トム・ホーバスヘッドコーチが率いる日本代表は、河村勇輝(横浜ビー・コルセアーズ)、渡邊雄太(千葉ジェッツ)、吉井裕鷹(三遠ネオフェニックス)、八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)、ジョシュ・ホーキンソン(サンロッカーズ渋谷)をスターティングファイブに起用。五輪直前の強化試合セルビア代表戦と同じ5人で挑んだ。
昨年のワールドカップ覇者を相手に、日本代表は立ち上がりから追いかける展開となったものの、河村の鋭いドライブから渡邊雄太が3ポイントを決めると、河村も自ら長距離砲を成功。その後も吉井裕鷹が長短のシュートを沈めるなど懸命に食らいつき、最初の10分を7点ビハインドの21−28で終える。
続く第2クォーターはターンオーバーを誘う好守から入り、渡邊雄太、ホーキンソンの2ポイントに加え、八村が雄叫びを上げながら豪快なダンクを叩き込む場面も。ターンオーバーからの失点が続き一時16点差とされたが、司令塔の河村を中心に反撃。同終盤には八村がフリースローでスコアを伸ばし、44−52で前半を終了した。
前半終了時のスコアは、昨夏のワールドカップ初戦で対戦した際に22点差、大会直前の強化試合で対戦したい際に25点差をつけられていただけに、ここまでのスコアは善戦。渡邊雄太がチーム最多13得点、チーム全体でもリバウンド数18−14と相手を上回っている。
ジェイコブス晶は須賀市で生まれる。母親は日本人、父親はアメリカ人。
家庭の事情で生後間もなく渡米し、バスケットボール好きの母親の影響で4歳ごろから競技を始めた。NBA選手になりたいという夢を持っていたが、高校ジュニア(日本の高校2年)になっても、まだどの大学からも声がかかっていなかった。その後はNBA入りを目指す選手の育成プログラム「NBAグローバルアカデミー」に参加し、現在はアメリカの大学バスケットボールNCAA1部のハワイ大学でプレーしています。海外に暮らす有望な若手日本人選手の発掘を進めている日本バスケットボール協会は、彼の存在こそ知っていたものの、代表級の選手なのかどうかはわかっていなかったが、そんなとき、世界は新型コロナウイルスで一変した。
米国では、ユースや高校のチームでプレーしていたが、新型コロナウイルスの影響により、高校がロックアウトしたことで、バスケットボールを続ける事が難しくなったこともあり、プレーできる環境を求めて、2020年12月に帰国。祖母の住む横浜市戸塚区南舞岡で、日本の通信制高校に通いながら、同地区のプロバスケットボールチーム横浜ビー・コルセアーズのトライアウトを受験し、2021年1月に横浜ビー・コルセアーズのU18ユースチームに加入した。2021年8月には選手契約を交わした。B1リーグ史上最年少17歳5ヶ月11日での入団で、2021-22シーズンはU18ユースチームでの活動も兼任する。
カリフォルニア州は感染予防のための行動規制が特に厳しく、いつも使っていた体育館はすべて閉鎖され、屋外のコートも、人が集まらないようにゴールが取り外されてしまった。それまでバスケットボールをする場所に困ることはない環境だったのが、シュート練習すらできなくなってしまったのだ。そんな中で冬休みに日本に一時帰国したら、日本では体育館でバスケットボールをしていたのだ。
「日本にいればバスケットボールができる」
そう思ったジェイコブスは、冬休みが終わった後も、アメリカに戻らずに日本に残ることを決断した。コロナ禍で、さらに海の反対側の日本では、いくらプレーしてもNCAAのコーチたちに見てもらえる可能性はなかったが、それでも、とにかくバスケットボールがしたかったのだ。コロナ禍でなければ考えなかった選択肢だった。
「どうせ、今はアメリカではバスケットできないし、ちょうど日本にいたし、日本でちょっと頑張ってみたら、そこからどうにかなるでしょうと思っていました」
「同じ努力を日本でも続けなさい」
後から考えると、これが運命の分かれ目となった。ジェイコブス自身、「運命ですね」と言う。
日本に残る決断をしたときに、母からもらったアドバイスがある。
「これまでアメリカですごく努力しても見てもらえなかったけれど、それと同じ努力を日本でも続けなさい。見てくれる人が1人でもいれば、うまくいくから」
コロナ禍前のアメリカのように多くの人に見てもらえる環境でなくても、誰か1人に認められることで道は開けていく。誰も見ていなくても、結果が出なくても努力を続けていけば、必ずいつか実を結ぶ。そんなアドバイスが、とんとん拍子にオリンピック日本代表選手にスカウトされるチャンスを作ったのだった。
参照 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240708/k10014504821000.html
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