしろBRICSの拡大につながった。BRICSには、すでに、人口世界1位のインド、2位の中国が加盟しているが、新たに、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、イラン、エジプト、エチオピア、が加わることになった。
制裁を求める西洋は、世界人口のわずか12%を占めるにすぎない。それでも西側陣営は、自分たちこそが世界の主だという考えを変えずに行動し続けている。
ブラジルは長い間、アメリカの同盟国だったが、いまやアメリカ大陸における主要な反米国となっている。
メディアも自分たちだけからなる「国際社会」に固執した。
かつて、西洋諸国は最も恥ずべき所業である「奴隷制」を実施したにも関わらず、「西洋諸国は道徳的に優れている」という滑稽な自負がある。つまり、「白人の方が明らかに優れた存在だ」という考えが根底にあるからだ。
(以上、本書より要約)
元々、西洋諸国が経済的に成り立っているのは、後進国と呼ばれる低賃金の国からの輸入によるものだった。欧州ではロシア制裁のためガソリンや電気代などのエネルギー価格が急騰してきて、それに輪をかけて、移民政策の失敗のため、治安が悪く、社会不安が増大している。そうした状況で、今さらまずは道徳的規範を広めようとしても無理があるのだろうおと、世界中が気がついてしまった、アメリカだけをまずグレートになる力を取り戻そうと拳を掲げたトランプに、隣国カナダが早速異議申し立てしている。
賢く先を見るとしたら、日本人の歴史的立場と庶民文化の構築、識字率の高さ、倫理観、四季の情緒、日本の総力を挙げて立ち向かうことなのだと思う。
近著「西洋の敗北」(文芸春秋)のタイトルはズバリ、先進国といわれた欧米社会の批判です。脱亜入欧を掲げたアジアの極東小国・日本が2坂の上の雲を目指し、西洋の跡を猛追して、科学し、技術革新し、そして軍備をそれよりもまず充実させようとしていく・・・
なんて、事の結果、キノコ雲に見舞われ、企業の公害垂れ流しになり、それでも先進国の超大国米国の影響力(軍備・技術・エネルギー、そして食料)の傘の下に入れて貰う事で安堵してきた、その後遺症にも気づくと、本来の国益・国体をどう護るかなんて、国会での議論は公開され録画、拡散、検索で即しる事も出来る時代になったわけで、愚衆政治にならない為に、私たちは自ら研鑽しなくてはならない、その為にトッドの議論も把握しておきましょう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
西洋の危機の核心は、アメリカ、イギリス、フランスにある。そもそもこれらの国においては、政治的危機がすでに如実に現れている。
ウクライナ戦争の当事国としてはあまり重要ではなかったフランスだったが(兵器の生産が少なすぎる)、この最終段階に来て重要な当事国になってきた。というのも、フランスは西洋同盟諸国の中でも、対ロシア制裁の影響で、経済と政治体制が最初に崩壊しそうになっている国だからだ。フランスのメディアの取材では何度も述べてきたが、西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。
それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ。
対ロシア制裁は、ヨーロッパ経済をストレス状態に陥れた。マクロン大統領の非合理的な行動、国民議会(下院)の解散、そして解散に伴って生じるカオス状態の原因の一部は、この戦争が引き起こした大衆層の生活水準の低下に見出すことができる。
イギリスの保守党の転落や、アメリカのトランプとバイデンの常軌を逸した対立もまた、 自由民主主義国家の解体によって引き起こされた内部の負のダイナミズムから生じたものである。
日本は、ドイツ以上に二つ目の「西洋」、つまり「自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋」に属している。日本もまた危機に直面している。この点に関しては同様のことがロシアにも中国にも言えるが、非常に低い出生率がそれを示している。
日本はドイツと同じく、NATOが崩壊することでアメリカの支配下から解放されるだろう。しかし日本はそれによって、韓国とともに、中国と独力で向き合わなければならなくなる。ユーラシアの西側におけるNATOの崩壊が引き起こす日本の状況については、今後私(トッド)もコメントを求められる機会が訪れるだろう。
しかし今すぐに言えるのは、アメリカとの関係にはかなり慎重になるべきだということだ。アメリカが同盟国として信頼性がかなり低いことに今日のウクライナは気づいているわけだが、日本にとっては、中国との地理的な近さがアメリカとの同盟を必要不可欠にしている。
ロシアは(NATOの馬鹿げた言説とは逆に)ヨーロッパにとって脅威ではない。それは日本にとって中国が東アジアの脅威であるのとは異なる。
最後に、これから脱西洋化が進むと思われる世界の中での日本の立ち位置について、短い見解を述べておこう。
西洋は、ロシアに制裁を科すことで、世界の大半から拒絶されていること、非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」や、進歩的というよりも非現実的な「社会的価値観」によって、自らがもはや「その他の世界」を夢見させる存在ではなくなったことに気がついた。
中国だけではなく、インド、イラン、サウジアラビア、アフリカも、結局はロシアの「保守主義」、そして「国民国家の主権」というロシア的な考え方(もちろんそれは、ロシアの歴史の一部と考えられているウクライナに適用されるわけではない)をより好むようになったのだ。
この戦争において、「多極的な世界」というロシアのビジョンは、西洋が中心となる「均一な世界」というビジョンと対立している。
西洋モデルの政治的観点からすると、均質的であるべき世界・・・リベラル、資本主義、LGBTなど・・・の覇権的中心地はアメリカだ。
私(トッド)は、日本の地政学的文化の深い部分では 「諸国家はみな同じ」というビジョンは受け入れられないのではないかと考えている。
「均一な世界」というアメリカのビジョンは、日本的観点からすると、 敢えて言えば「馬鹿げたもの」だからだ。日本には、「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、むしろ「それぞれの国家の主権」というロシアの考え方の方が日本の気質にも適合している。
実際はドイツでも、「すべての民族は同じ」という考え方は馬鹿げたものと見られるだろう。ドイ ツでは「すべての民族は同じ」という考え方は表面的に受け入れられているだけなのだ。受け入れることで、第二次世界大戦における自らの人種差別的な残虐行為を忘れることができるからである。
日本では私が考えるに、「独自の歴史」という感覚は「本能的」なもので、しかも「リアル」なものだ。
西洋の敗北は、日本が「独自の存在」としての自らについて再び考え始める機会になるはずである。
さらに、日本が西洋の一部としてではなく、ネオリベラルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と「その他の世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ。
「西洋の敗北」が一番如実に出ているのは、今回の「ウクライナ侵攻」に関する各国の反応だ。我々は、日本のニュースだけ見ていると、世界中のどの国もロシアを非難しているだろうと思っている。しかし、現実は、「制限付き」でロシアを非難したのは、北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本、韓国、コスタリカ、コロンビア、パラグアイだけだ。つまり、西洋圏というのは、アメリカの同盟国か軍事的保護国だけになる。
逆に、ロシアへの積極的支持を表明したのは、ベネズエラ、エリトリア、ミャンマー、シリア、北朝鮮だ。そして、形式的に「制裁なし」でロシアを非難した国は、いずれかの陣営を選択したわけではない。
非難すらしなかった国は、ブラジル、インド、中国、南アフリカだ。これらの4ヵ国はロシアとともにBRICSを構成している。
返済できないのが明らかな貧しい人々に不動産ローンを高い利率で貸し付けた、道徳性ゼロの考え方によって起こったアメリカのサブプライム危機は、貧しい中でも成長しつつあった国々を唖然とさせた。
西洋の経済的無責任さを世界に示した世界金融危機の混乱の中で、アメリカの経済的支配に対抗して2009年にBRICSは創設された。こうしたアメリカの無責任さに対し、ヨーロッパの無責任さも重なった。実際、大規模な景気刺激策によって世界を景気後退から引き戻したのは中国だったのである。
ロシアを孤立させるはずだったこの戦争は、むしろBRICSの拡大につながった。BRICSには、すでに、人口世界1位のインド、2位の中国が加盟しているが、新たに、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、イラン、エジプト、エチオピア、が加わることになった。
制裁を求める西洋は、世界人口のわずか12%を占めるにすぎない。それでも西側陣営は、自分たちこそが世界の主だという考えを変えずに行動し続けている。
ブラジルは長い間、アメリカの同盟国だったが、いまやアメリカ大陸における主要な反米国となっている。
メディアも自分たちだけからなる「国際社会」に固執した。
かつて、西洋諸国は最も恥ずべき所業である「奴隷制」を実施したにも関わらず、「西洋諸国は道徳的に優れている」という滑稽な自負がある。つまり、「白人の方が明らかに優れた存在だ」という考えが根底にあるからだ。
(以上、本書より要約)
元々、西洋諸国が経済的に成り立っているのは、後進国と呼ばれる低賃金の国からの輸入によるものだった。欧州ではロシア制裁のためガソリンや電気代などのエネルギー価格が急騰してきて、それに輪をかけて、移民政策の失敗のため、治安が悪く、社会不安が増大している。そうした状況で、今さらまずは道徳的規範を広めようとしても無理があるのだろうおと、世界中が気がついてしまった、アメリカだけをまずグレートになる力を取り戻そうと拳を掲げたトランプに、隣国カナダが早速異議申し立てしている。
賢く先を見るとしたら、日本人の歴史的立場と庶民文化の構築、識字率の高さ、倫理観、四季の情緒、日本の総力を挙げて立ち向かうことなのだと思う。
2025年02月02日
春節インバウンドの困りもの
中国のSNS・小紅書(RED)に2月4日、「日本の飲食店が中国人観光客を歓迎しない本当の理由」との投稿があり、反響を呼んでいる。
投稿者は中国人観光客向けに日本の飲食店などの予約代行サービスを行っているようで、「以前は多くの飲食店の予約を取り、お客さんはみんなきちんと時間を守っていた。もちろん、私もお客さんに『時間通りにお店に行ってください。変更があればすぐに連絡してください』と再三念を押していた」と説明した。
しかし、「この頃、無断キャンセルをするお客さんが3組も出た。いずれも、何の連絡もなく店に現れなかった。さらにひどいのはそのうちの1組は11人だった。予約の際に私は4回電話し、3通メールを送り、お店に繰り返し確認して受け入れてもらったのに、彼ら(客)はすっぽかした。お店は好意的にも、メールを送ってきて事故に遭ったんじゃないかと心配までしてくれた」とし、「どうりで日本の飲食店が中国人客を歓迎しないわけだ。急にものすごく共感した」とつづっている。
中国のネットユーザーからは「本当に最悪」「信用のない人間はどこに行っても歓迎されない。普通のことだ」「飲食業界の人はどこの国であろうと中国人客を歓迎しないだろう。中国の飲食店でさえも」「日本は飲食店だけでなく多くの場所で中国人観光客を歓迎しない。ルールを守らず、モラルが低い。それが彼らの共通の印象」「そこら辺に痰を吐き、歩きたばこをするような人に約束を守らせるのは確かに難しい」「契約精神がごみのよう。だから他人に契約を履行させるのは限界がある」「今後は先に料金を徴収しておいた方がいい」といった声が上がった。
また、「この前、日本のブランドショップで3人の中国人がゆっくり試着していた。1人の携帯電話が鳴って、予約した店から催促の電話が入ったようだった。しかし、別の2人は『無理なら行かなきゃいい』と平然と言っていた」「友人Aと友人B夫婦と一緒に関西に旅行に行った。飲食店を予約していたが、B夫婦は屋台で食べておなかがいっぱいだから行かないと言い出した。仕方なく友人Aと店を訪れたが、予約の人数分の料金を支払わなければ料理を提供できないと言われた。それをB夫婦に伝えたら、Bは自分たちの分の料金を後で払うから(2人で食べて)と言ったが、Bの夫はなぜ食べてもいないのに金を払うんだと言って、結局店に食べにきた」といった体験談や、「今回の日本旅行では特に日程を決めず、行った先にあった店で食事をしたが、どこも良かった。時間を守れないなら予約しない方がいい。自分も時間に縛られないから楽だし」とのコメントも寄せられている。
出典 Record China 2/4(翻訳・編集/北田)
投稿者は中国人観光客向けに日本の飲食店などの予約代行サービスを行っているようで、「以前は多くの飲食店の予約を取り、お客さんはみんなきちんと時間を守っていた。もちろん、私もお客さんに『時間通りにお店に行ってください。変更があればすぐに連絡してください』と再三念を押していた」と説明した。
しかし、「この頃、無断キャンセルをするお客さんが3組も出た。いずれも、何の連絡もなく店に現れなかった。さらにひどいのはそのうちの1組は11人だった。予約の際に私は4回電話し、3通メールを送り、お店に繰り返し確認して受け入れてもらったのに、彼ら(客)はすっぽかした。お店は好意的にも、メールを送ってきて事故に遭ったんじゃないかと心配までしてくれた」とし、「どうりで日本の飲食店が中国人客を歓迎しないわけだ。急にものすごく共感した」とつづっている。
中国のネットユーザーからは「本当に最悪」「信用のない人間はどこに行っても歓迎されない。普通のことだ」「飲食業界の人はどこの国であろうと中国人客を歓迎しないだろう。中国の飲食店でさえも」「日本は飲食店だけでなく多くの場所で中国人観光客を歓迎しない。ルールを守らず、モラルが低い。それが彼らの共通の印象」「そこら辺に痰を吐き、歩きたばこをするような人に約束を守らせるのは確かに難しい」「契約精神がごみのよう。だから他人に契約を履行させるのは限界がある」「今後は先に料金を徴収しておいた方がいい」といった声が上がった。
また、「この前、日本のブランドショップで3人の中国人がゆっくり試着していた。1人の携帯電話が鳴って、予約した店から催促の電話が入ったようだった。しかし、別の2人は『無理なら行かなきゃいい』と平然と言っていた」「友人Aと友人B夫婦と一緒に関西に旅行に行った。飲食店を予約していたが、B夫婦は屋台で食べておなかがいっぱいだから行かないと言い出した。仕方なく友人Aと店を訪れたが、予約の人数分の料金を支払わなければ料理を提供できないと言われた。それをB夫婦に伝えたら、Bは自分たちの分の料金を後で払うから(2人で食べて)と言ったが、Bの夫はなぜ食べてもいないのに金を払うんだと言って、結局店に食べにきた」といった体験談や、「今回の日本旅行では特に日程を決めず、行った先にあった店で食事をしたが、どこも良かった。時間を守れないなら予約しない方がいい。自分も時間に縛られないから楽だし」とのコメントも寄せられている。
出典 Record China 2/4(翻訳・編集/北田)
将門様の周辺事情、相馬郡衙
https://ameblo.jp/yagekidan/image-12528196806-14595045480.html
県指定史跡 相馬郡衙
指定日 平成7年3月14日
所在地 我孫子市日秀字西60-6の一部ほか
概要
相馬郡衙正倉跡(日秀西(ひびりにし)遺跡)は、千葉県立湖北高等学校の建設に伴い発掘調査が行われ、その中心部分の様相が明らかになった遺跡である。郡衙とは古代(奈良・平安時代)の郡の役所全体を指す名称で、正倉とは徴収した税である稲などを納めた倉庫群を指す名称である。かつての相馬郡は現在の我孫子市、沼南町と柏市の一部、さらに利根川を挟んだ茨城県取手市、利根町、藤代町に相当すると考えられている。
相馬郡衙正倉跡は、東群・北群・西群・南群というように、方位にあわせてきれいに列をなす建物群によって構成されている。検出された建物の大半は、掘立柱を側柱(がわばしら)だけでなく内側にも立てて床を支える「総柱(そうばしら)建物」といわれるもので、倉庫として使われた「高床建物」であると考えられ、このことからもこの遺跡が郡衙正倉跡であると推定された。相馬郡衙正倉跡からは、当時の貨幣である和銅開珎(銀銭)、瓦などの他におびただしい量の炭化米が見つかっている。炭化米の存在は、米を納めていた倉が故意か事故かは別にして、火災に遭ったことを示している。
相馬郡衙正倉跡は、出土遺物から考えて8世紀初頭から9世紀半ば過ぎまでの期間、郡の正倉としての機能を果たし続けていたと考えられている。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
上記は、県庁に現在掲載HPでの報告内容です。
(千葉県のHPは下線部分を10世紀と修正すべき)
某氏のブログ(2017年 11月 21日)では、我孫子市に建てられた説明板の記載には、千葉県と我孫子市教育委員会との連名で、平成18年(2006)3月として掲示をした時期があったことが分かります。つまり、”10世紀までの遺構”だと我孫子市で明らかになったことから、千葉県にも報告して、記載したと思われます。

ところが、その後、令和元年(2019)に説明板を新しくした時に、その内容はほぼ同内容になのに、千葉県教育委員会が無くなっているのは府に落ちません。
https://ameblo.jp/kofun-0524/image-12878617021-15521338905.html
少なくとも13年間は県は我孫子市の調査に名前を並べていたのが、何故か、県教育委員会との連名がはずされて、県庁の現HPは我孫子市の説明が10Cまでとの表記であるのとは齟齬がでています。
年代認識の多少の誤謬とはよく起きるものなのでしょうが、市で明らかにした調査でも、県教育委員会が認めるに至らない事になるのか、理由が知りたいところです。地元の確実な調査に信頼を寄せて、県庁HPの表記に改めて頂きたい。
いつかやる、というのではなく、直ぐやる、改めて貰いたい所です。世の中に、Webを活用して写真や記録が残してあるので、色々な気づきがあります。
一方で、我孫子市の調査姿勢は、学術的な判断をすることにおいては、西嶋定生教授(東大東洋考古学、我孫子在住、故人)を中核に真摯に進められ、且つ、「市民による市史の編纂」を目指して、注目をされていたのも特徴です。@伝承は時代の流れで変化してしまうため明らかな証拠とは認められないのではないかとの危惧 一方で、A将門神社、観音寺の首曲げ地蔵がある、将門の井戸(首洗い井戸)の伝承が残っている意味は無視できない、また、⓷取手、柏、印西、守谷などの我孫子周辺の寺社には既に昭和時期に教育委員会の説明板が設置されていた。我孫子は令和になっての掲示板設置となっていて、周辺の事情に押され気味です。
我孫子市議会での議論の経緯もあり、令和5年に説明板が、将門神社及び観音寺に設置されたところです。
(但し、我孫子の将門神社は揚羽紋を掲げていますが、市の説明板には九曜紋という、現場との違いアリ)
周辺市に遅れること40年のちに、時代の謂れなどを記し将門神社、日秀観音寺に説明板が立てられ、地元の方々がやっと日秀も陽が当たったと喜ばれました。
つづき
県指定史跡 相馬郡衙
指定日 平成7年3月14日
所在地 我孫子市日秀字西60-6の一部ほか
概要
相馬郡衙正倉跡(日秀西(ひびりにし)遺跡)は、千葉県立湖北高等学校の建設に伴い発掘調査が行われ、その中心部分の様相が明らかになった遺跡である。郡衙とは古代(奈良・平安時代)の郡の役所全体を指す名称で、正倉とは徴収した税である稲などを納めた倉庫群を指す名称である。かつての相馬郡は現在の我孫子市、沼南町と柏市の一部、さらに利根川を挟んだ茨城県取手市、利根町、藤代町に相当すると考えられている。
相馬郡衙正倉跡は、東群・北群・西群・南群というように、方位にあわせてきれいに列をなす建物群によって構成されている。検出された建物の大半は、掘立柱を側柱(がわばしら)だけでなく内側にも立てて床を支える「総柱(そうばしら)建物」といわれるもので、倉庫として使われた「高床建物」であると考えられ、このことからもこの遺跡が郡衙正倉跡であると推定された。相馬郡衙正倉跡からは、当時の貨幣である和銅開珎(銀銭)、瓦などの他におびただしい量の炭化米が見つかっている。炭化米の存在は、米を納めていた倉が故意か事故かは別にして、火災に遭ったことを示している。
相馬郡衙正倉跡は、出土遺物から考えて8世紀初頭から9世紀半ば過ぎまでの期間、郡の正倉としての機能を果たし続けていたと考えられている。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
上記は、県庁に現在掲載HPでの報告内容です。
(千葉県のHPは下線部分を10世紀と修正すべき)
某氏のブログ(2017年 11月 21日)では、我孫子市に建てられた説明板の記載には、千葉県と我孫子市教育委員会との連名で、平成18年(2006)3月として掲示をした時期があったことが分かります。つまり、”10世紀までの遺構”だと我孫子市で明らかになったことから、千葉県にも報告して、記載したと思われます。

ところが、その後、令和元年(2019)に説明板を新しくした時に、その内容はほぼ同内容になのに、千葉県教育委員会が無くなっているのは府に落ちません。
https://ameblo.jp/kofun-0524/image-12878617021-15521338905.html
少なくとも13年間は県は我孫子市の調査に名前を並べていたのが、何故か、県教育委員会との連名がはずされて、県庁の現HPは我孫子市の説明が10Cまでとの表記であるのとは齟齬がでています。
年代認識の多少の誤謬とはよく起きるものなのでしょうが、市で明らかにした調査でも、県教育委員会が認めるに至らない事になるのか、理由が知りたいところです。地元の確実な調査に信頼を寄せて、県庁HPの表記に改めて頂きたい。
いつかやる、というのではなく、直ぐやる、改めて貰いたい所です。世の中に、Webを活用して写真や記録が残してあるので、色々な気づきがあります。
一方で、我孫子市の調査姿勢は、学術的な判断をすることにおいては、西嶋定生教授(東大東洋考古学、我孫子在住、故人)を中核に真摯に進められ、且つ、「市民による市史の編纂」を目指して、注目をされていたのも特徴です。@伝承は時代の流れで変化してしまうため明らかな証拠とは認められないのではないかとの危惧 一方で、A将門神社、観音寺の首曲げ地蔵がある、将門の井戸(首洗い井戸)の伝承が残っている意味は無視できない、また、⓷取手、柏、印西、守谷などの我孫子周辺の寺社には既に昭和時期に教育委員会の説明板が設置されていた。我孫子は令和になっての掲示板設置となっていて、周辺の事情に押され気味です。
我孫子市議会での議論の経緯もあり、令和5年に説明板が、将門神社及び観音寺に設置されたところです。
(但し、我孫子の将門神社は揚羽紋を掲げていますが、市の説明板には九曜紋という、現場との違いアリ)
周辺市に遅れること40年のちに、時代の謂れなどを記し将門神社、日秀観音寺に説明板が立てられ、地元の方々がやっと日秀も陽が当たったと喜ばれました。
つづき
2025年02月01日
節分、生豆でGo! 浄水でGo! 佳き春を迎えよう
今年の節分は、2月2日。節分になるのは、なんと
124年ぶりです。中国の春節の時期も始まりました。
この頃の上野・東京ラインの発着駅は、でかい押しカートでやってくる外国人で溢れかえっています。
コロナ後の変化は、韓国語・中国語もというアナウンスでなくて、英語だけになって、車内アナウンスも車掌だかが話す英語アナウンスも前より板についてきた感じがします。
そんな中、ネットで簡単に海外ともつながるので、海外進出に憧れる方も出てきていますが、国内も海外もビジネスを上手くやれるかといえば、甘くないです。
お台場、メッセ、横浜ですら、展示会など参加して興味をもってもらうのもですが、商談がまとまるとなるまでにいく確率は多くはないものです。名刺はたくさん集まっても、難しい。
オクテのJAPANベンチャーの中で、お台場ビッグサイトにつづき、パシフィク横浜でも『発明工房』を応援してきました。
中小企業ながら、得意の技術を駆使して、不安な水道水を超浄水機能で安全な飲み水、かゆくならない風呂水に精製します。
今、大問題のPFASすら除去する性能ですから、塩素もカルキも取り除いてくれる、
日々の生活を守る、知っておくべき中小企業ベンチャーです。
セントラル浄水器「セルフ・ガード」は、フィルターに高性能ヤシ殻活性炭を大容量使用し、有害物質を99%以上除去します。
毎分40ℓの大流量でご家族の健康を飲むだけでなく、ピリピリしないお風呂につかれる、使いたいだけ使って、みんなの元気を守ります。
https://selfguard.xsrv.jp/
上記のホームページに、PFASを含む、ろ過能力試験結果も公開しています
アトピーなどでお困りの方、クリックして参考にしてください。
日本を元気に、我孫子を健康に、元気にして
夢の持てる街にしたい、一日一歩、三日で3歩です
Go!Go ! 市制55周年 ヘビーな巳年に、
とぐろ上向きに知恵を集約して盛り上げよう
124年ぶりです。中国の春節の時期も始まりました。
この頃の上野・東京ラインの発着駅は、でかい押しカートでやってくる外国人で溢れかえっています。
コロナ後の変化は、韓国語・中国語もというアナウンスでなくて、英語だけになって、車内アナウンスも車掌だかが話す英語アナウンスも前より板についてきた感じがします。
そんな中、ネットで簡単に海外ともつながるので、海外進出に憧れる方も出てきていますが、国内も海外もビジネスを上手くやれるかといえば、甘くないです。
お台場、メッセ、横浜ですら、展示会など参加して興味をもってもらうのもですが、商談がまとまるとなるまでにいく確率は多くはないものです。名刺はたくさん集まっても、難しい。
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