西側が注視する国際秩序の理念が揺れている。「正義」を通すばかりが、唯一の解とは限らない、国際政治とは、言うまでもなく政治であり、リアルな現実との妥協を探るゲームの場なのかもしれない。私たちは、そういう時代を生きている。エコノミスト・西谷公明の気になる記事があったので部分を転載してみます。
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昨年5月、G7首脳はオンライン会議後の声明で、「プーチン・ロシア大統領がウクライナとの戦争で勝利することがあってはならない」と宣言した。その西側の狙いは、第一に「主権と領土の一体性の維持」という、国際秩序の根幹とも言うべき理念を守る抜くこと、第二に汎ロシア主義を捨てられず、ついに隣国へ侵略したロシアの国力をこの機会にできるだけ削ぐことの2点に尽きる。
前述のG7会合に先立って、昨年4月にキーウを訪問した米国のブリンケン国務長官とオースティン国防長官は、この戦争におけるアメリカの立場として、「ロシアが、再びウクライナ侵攻のようなまねができない程度に弱体化することを望む」と語っている。
けれども他方で、西側はそのロシアを必要以上に傷つけることには躊躇(ためら)いを隠さない。ロシアは、言わずと知れた、米国と並ぶ世界最大の核保有国だからだ。
そのせいか、西側メディアの報道も、いきおいロシア情勢に注がれる。ルーブル下落と、民間軍事会社ワグネルと創設者プリゴジンをめぐる最近の報道ぶりを見れば、ウクライナが中心というのではない、メディアの関心はロシアが中心だ。
歴史上、ウクライナはこれまで3度、ロシアと戦争をしてきた。
まず18世紀はじめ、ロシアとスウェーデンが戦った北方戦争時、ウクライナ・コサックのへトマン(首領)マゼッパはスウェーデンと手を結んで、ロシアからのコサック国家独立を賭けて戦った(ポルタヴァの戦い)。
次に20世紀はじめのロシア革命時、キーウに樹立されたウクライナ中央ラーダ(議会)政府が独立を宣言し、革命政府のボリシェヴィキ軍と戦った。そして第二次世界大戦期、西ウクライナのガリツィアでウクライナ蜂起軍(UPA)が結成されてソ連軍と戦った。
熾烈な戦闘がおこなわれ、その度に多くの犠牲を生み、結局は3度とも敗北した。
持てる富(資源、技術、工業生産力など)に裏打ちされた戦時の経済力が違い過ぎる。人口や予備役の数、兵器の生産能力などでも、ロシアがウクライナに優ることは明らかだ。
西側による経済制裁はショックを与えたが、あにはからんや、侵攻を始めて半年後にはロシア経済はその耐性を示した。それを私は、昨年10月にモスクワを訪問して実感している。
ロシア経済のパフォーマンスを示す国内総生産(GDP)は、開戦直後にはマイナス10%以上の後退が避けられないとみられたものの、2022年通年ではマイナス2.1%に止まるまで回復した。国際通貨基金(IMF)は、23年のそれを1.5%のプラスに転じると見通している。
これに対し、22年のウクライナのGDP成長率はマイナス30.4%で、「破綻」と呼ぶにほぼ等しい。しかも、電力はじめ重要インフラの破壊により、この一年で国力をさらに削がれている。欧州委員会(EC)は23年のそれを0.6%のプラスと予想するが、破綻状態からのわずかな浮上に過ぎない。
つまり、西側の目標は、実は国家としてのウクライナの安寧そのものにあるわけではない。ということは、ウクライナに対する西側の支援も永遠ではあり得ない・・・・
論文の詳細は下記にてご覧ください
https://gendai.media/articles/-/115666?imp=0
出典 現代メディア(2023.09.03)つづき