知識を多く持つ人ほど、多くの知識を欲しています。好奇心こそ、さまざまな知的作業の源泉です。好奇心は勉強の最大の原動力です。知識が増えると、好奇心が高まり、さらに勉強したくなります。「知りたい」という欲求は、人間の本能です。人間は力ではなく、知的能力によって他のあらゆる動物よりも優れているからです。
人間は人生の多くを勉強に費やしています。大学まで進学する場合を考えると、0歳から22歳までが学習期間、22歳から64歳までが労働期間、そして65歳以降が引退後の期間となります。知識を得るために必要とされるコストが低下したので、知識を得ようとすれば、簡単に手に入れられるようになりました。ただし、知識が重要な役割を果たしていることに変わりはありません。
知識を多く持つことが重要であることに変わりはありません。「望めば簡単に手に入るようになった」のだから、知識を持っていることの重要性は増えたと言えるでしょう。知識そのものが直接的な意味で役立つわけではありませんが、知識が触発する発見が重要なのです。
好奇心があると知識が増えるというのは、当然です。私は、この逆命題も真だと思っています。つまり、知識が増えると好奇心も強くなるのです。興味のもとになるのが知識なのです。
これは、さまざまな場面で経験します。夜空を眺めていても、星座を知っているか知らないかで、その感じ方は大きく異なります。星座を知らずに漠然と眺めているだけでは、星空の美しさを感じることは難しいでしょう。
南半球を旅行したにもかかわらず、南十字星を見ていないという人は多いのです。何という貴重な機会を無駄にしていることでしょう。仕事で南アフリカやオーストラリアに何年も駐在していた人でさえ、南十字星を見たことがないと言います。
私にとって、それは信じられないことです。南十字星のあたりの星空を双眼鏡で見ると、息を呑むほど美しいのです。南十字星はオーストラリア南部まで行けば一年中見ることができますが、日本からは見ることができません。
歴史の学習も同様です。外国の町や日本の地方の町を訪れると、興味が湧き、その地の歴史を調べたくなります。そして、歴史を知ることで、旅行がさらに楽しくなります。
アイルランドの歴史を知っていると、アメリカ映画の理解も深まります。アメリカの映画業界にはアイリッシュ・アメリカンが多いからです。『風と共に去りぬ』、『黒水仙』、『静かなる男』、『ミリオンダラー・ベイビー』などは、アイルランドの歴史を知らなければ理解できないでしょう。
バレエも同じで、踊っているバレリーナが誰なのか知っているか否かで、観る楽しさは大きく変わります。数年前に制作されたDVDで、今では世界的なバレリーナがグループの一員として踊っているのを見つけたりすると、非常に楽しいものです。
タキシラ遺跡はイスラマバードから一日かけて行ったのですが、それがガンダーラ遺跡のことだと知っていたら、もっと違う見方があったのに。ゲリラが出没する地域に、銃を持った護衛つきで、ですから。
絵画においても同様です。フィレンツェのウフィツ美術館やパリのルーブル美術館には何度も訪れたのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品については、「受胎告知」と「モナリザ」にしか注意が向いていませんでした。その結果、「東方三博士の来訪」、「岩窟の聖母」、「キリストの洗礼」などを見逃してしまったのです。美術館を訪れた時には、これらがいかに偉大な作品であるかを知らなかったからです。
学ぶのに遅すぎるということはありませんが、「もっと知識を持っていれば」と後悔することはたくさんあります。それが取り返せないこともあります。無知であることのコストは、想像以上に大きいのです。
興味と知識は密接につながっています。興味を失うと勉強しなくなり、勉強せずに知識が古くなったり忘れたりすると、さらに興味が失われていく。この悪循環こそが勉強の最大の敵です。もしこのサイクルが止まっているのなら、いますぐ再循環させなくてはなりません。
知識を持つことは、実用的な目的にも役に立ちます。これは当たり前のことです。知識が新しい発見を促します。科学上の発見は、それまでの知識の上に立ってなされることが多いのです。知識があるからこそ、新しい発見があります。
ビジネスモデルの場合も同じです。企業が直面している問題の解決のために、過去の経験のビジネスモデルが役に立ちます。そうした事例を知っているからこそ、発見ができます。無知の状態から新しいものが生まれることはありません。