十二神将(しんしょう)は、十二薬叉大将(やくしゃだいしょう)、十二神王ともいい、薬師如来および薬師経を信仰する者を守護するとされる十二尊の仏尊である。新薬師寺にある塑像の十二神将像がよく知られる。
梵語では、例えば伐折羅は、ヴァジュローマハーヤクシャセーナパティであり、訳すと「ヴァジュラ(という神格の)偉大なヤクシャの軍の主」、すなわち大夜叉将軍=神将と意訳される。元々は夜叉であったが、仏と仏法の真理に降伏し善神となって仏と信者を守護する。
我孫子市中里(湖北地区)の中里薬師堂にある「薬師三尊像と十二神将像」は、江戸時代の作とみられ、本尊は秘仏とされ、年に1度だけ2月11日の御開帳に公開されていた。しかし、痛みが激しくなったため住民らの寄付により修復がおこなわれ、5年がかりで完了した。
薬師三尊と十二神将がすべて揃って残されていることは、大変珍しく、貴重な文化財といえる。千葉県内では、市指定文化財となった我孫子市のほかでは、県指定文化財となった富津市と市原市にある二か所です。
富津市東明寺
薬師如来立像はカヤの一木造りで、高さ216cmの大きな像のため、足元まで見る事ができない。右手はひじを曲げて掌を正面に向け、左手は腰の脇前に下ろして薬壷(やっこ)を持っています。仏像の特徴・様式から、制作年代は平安時代中期から後期と推定されています。平成18・19年度には、この像の大規模な修理が行われました。※一木造り(いちぼくづくり):一本の木材から仏像本体を彫り出す技法。
昭和29年、中尊の薬師如来立像は県指定文化財。他に、鎌倉後期に造られた十二神将像。カヤの一木造りで、像高2.16メートル。 本堂内近くで拝観させていただける。
市原市称礼寺(上高根1095)日光菩薩、月光菩薩を両脇に従えた三尊形式の薬師如来坐像。
用材や、量感と穏和な容貎を備え、衣文を浅く彫り出す技法から、平安時代の後期の定朝様式を基本としながら地方色もみせはじめた12世紀後半の作と考えられる。県内で造像以来の三尊が揃っている古い例である。
昭和62年2月27日 県指定有形文化財
概要
中尊はカヤ材の一木割矧造で、高さは54.7cmの小柄な像である。頭体幹部・左体側部・右肩以下臂までが一木で造られ、頭幹部は耳の後で前後に割られ、さらに首下で離され、内刳が施されつなぎ合わされている。両脇侍像は、カヤ材の一木から彫られ、左脇侍の日光菩薩像は高さ69.1cm、右脇侍の月光菩薩像は高さ70.6cmである。左脇侍は背部の襟後で前後に割られ、首下で離され、内刳が施されつなぎ合わされている。右脇侍は、耳の後で前後に割られ、首下で離され、内刳が施されつなぎ合わされている。台座・光背・冠などは後に補われたものである。
中尊の螺髪は切子型に彫り出されている。彫眼で、眉・瞳・髭を墨書し、唇を朱、眼球を白彩とする他は素地だが、本来は彩色仕上げであったものと考えられる。左肩をおおい、右肩に少しかかる衣を着け、膝の上に置く左手は五指を伸ばし掌の上に薬壺を置く。右手は肘を曲げ掌を前に向けたてる。脇侍は、髻を結い、列弁文と二条の紐であらわされた天冠台をかぶる。条帛をかけ、裳は2段返しとしている。