大谷選手が最近一時帰国していたとの話題も束の間で、いつものトレーニングジムが閉鎖で練習継続ができないたこともあって数日で帰国したとの話が飛び交っている。
我孫子の隣市・鎌ケ谷にはファイターズの練習スタジアムもあって、かつてはそこでも練習していた時期があったが、日本ハム在籍時に行われたインタビューでの「(先輩に)食事に連れて行ってもらって、そこで飲むことはあるが、お酒だけの席には行ったことがない」、「(負けた後の気分転換に)飲みたいとは思わない。お酒で変わるとは思っていないので」といった話していた。
こうした彼の発言は韓国のSNS上で引用され話題になり、これが新聞の記事にまで登場し、更に大きな反響となっていたようだ。韓国の野球ファンたちの目には、このような大谷の高潔な姿勢に反して、WBC大会期間中の韓国選手たちの姿が情けなく映ったからだったようだ。
大谷選手自身、かつて、「今、毎日毎日、野球ばっかりやっていて楽しいんですけど、でも、ときにはやらなきゃいけないこともあるし……本当は練習したくないんです。そりゃ、それで打てるならそうですよ。毎日、(携帯)ゲームだけして、試合に行ったら打てるというなら、それでいいじゃないですか。それがおもしろいかもしれないし、それじゃ、おもしろくないかもしれない。そんなふうになったことないのでわからないし、僕はやらないと打てないので、練習、やりますけどね(笑)」と語ったことがあった。
やりたくなくても、成長するためにはやらなければならないとき、自分から取り組めるかどうか。楽しいことより正しいことを考えて行動した結果、閃きがもたらされた経験を大谷は何度も味わってきた。だからこそ、何が正しいのかを考えて行動することの大切さを学んだのだ。楽しいことにある程度の制限をかけることを覚えたのは、花巻東高校の寮生活だったと、大谷は言った。
「だから僕、高校でだいぶ変わったと思いますよ。中学校のときはけっこう適当にやってきたので(笑)、寮生活をした高校の環境は、やっぱりよかったと思います。ちゃんとやるようになりましたね。ちゃんと考えて、ちゃんとやるようになりました。何度も怒られましたよ。一度、すごく怒られました。寝坊です。あれは覚えてます。あのときはさすがに焦りました。練習から何日か外されて、雪かきさせられて……僕がチームで一番、練習しなきゃいけない人だったのに、監督がそうせざるを得ない状況を作っちゃいけないなと思いました」
大谷は佐々木監督から聞いた『先入観は可能を不可能にする』という言葉を心に刻んで、ここまでの日々を過ごしてきた。高校時代に受け止めたその言葉、今の大谷にはどう響いているのか、訊いてみた。
「そこは今も、まったくその通りじゃないですか、という感じです。僕がプロで二つやっていこうと決めたときも、いずれはこっちに来たいと思っていて、その日が来たら、たぶんピッチャーをやるんだろうなと考えていました。でも、それさえもそうじゃなかった。
自分がどうなるのか、どこまで行けるのかということは、自分でもわからないんです。予想以上にバッティングもよくなってくれたし、自分でもわからない可能性がいっぱいあったなと思います。だから、自分ではできそうもないなと思ったことを、やるかやらないか。
大谷自身でさえ「メジャーではピッチャーをやるんだろう」と思っていた。しかし、バッターとしての可能性を捨てなかったことで、大谷はベーブ・ルース以来の二刀流の選手として、メジャーの舞台へ降り立った。
大谷は、白地に赤の下に、今も花巻東のユニフォームを纏っている。そこで培った魂が今、メジャーに衝撃を与えているのである。
出典 https://number.bunshun.jp/articles/-/849332?page=3
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