
茨城のあたりは、将門の命を狙ってついに首を得たりと、有頂天で朝廷に掲げ持って貴族に叙せられて、その後、大いに発展していく御家人たちがおおかったものの、千年も経ってしまうと、どういうわけか「将門さま」を慕って付き従って一族郎党までも追討された者が多い千葉の辺りよりも、意気盛んに名称をつけて誇らしく将門さまが活躍していたのだと喧伝しているので驚きます。
ちなみに、上記の写真の川は「しょうもんかわ」と読みます。
承慶の乱について書かれた戦記『将門記(しょうもんき)』と同じ読みです。
常総市(旧石下町)にある篠山水門は、将門川(しょうもんがわ)が鬼怒川に合流する地点です。 この水門のすぐ手前の土手下に、「平親王将門一族墳墓の地」の案内板があります。 篠山水門(将門川河口)を過ぎて、石下大橋のアンダーパスを過ぎると次が石下橋です。
1.平親王将門一族墳墓之地
所在地:茨城県常総市蔵持
常総市蔵持にある平親王将門一族墳墓之地は、平将門と父の平良持、兄の将弘の墳墓と伝えられています。現存する蔵持建長銘板碑の3基と西福寺建長銘板碑1基の板碑は、もとはこの場所にありました。昭和5年(1930年)に鬼怒川沿岸の堤防改修工事に伴い、引手山から移されたものです。
2.六所塚(前方後円墳)
所在地:茨城県常総市蔵持251番地
常総市蔵持にある六所塚は全長70mの巨大な前方後円墳で、常総市指定文化財です。鬼怒川右岸の神子女(御子埋)古墳群内に在り、かつては85基あった古墳の中でも最大規模とされています。古くから平将門とその父・良持が埋葬されていると信じられおり、祭祀されてきました。
3.桑原神社
所在地:常総市国生1186
桑原神社は、常総市国生にある延喜式内社(小)の平将門も尊崇した由緒ある神社です。772年、下総国の国司である桑原王が創祀しました。かつては現在より東の鬼怒川右岸にあり、平将門の父である平良持公により下総国亭(庁)が置かれ政治の拠点とされていましたが、水害等により住民が西へ移動したため、延宝6年(1678年)現在地に奉還されされました。
4.香取大明神
所在地:茨城県常総市向石下15
常総市向石下にある香取大明神は、平将門の父・平良持の創祀と云われています。
昌泰年間(897〜901年)に下総国亭(庁)を開く際、東国創業である香取神宮を総社として勧請されたと伝えられています。