高知県の中西部に須崎市という港町がある。人口は2万人弱。県内でもっとも漁業従事者の多い漁師の町だ。ここの市職員となり、大奮闘のストーリーを紐解く。現在は自治体のふるさと納税のコンサルティング事業を運営する株式会社パンクチュアルの代表となっている、守時健さん(38)のリアルストリーは、かつては人生に絶望していた青年であり、なんとか起死回生での公務員生活の間に、ゆるキャラの生みの親となり、高知の小さな町に活気を取り戻させたという、驚くべきサクセスストリーがあった。成人式が、各地で開催のこの時に、紹介して見たい。
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市のゆるキャラ「しんじょう君」は、2016年にゆるキャラグランプリで1位を獲得したニホンカワウソのキャラクターだ。須崎市でイベントを開催すれば人口の4倍以上の観光客を集め、SNSで特産品をPRすれば3日で1億円を売り上げる。あの「くまモン」の経済効果を上回った年もある。
しんじょう君の活躍に合わせて、市のふるさと納税も好調だ。2014年度は200万円だった寄付額は、9年後の2023年には約1700倍の34億円に拡大している。
今でこそ活気に溢れる須崎市だが、10年ほど前までは「夕張の次は須崎か」と噂されるほど市の財政は逼迫していた。経費削減のために市役所庁舎の蛍光灯を半分だけ点灯させる案が真剣に議論されたほどだ。町全体が諦めムードに沈んでいた時に始まったのが、ゆるキャラによるまちおこしだった。
「僕自身も人生終わったと思ったところから這い上がることができた。死に物狂いでやれば、まちおこしでもなんでもできると思ったんです」
守時さんは1986年に広島県に生まれ、岡山県倉敷市で育った。高校卒業後、愛知県の自動車部品工場で契約社員として働いたが1年で退職。19歳で「音楽がしたい」と高校時代のバンド仲間を頼って大阪に流れ着いた。しかし大きな夢も志もなく、流されるまま怠惰に日々を過ごした。派遣仕事で食い繋ぐも、給与は業者にピンハネされ、日給1万円の仕事が4000円にしかならない。電気が止まり、家賃を滞納した。
「人生詰んだ。マジで地獄や」
大阪、深夜の倉庫街。19歳の守時さんは荷物整理の日雇い仕事をこなしながら、絶望していた。
ただ時間だけが過ぎていった。這い上がるための金も、気力もなかった。
20歳になった頃、「さすがにこのままではまずい」と思い、大学に行く決心をする。アルバイトをしながら独学での受験勉強がはじまった。「偏差値38の高校をギリギリで卒業した身」にはとてつもなく大きな目標だった。
手始めに掲示板サイト「2ちゃんねる」で効率的な勉強方法を検索。ゴールから逆算して綿密な学習計画を立てた。真面目に勉強をするのは中学生ぶりだ。小学6年生の教科書から学び直した。
「勉強のやり方すらわからないのに、頼れる人が誰もいないことが一番つらかったです。でももうやるしかないから、必死でしたね」
朝6時に起きて図書館に行き、1日6〜7時間を勉強に充てた。夕方から仕事に行って日付を跨いだ深夜に帰ってくる。周囲からは「アホの守時が大学なんて受かるわけない」と笑われた。孤独のなか人生を変えたい一心で、勉強とアルバイトと、わずかな睡眠をとるだけの日々が1年半続いた。2008年2月、関西大学社会学部を受験した。滑り止めを受ける余裕はない。単願受験の一発勝負だった。「受かるかどうかは、結果が出るまで本当にわからなかったです。結果論ですけど、壮大な計画でも適切な戦略と実行力があれば、成果は出るんだという経験と自信は、その後の人生に大きく影響していると思います」
結果は無事、合格。ようやく手にした人生立て直しの切符だった。2008年4月、22歳で守時さんは晴れて大学生になった。なんの肩書きもないフリーター生活を送っていた守時さんにとって、「初めて人権をもらえた気分」だった。遅れてきた「普通の人生」を取り戻すように大学生活を謳歌するなか、守時さんがハマったのが当時流行り始めていたSNSだ。
廃墟を巡って写真を撮るサークル「廃墟部」を友人と立ち上げた守時さんは、メンバー集めにmixiを活用した。mixi内に廃墟部のコミュニティを開設し、キャッチーなテキストを添えてとにかく楽しそうな印象を前面に押し出してみた。するとおもしろいほど参加者が集まり、最終的にサークルは160人近い規模に成長した。個人で運用していたTwitter(現X)でも、分析力を発揮した。実行と修正を繰り返しながら成功の法則を見出していった。リツイートの多い投稿を見比べて「バズるための構文」を地道に研究したのだ。
「mixiでもTwitterでも、やり続けるうちにコツみたいなものがわかっていくんです。当時は失うものが何もない大学生だったので、とにかくおもしろいと思うことを試しました」守時さんが最初にTwitterでバズったのは2011年3月28日のこと。その時のツイートを紹介しよう。
「君たちにいい事を教えてあげよう。ゲーセンのプリクラでエロいのとか、キスしてたりキメ顔だったり色々恥ずかしい事してる人いっぱいいるよね。あれってさ、店員は 履 歴 見 れ る ん だ よ。」「驚き」や「共感」を織り交ぜたこの投稿は、孫正義氏の「東日本大震災の被災地に100億円を寄付する趣旨の投稿」や、世界的ラッパーのスヌープ・ドック氏の「友人の死を悼む投稿」を抑え、リツイート数世界1位(当時)を叩き出した。その後も大小多くの「バズりツイート」を量産し、SNS運用のコツを習得していった。
▲転機△
守時さんが須崎市と出会ったのは大学時代だった。大学3回生の夏休み、友人の地元である須崎市に3泊4日の旅行に出かけた。高知県を訪れること自体初めてだった。滞在中、地元の特産品である新子(ソウダガツオの稚魚)の祭り「新子まつり」が開催されていた。会場で守時さんが見たのは、酔っ払った地元の人たちが、まるで大学生のようなノリではしゃいでいる姿だった。
「会場で開かれていたカラオケ大会で、酔っ払ったおばあちゃんがステージに乱入して警備員に退場させられていたんです。そんな様子を見て、みんな『いいぞー』なんて声を上げたり、拍手したり、『なんて楽しいところなんだここは!』ってすごく衝撃でしたね」
ここでなら社会人になっても楽しく暮らせると思った守時さんは、須崎市に移住する決心をその場でしてしまう。もともと卒業後は「証券会社のような実力主義の世界で働きたい」と漠然と考えていたがあっさりと翻意し、須崎市の市役所職員になることを決めた。「若かったからとしか言えないんですけど、旅行が終わるまでに心はもう決まっていました」
半年間の猛勉強の末に公務員試験に合格。その後は6年分の議会議事録を読み込んで須崎市での面接に臨んだ。
まちへの熱意や得意のSNSについて語り、「いつ災害が起きても駆けつけられるように市役所の近くに家を借ります」と締め括った面接の結果は合格。2012年4月、守時さんは26歳で須崎市の市役所職員になった。
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2020年に守時さんは市役所を退職して地域商社「株式会社パンクチュアル」を創業。市からの委託を受け、しんじょう君と須崎市のふるさと納税事業を運営している。
民間企業になったことで、異動がなくなりノウハウが蓄積できる体制が整った。守時さん以外が非正規職員だったチームの雇用を守ることができ、新メンバーも加わった。事業はさらに加速し、独立初年度の須崎市のふるさと納税は21億円を突破。2023年度には34億円と、事業開始から9年で寄付額は1700倍にもなった。
電気代をケチろうとした街が、保育園無償に
現在ふるさと納税で集まった寄付金は、しんじょう君の活動費のほか、保育園の無償化、高齢者の生活支援、廃れた商店街を再生する「海の街プロジェクト」などに活かされている。フランスで開催される「Japan Expo」への出展など海外に向けたPRにも寄付金が活用されている。
まちは今、活気に溢れている。観光客のほか、国内外からの移住者も増加。守時さんが「真っ暗だった」と語った街並みはリニューアルが進み、商店街には新しいアンテナショップがオープンした。魚市場は観光客がセリを見学できるように改修作業が進められている。
須崎市出身のコンテンツクリエイターで、現在はパンクチュアルで働く塩見開さん(34)は「本当にまちが明るくなりました」とその変化を嬉しそうに語る。
「昔はなにもない地元が嫌いだったんです。一度離れて帰ってきたら雰囲気がすごく変わっていて驚きました。しんじょう君のおかげで外から注目されて、観光客が増えて、変化していくまちを見るのはやっぱり嬉しいし楽しいです。最近の須崎はなんかすごく明るいんですよ。本当に変わったなと思います」
守時さんが立ち上げたパンクチュアルは、ふるさと納税のほか、現在は地域産品を扱う自治体ECにも力を入れている。そのきっかけとなったのはコロナ禍の「カンパチ事件」だ。
創業間もない2020年5月、須崎市内の漁業関係者から「コロナ禍で料亭などに卸していた高級カンパチの行き場がなく困っている。このままだと廃棄するしかない。そうなれば倒産だ。守時さん、助けて!」とSOSが入った。
なんとか力になりたいと思った守時さんは、しんじょう君のグッズ販売用だったサイトを急いでリニューアル。須崎市の特産品販売サイト「高知かわうそ市場」を立ち上げてカンパチの販売を行った。すかさずSNSでしんじょう君が「カンパチや漁師さんを助けてほしいよー!」「味には絶対の自信があるよー!」と呼びかけた。
すると大量の注文が入り、3日で1億円ものカンパチが売れた。その後も他の事業者から、タイ10万匹、ブリ28万匹が余っているというSOSが入り、同様に販売。さらに約6億円を売り上げた。
「昨日まで魚が売れなくて死にそうだった漁師さんが、逆に忙しすぎて死にそうになっちゃって。1分間で50匹くらい注文が入りました。あれは本当におもしろかったなあ」
その年、高知かわうそ市場では海産物を中心に須崎市の特産品を8億5000万円売り上げた。ECサイトは集客や差別化が難しく、「個別に自治体が運営しても儲からない」というのが通説だった。守時さんとしんじょう君は見事その通説を覆してみせたのだ。
こうしてパンクチュアルには、ふるさと納税以外にECサイト運営という軸が完成。多方面から「稼げる自治体づくり」を行っている。
「地域外に1円たりとも出したくない」
パンクチュアルがふるさと納税事業を行うのは須崎市だけではない。2024年12月現在、30を超える自治体で事業を展開している。各自治体のふるさと納税額は毎年大幅に増加し、事業開始1年後の増加率は平均2.5倍を記録している。
守時さんが一番大切にしていることで、同社の大きな特徴となっているのが徹底した地域密着運営だ。
各自治体には必ず事業所を開設し、担当社員は必ず住民票を移してそのまちに住む。住民として生活をしながら、返礼品の開発から情報発信までトータルで事業をおこなう。
守時さんは「支援」という言葉は使わない。パンクチュアルの社員はあくまで地域のいちプレイヤーとして自治体と一緒に走り回る存在なのだ。地域に根付く「ヨソ者」たちが「選ばれる特産品づくり」に奔走している。各地のノウハウは他地域にも共有され、全国で第2、第3の須崎市を育んでいる。
根底にあるのは「地域外に1円たりとも出したくない」という守時さんの「怨念のような想い」。
現地にいないと当事者意識は決して生まれない。ふるさと納税は地域へお金を“還す”ことが目的だ。「地域外に住んで遠隔で事業をしていたのでは事業をやる意味がなくなってしまう」という。
「地方創生に関わる会社は二極化していると思うんです。まちおこしはボランティアで当然だと思っている会社と、地方創生が儲かるから参入してくる都会の会社。前者は事業の継続性が低くて続かないし、後者はせっかくの利益が地域に還元されない。だから僕らは徹底的に地域密着で事業をやりながら、しっかり稼いで、その土地で得た利益を地域に再投資してお金の循環を促すような組織でありたいんです」
パンクチュアルの新卒者の初任給は東京の大手企業の平均を上回る。各地で子ども食堂も運営し、その土地で得た利益はその土地と住む人に還元する姿勢を貫いている。
「だから会社全体の利益率はめちゃくちゃ低いですよ」と笑う守時さんに、今後の展望について聞くとまるで玉手箱が弾けるように事業構想やアイデアが次々と溢れ出た。「世界で戦える地域を作りたいんですよね」
ふるさと納税は確かに有益な制度だ。地元事業者の収益向上、地域ブランドの確立などさまざまなメリットがある。しかし、人口減少が進む日本でお金を取り合っているだけでは良い未来には繋がらない。いかにして海外から日本の地方にヒト・モノ・カネ・コトを引き寄せるかに挑戦したいと守時さんは語る。海外向けECや、地方の魅力を海外へ発信する実店舗の準備も進めている。
「人間は多分、成功しても失敗しても死ぬし、幸せでも不幸でも死ぬと思うんです。僕の経験ですが、死ぬ気でやれば大方なんとかなるんですよね」
出典 President Onlineつづき