トランプ氏が大統領となった選挙で、FOXニュースとの関係がもたらした価値は、軽んじられるものではない。前大統領を政界の人気者の座に一気に押し上げたのは、同局を筆頭とする既存のマスメディアだった。各候補者の報道量を調べ、その金銭的価値を広告換算で算出している米調査会社メディアクオントの分析によると、16年11月までの1年間で前大統領は「無料の」メディア報道で50億ドル(約7500億円)相当を「もうけた」。民主党の対立候補だったヒラリー・クリントン元国務長官のほぼ2倍に上った。
「これほどの資金は誰にも集められない」。元共和党下院議員で19〜20年にトランプ政権の大統領首席補佐官代行を務めたミック・マルバニー氏は「これこそが(前大統領の)真骨頂だ」と表現する。
これにより前大統領は、他の候補をはるかに下回る広告支出で選挙戦を展開できた。8年後の今、再びこの力が作用している。米広告調査会社アドインパクトの最新データによると、トランプ陣営とその支援にあたる政治活動委員会(PAC)は今回、これまでに約6390万ドルを広告に支出している。一方、バイデン氏の陣営とPACによる支出は2億580万ドル超だ。
トランプ前大統領と親交のあるクリス・ラディ氏の「ニュースマックス」のほか、それにも増して物議を醸すことの多い「ライト・サイド・ブロードキャスティング・ネットワーク」「ワン・アメリカ・ニュース・ネットワーク」といった後発の新興メディアが、「FOXニュース」は穏健すぎると感じる視聴者層に、今回は食い込もうとしている。
1月、東部ニューハンプシャー州ウィンダムの投票所では、同州共和党予備選で前大統領に票を投じた有権者たちから、ここ何年かの間にFOXニュースを見るのをやめたという声が少なからず聞こえた。
ゲイブ・トゥビアさん(61)は2020年の大統領選後、「どのように変わったのかがわかったのでFOXニュースは捨てた」と話した。テッド・マラベリアスさん(55)は「以前はFOX派だった」が、「(司会者の)タッカー・カールソン氏をクビにした日にFOXニュースを見限った」。今はニュースマックスTVを見ており、「何が起きているかはわかっている」という。
FOXのルパート・マードック氏には、前大統領の人気の根強さだけでなく、視聴者に対するFOXの影響力についても見込み違いがあったようだ。
「投票機メーカー、ドミニオン・ボーティング・システムズとの訴訟はFOXが視聴者におもねっていることを浮かび上がらせた。FOXは(視聴者を)導いているのではなく、従っているのだ」。FOXの元プロデューサーで、現在は著名投資家ポール・シンガー氏が出資する保守系オンラインニュースメディア「ワシントン・フリー・ビーコン」編集長のエリアンナ・ジョンソン氏は指摘する。「もうかつてのFOXニュースではない。しかし、それでもなお(共和)党への影響力は大きい」
訴訟費用がかさみ、選挙運動の資金不足にも直面している前大統領は再び、メディア報道の力に頼ろうとしている。
だが、今回は異なる状況になるだろう。FOXニュースを含めてニュース専門局はおおむね、前大統領の支持者の集会について長々と伝えることはしなくなり、選挙運動の主な場面を映すだけにするか、前大統領の発言をリアルタイムでファクトチェック(事実確認)するようになっている。一例として2月、FOXのキャスター、ニール・カブート氏は集会の様子を伝えた後、前大統領の発言について反証を事細かに示した。
◇裁判がメディア露出の機会に
だが、前大統領にはテレビカメラを引きつけられる新たな舞台がある。法廷だ。4億5000万ドルの支払い命令を受けた詐欺に関する民事訴訟から、ニューヨーク、ワシントンDC、ジョージア、フロリダで公判を控える計91の罪状による4件の刑事裁判まで、前大統領の法的問題はさらに膨らんでいる。
法廷内のカメラ取材を認める判事はほとんどいない。しかし、前大統領は出廷をメディアのスポットライトを浴びる機会にし、裁判所前の階段で臨時の記者会見を行っている。「前大統領はテレビで映される機会を大事にしている」とマルバニー氏は語る。「同時に、メディアで取り上げられることは悪いことではないという点もわかっている」
本記事の取材に際し、トランプ陣営にコメントを求めたが返答しなかった。ただ関係者は法的問題について、11月の大統領本選の結果を左右する可能性の高い浮動層や無党派の有権者を引き寄せることにつながるとした。そうした人々との接点として既存のメディアの報道は極めて重要になると強調する。
「仮に前大統領が(有権者の)話題の中心になり、空気がトランプ一色になっているのなら、前大統領以外のことは入る余地がなくなる」。共和党のベテランストラテジストで16年に前大統領の政権移行チームの広報責任者を務め、現在はPR会社マーキュリー・パブリック・アフェアーズを率いるブライアン・ランザ氏は語る。
同氏は16年や20年当時より保守系メディアが増えたことを認めつつも、FOXニュースは依然、共和党支持者や無党派の有権者との接点として「極めて重要」だと話す。
「(東部ペンシルベニア州)フィラデルフィア郊外の母親たちはワン・アメリカ・ニュースを見てはいない」とランザ氏は付け加えた。所得水準の高い都市郊外に暮らす中道派の女性たちは、大統領選の行方を左右する重要な有権者層と目されている。その「母親たちはFOXを見ている」という。
24年大統領選において、FOXニュースと前大統領の関係を取りしきる責任は、ルパート・マードック氏ではなく後継の長男、ラクラン・マードック氏が負うことになる。
事情を知る複数の関係者によると、父のように選挙に関与しようとする姿勢は息子にはないという。FOXニュースの編集会議には定期的に出席しているものの、政治的な判断よりも視聴率と広告収入の動向に関心を向けていると関係者らは話す。
「根っからのジャーナリスト」を自称する父親が自身を報道の中心に置いたのに対し、ラクラン氏は自分の意見を傘下のメディア企業に浸透させることに積極的ではない。
◇メディア帝国継承に向けた試金石
「ラクランは意見を自分の中にしまっておいている。ある種の決意だ」と同氏の伝記を執筆したオーストラリア人のパディ・マニング氏は指摘する。「自分があれこれ口に出し始めれば、その意見がマードック家のメディア帝国全体に広まっていくことになり、それは生産的ではないというのが彼の考えだ」
FOXは、視聴者は保守派だけでないことを自覚している。米調査会社ニールセンのデータによると、同局は無党派層の視聴率で競合のCNNやMSNBCを上回り、無党派として登録している有権者の間での週平均視聴者数は約800万人に及ぶ。
選挙戦が進むなかで、FOXニュースは前大統領との関係についてどのようにコントロールするのかが注目されている。それによって、ラクラン氏が率いるメディア帝国の方向性が定まることになる。マードック家と近い関係にあるメディア企業の幹部は、今回の選挙は米ニューズ・コーポレーションの総帥としての「ラクラン氏にとって最初の大きな試金石」になると話す。「ルパート氏がトップでなくなってから最初の選挙だ。ルパート氏のすごさは、いつも勝者を見抜いて応援したことだ」
少なくとも今のところ、FOXと前大統領の関係の再構築は揺るぎないようだ。3月の予備選投票日の夜、パーティーが開かれた前大統領の邸宅マールアラーゴのきらびやかなダンスホールには4台の大型スクリーンテレビが据え付けられ、3度目の指名獲得へと進む前大統領の得票結果が映し出された。そのチャンネルはFOXニュースに合わせられていた。
出典 NIKKEI FT the World(4/9)
記事の原文:The uneasy truce between Donald Trump and Fox News